キャリアデザインっておいしいの?

よく「キャリアデザイン」などと言うじゃないですか。
意識してキャリアを磨くことなどしたことがない自分としては

何だ、そりゃ?
そもそもそれは、自力でデザインできるものなのか?
一体何が欲しいのだろうか?

と思ってしまうのです。

恐らくキャリアデザインって
色んなスキルを手に入れることでしょう?
つまり、「道具を手に入れる」みたいなもので
「何のために?」
という視点が欠落している気がするのだけど
どうなのだろうか。

「資格持ってた方が将来有利だよね!」
のような資格ビジネスに乗っかっちゃってる人と同じように見えるのだけど。
いくら良い道具を持っていても
良いものができるわけではないですから。

でなければ
恐らくこの場合の「何のため」は
収入による自分の将来の安定とか、老後の心配とか
そういうことなんじゃないだろうかと思うのですが。

まぁ、そういうことを考えても良いとは思うのですが
とすると結局、利己的なゴールを定めちゃっている
ということになるのではなかろうか。
それはあまり面白くなさそうだし
それによって喜んでくれる人はいないだろうから
結局は価値の創造が最低限になっちゃったりするのではないだろうかと思うのです。
(便利な道具のような人にはなるかもしれないけど)

頑張ってキャリアを積み上げている人が
裕福でも偉くもなくい人間に
こんなこと言われたら腹が立つかもしれないけど
そんなふうに思います。

色々やってきて思うのは

「何のために」が明確化されていれば
手元の小さいことを目的化するのではなく
目的に向かう大きな流れに身を任せたり
時として流れを作ったりして
手元のもの(スキルとか)は
その流れに任せるてやるべき事をやっていれば必然的に手に入る
といった感じで良いのではないだろうか
と。
それが実践的なスキルってやつではなかろうか
と。

そんな流れの中から求められることに応じる
というのは、実はとても価値があることではないかと思います。
単に「言われたことをやる」ではないですから。

学校ではHow toを教えるところだから
「どうやって」(手段)に目が行きがちだけど
大事なのは「何のため」(目的)ですよ。

学歴とかキャリアとか
そういうのに拘るのも分かる気がしなくもないけど
目に見えるもの以外を伸ばすことが重要だと思うのです。
目に見えないものに拘るのは勇気が要るとは思いますが。

正直なところ
キャリアの構築を目指しているような人で
一緒に仕事したいなぁと思うような
魅力的な人がいないもので。

ハッピーなチャレンジャーになるために

どうしたら人の行動が「喜び」に繋がるのだろう
なんて考えるんですよ。
まぁ、人相手の商売ですから当然ですよね。

おっと、仕事である限り
人が相手じゃない商売なんて無いのか。
全く人が関係しないなら仕事にはなりませんものね。

そんなことを考えると
いわゆる昔ながらの商人の考え方
「三方良し」
とかは、全ての仕事に通じると言えるのでしょうね。

さて、今回は
自分が何かをやる上で
ハッピーになるためにはどうしたらいいのだろう
ということを考えてみましょう。

「喜ぶ」というのは感情の動きですよね。

何かに遭遇して
それに対する表現の一つなのでしょうけど

その遭遇したものに対して
悲しんだり喜んだりするわけで

感情って、結局は「評価」の表現なのでしょうね。

とすると
評価者の価値観によって評価内容は変わるわけで
絶対評価なんかは無いですね。
うん、そりゃそうだ。

「誰でも絶対に喜ぶ」なんてことは
厳密に言ったら無いのでしょう。

人はどんなときに喜ぶのか?

