進歩の功罪と感情のコントロール

「肝が据わっている」
なんて言い方がありますね。

大抵の場合、想定外の事象に対してうろたえたりしないとか
度胸があるみたいなことでしょうけど。

予測できないことが起きることに対して
どのような感情を持つか
というのが根底にある
と思っています。

感情で言えば
安心の反対には心配があるわけで
心配側にどんどん寄ってしまうと
極端な場合はパニックになるかもしれません。

そんな極端な例はともかく
それらの領域のうち
どの辺を好むのか
そんなことも結構重要なのかな
なんて思ったりしています。

基本的には以下の二者かな
と思います。

安心するために安定したい人
同じことを繰り返して
同じ結果が起きることを望む人

同じことを繰り返すのが
我慢できない人
変化の中に喜びを見出す人

でも、ものごとにもよりますかね。

まぁ、世の中には
両方いてくれないと困るわけですが。

あることは安定していて欲しいけど
別なことには変化を望む

そんなこともありますね。

安心から心配にかけてのグラデーションのどこに閾値があるのか
そして、どの程度その閾値と距離を取りたいのか
そんなことも行動原理になったりするでしょう。

さて
なんかこう閉塞感を感じる環境の根源は何なのだろう
と考えたとき、一つは
多くのことに対して予測ができる世の中
になっちゃっているからなのかな?
なんて思うのです。

ヘタすりゃ
やる前から、すでに正しい答えが決まっている
というような世の中になってきているのかな。

それは技術の進歩によるものなのかもしれません。

技術が進歩すれば
あらかじめ安全な結果が起きることを予測して
それをやれば安心が得られます。

そういうのがどんどん進んでいくと
予測が付かないことはやらない
みたいなことになるのは当然なのかもしれません。

でも、新しいことなんてのは
やってみないと分からないので
そういう方向性でいくと
新しいことが生み出せなくなりますね。

するとその後はどうなるか?

まさに成長曲線ですね。
グイッと上向いたら
その後は頭を打つ。
王者必衰。

その後どうするかは本人次第。

感情が安心を求めたら
予測が付かないことはやりたくないでしょうし
そこから得ることも学ぶことも無いでしょう。

自分の感情をコントロールする
なんてたまに聞きますが

悲しいのを我慢するとか
嬉しいのを押し殺すとか
そういうことばかりではなく

自分が求めている感情を変化させる
そういうことこそ大事なのではないかと思うのです。
でも難しいことですよ。

だって、自分がどのような感情を求めているかなんて
普通は意識していませんから。

ただ
肝が据わった人になりたいのなら
チャレンジして
出た結果の評価とフィードバックをして
グルグルして経験の数を稼ぐ。
これに尽きるのではないかと思います。

すると
予測の範囲が広がるし
結果に対する対応にも
過去の経験が参考になったりするので
色々と応用が利きますから。

そうなったら
突発的なことにも対応できるし
パニックにはなりにくいでしょうね。

そんなことをしながら
忘れてはいけないのが
タイムマネージメントです。

考えるにしても
やるにしても
時間は有限ですから。

失敗しないようにじっくり考える
失敗しないようにゆっくりやる
そこにフォーカスしすぎると
大抵は時間切れになってお終いです。
それを本当の失敗と言います。

しかし
グルグルサイクルの数が結果を決めるのですから
1サイクルを早くする必要があります。

でも、考え無しにやってもダメで
慌ててやり過ぎてもダメ。

そのサジ加減こそ重要なのでしょうが
それも経験によって掴むもの。

さて、どうしましょう?

迷ったら「やる方」からトライして調整していくのですよ。