知る から やる へ

失敗とは何なのかというと
頭で考えていること
時には考えもしなかったこと
を行動に移した結果が
意にそぐわなかった
ということ。

これはつまり
やってみた結果が分かった
つまり
やらないと分からないよね
ということが分かった
ということでもある。

極端な話だけど
考えることや
知っていることのみが重要で
やる必要がないのであれば
肉体は必要無いわけで
生きている意味が無い
とも言えるのではないか。

ということは
行動することこそが
生きているということ
ということでもあるのだろうから
行動した末の失敗というのは
全く悲観する必要がないということです。

やってみてダメだった
ということが分かるというのは凄いことです。
継続して次に繋げられるならば
という前提付きですが。

頭で考えているだけでは何も起きません。
もっと真面目に考えて
数式の答えを出すように
正解を出せたら行動する?

そもそも行動した経験が少なければ
そんなのは無理です。

それに
こうやったらこうなる
なんてのが分かっていることばかりやっていても
面白くない。

やらなくたって
結果が分かっているなら
やる意味は無い。

知識偏重になると
「考える」ばかりになりますが

そんなことは継続しても
全くハッピーにはなりません。

遅かれ早かれ
知っている”だけ”の価値は
急激に減少していきます。

ひょっとしたら頭だけで勝負できる人は
ごく少数存在するのかもしれないけど
あなたはそういう人ですか?

そうじゃないなら
心を使おう。
パッションで勝負しよう。
これなら勝負になる。
チャレンジできる人になろう。

進歩の功罪と感情のコントロール

「肝が据わっている」
なんて言い方がありますね。

大抵の場合、想定外の事象に対してうろたえたりしないとか
度胸があるみたいなことでしょうけど。

予測できないことが起きることに対して
どのような感情を持つか
というのが根底にある
と思っています。

感情で言えば
安心の反対には心配があるわけで
心配側にどんどん寄ってしまうと
極端な場合はパニックになるかもしれません。

そんな極端な例はともかく
それらの領域のうち
どの辺を好むのか
そんなことも結構重要なのかな
なんて思ったりしています。

基本的には以下の二者かな
と思います。

安心するために安定したい人
同じことを繰り返して
同じ結果が起きることを望む人

同じことを繰り返すのが
我慢できない人
変化の中に喜びを見出す人

でも、ものごとにもよりますかね。

まぁ、世の中には
両方いてくれないと困るわけですが。

あることは安定していて欲しいけど
別なことには変化を望む

そんなこともありますね。

安心から心配にかけてのグラデーションのどこに閾値があるのか
そして、どの程度その閾値と距離を取りたいのか
そんなことも行動原理になったりするでしょう。

さて
なんかこう閉塞感を感じる環境の根源は何なのだろう
と考えたとき、一つは
多くのことに対して予測ができる世の中
になっちゃっているからなのかな?
なんて思うのです。

ヘタすりゃ
やる前から、すでに正しい答えが決まっている
というような世の中になってきているのかな。

それは技術の進歩によるものなのかもしれません。

技術が進歩すれば
あらかじめ安全な結果が起きることを予測して
それをやれば安心が得られます。

そういうのがどんどん進んでいくと
予測が付かないことはやらない
みたいなことになるのは当然なのかもしれません。

でも、新しいことなんてのは
やってみないと分からないので
そういう方向性でいくと
新しいことが生み出せなくなりますね。

するとその後はどうなるか?

まさに成長曲線ですね。
グイッと上向いたら
その後は頭を打つ。
王者必衰。

その後どうするかは本人次第。

感情が安心を求めたら
予測が付かないことはやりたくないでしょうし
そこから得ることも学ぶことも無いでしょう。

自分の感情をコントロールする
なんてたまに聞きますが

悲しいのを我慢するとか
嬉しいのを押し殺すとか
そういうことばかりではなく

自分が求めている感情を変化させる
そういうことこそ大事なのではないかと思うのです。
でも難しいことですよ。

だって、自分がどのような感情を求めているかなんて
普通は意識していませんから。

ただ
肝が据わった人になりたいのなら
チャレンジして
出た結果の評価とフィードバックをして
グルグルして経験の数を稼ぐ。
これに尽きるのではないかと思います。

すると
予測の範囲が広がるし
結果に対する対応にも
過去の経験が参考になったりするので
色々と応用が利きますから。

そうなったら
突発的なことにも対応できるし
パニックにはなりにくいでしょうね。

そんなことをしながら
忘れてはいけないのが
タイムマネージメントです。

考えるにしても
やるにしても
時間は有限ですから。

失敗しないようにじっくり考える
失敗しないようにゆっくりやる
そこにフォーカスしすぎると
大抵は時間切れになってお終いです。
それを本当の失敗と言います。

しかし
グルグルサイクルの数が結果を決めるのですから
1サイクルを早くする必要があります。

でも、考え無しにやってもダメで
慌ててやり過ぎてもダメ。

そのサジ加減こそ重要なのでしょうが
それも経験によって掴むもの。

さて、どうしましょう?

迷ったら「やる方」からトライして調整していくのですよ。

兵庫の帰路

兵庫からの帰りは、卒業生の梶山君の軽バンで、ずっと陸路でした。

20年くらい前のクルマなのですが、よく走りますね。
よく考えたら、軽自動車でこんな長距離を走るのは初めてです。

今回の車に限らず、軽自動車は、排気量660ccで、そこそもの大きさと重さがあって、必要にして十分な動力性能と、信頼性、耐久性を備えているのだから大したものです。
最近のなんて、さらに動力性能と品質が向上していますから、一昔前のような貧弱さはありません。
工業製品としては素晴らしい完成度を持っていると思います。

帰路は、ずーっと雨でしたけど快適そのもの。
運転はずっとおまかせだったのですが。620kmも。
梶山君、お疲れ様でした。

さて、兵庫を目的地として行ったのは今回で3回目です。
通過したことは何度もありますが。

兵庫県と言えば、瀬戸内海側の神戸ばかりが注目されますが、実は日本一古墳が多い県だったりするし、竹田城跡をはじめとする多くの山城があったり、昨日訪れた神子畑選鉱場跡のような産業遺産があったりします。そうそう、
姫路城も兵庫でしたね。
このように、観光資源が山ほどあるところなのです。
でも、アピールがちょっと弱いのでしょうか。実力ほど注目を浴びていない気もします。特に山側は。
また機会を見て、ゆっくり行ってみたい所です。

でも、よーく見れば、日本中そんなところだらけなのだろうな、とも思うのです。