予想外のことが起きた(遭遇した)とき

起きたことが望んでいたこと以上なら喜ぶでしょうし
望んでいたこと以下なら喜べません。

では、思っていた通りのことならどうなのか?
この場合
「思っていたこと」が問題です。

できると分かっていることをやった
その結果、当然のことが起きた

想像通りのことが起きた(遭遇した)
ということでしょうけど。

であれば、喜びというより
安心ですね。

一方、「思っていたこと」のレベルが高くて

「できるかどうか分からないけど
こうなったらいいな」

というビジョンに基づいてやったことであれば
その「思っていたこと」が起きれば嬉しいですね。
どれくらい嬉しいかは
自分の持つ評価指針によるでしょうけど。

他には
労せずして良いことが起きちゃったりして喜ぶ
なんてこともあるでしょうけど
この際それは考えないことにしましょう。

宝くじで億を当てちゃう人って
多くの人が人生が壊れちゃうって本当なんですかね?
本当かもしれませんね。

さてさて
ということはですよ
喜ぶためにはプロセスというか
シーケンスがありそうですね。
それはこんな感じかな。

  1. 思う(考える)
  2. 行動する
  3. 評価する

で、このシーケンスをループとして回していくのですね。

で、評価が
あるレベルを超えたら大成功!
ということですね。

ということは
これを構成するそれぞれは当然重要なわけで
でっかい喜びを得るためには
それらを磨く必要があるってことです。

  • 日頃、何のために何を考えているか
  • どのように行動しているのか
  • 起きたものごとに対してどう思っているのか

たぶんこれらが大事ってことですね。
これらのどれが欠けても
長い目で見た喜びには繋がっていきそうもない
というのは容易に想像できます。

恐らく、予想できることしかやらない人は
予想外のことが起きるはずなんてないので
喜びが少ないのだろうなぁ
なんて思うのですが

恐らくそういうタイプの人は
喜びより安心を求めるのでしょうね。
なんか分かる気がします。

やはり今はターニングポイント

一体今はどういう時代なのだろう
と思うことがあります。

我が国は
高度経済成長によって発展して
世界有数の先進国となって
伸び悩みつつも
国内総生産では第3位です。

対して国内の雰囲気はどうかというと
失われた30年と言われていて
決して良好とは言えませんね。

世界第3位なのに気持ちが停滞してるんですよ。

これが良いのか悪いのか?

3位なのに満足いっていない
という見方もできる

一方、2位から没落した
という見方もできる

いずれにせよ
現状に満足できる状態ではないですね。

では、どうしたら満足できるのか?
満足できないなら再起するのか?
一体どうやって?

それは我々次第なのでしょうね。

気持ちが下降していて、しかも他人任せなら
たぶん何もできないでしょう。

2位だの3位だのというのは
経済規模の話ですが
経済が上向きのときは
恐らく人の心も上向きです。

お金が人の心をハッピーにするわけではなく
気持ちが上向きで前向きなら仕事もイケイケになるでしょうから
当然、結果としての経済もうまく回るでしょう。

ただ、ブータンのように
経済規模は大きくなくとも
国民の幸福度を向上させる方法はあるのだろうな
と思う反面
他国からの侵略を回避するとか
難しい問題を抱えていたりもするようで
世界情勢は難しい。

そもそも、一度経済規模を大きくした経験があると
生活水準を下げる方向で満足するのは難しいでしょうね。
そういう面ではヨーロッパ諸国が参考になるのかな。

とはいえ、そういう国々も含めて
今や世界のあちこちでキナ臭い雰囲気になってきて
我が国も人ごとではありませんね。

降りかかる火の粉は払わざるを得なかったり
そもそも火の粉が降りかかるような情況を作らないためには
やはり国力がものを言うのでしょう。

とまぁ、こんなふうに色々ある中で
人の価値観や考え方は変わっていくのでしょうね。
今がまさに時代のターニングポイントなのかな。

だとしたら、今がどんな時代なのかなんて
時が過ぎてみないと評価できないのでしょうね。

というわけで
そんなことを考えたりもしながら結局は
自分のフィールドでベストを尽くすのが最善なのだろうなぁ
とか思って日々を過ごしています。