仕事の価値と「ありがとう」

仕事は価値を他に提供するわけで
それを受け取ってくれるのは
ありがたいことです。

で、受け取ってくれた方も
「ありがとう」なら
双方ハッピーとなります。

相互に感謝できるのが
良いビジネスですね。

価値を提供された側は
ありがとう
と言われれば
それは気持ちが良いでしょうし

提供した方は
ありがとう
と言われれば
「よーし!次も頑張っちゃうぞ!」
となるでしょう。
(これ、超重要!)

なので
ありがとう
は、提供する側も
される側も
双方が言えれば
世の中ハッピーになりますよ。

ありがとう

ありがたい(有り難い)

その語源は

有ることが難しい
珍しいこと
めったにないとこ

自分にとって得難いものが得られたよ!
といった感じですね。
価値を認める
感謝の言葉です。

サービスを提供してくれた相手に言えば
「あなたには価値があるよ」
ってことになりますね。
価値を認められるというのは嬉しいことです。

ところが
ありがとう
は、代金を受け取る側が言うことだ
なんて風潮はありませんか?

先進国に限らず
大抵の国では
お客さんだって会計後に
ありがとう
って言ってますよ。

こんなに言わないのは日本くらい?

店員さんが
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
って言っているのに
終始無言で店に入って出て行く。

そんなこと無いなら良いのですが。

たとえこちらが代金を支払うとしても
サービスを受けたら
ありがとう
で良いんじゃないでしょうか。

そうしたら相手だって
気持ち良く次の仕事ができますよね。
( 何度も言いますが、これ、超重要! )

それぞれの
ありがとう
の一言が
次へ次へと良い仕事を繋いでいく
そんな風になると良いですよね。

世の中便利になると
何でもそこら中にあるもんで
「有り難いもの」
が少なくなって
感謝する必要が無くなっている?

価値のインフレ?

だとしたら
便利な世の中ってのも寂しいものですね。
縮小するのも必然です。

と、こんなことを言うのも
あるとき気付いたんですよ。

「あれ?ありがとうって言ってないぞ」
って。

もちろん今では言ってますよ。
コンビニだろうがスーパーだろうが。

こんなのは小さなことかもしれませんが
ちょっぴり世の中を良くできると思うのです。

日本は先進諸国の中でも生産性が低いとか言われますが
同時に寄付行為も少ないのです。

ひょっとして、他に対する価値の提供や
それを受け取った側からの感謝(これも価値)が
うまく回っていないということではないでしょうか。

生産性向上や労働時間短縮なんかも結構ですが
その前にやれることはあります。

サービスだって製品だって
我々の心から発しているものだということをお忘れ無く。

托鉢の話

托鉢(たくはつ)とは
お坊さんがお椀を持って
食料やお金を乞うて歩く
という仏教の修行なのですが
すっかり見なくなったというか
そもそも日本で、しかも関東では
ほとんど見かけることはありません。

この托鉢
お金持ちのところへ行くのではなく
貧しい人々の家を回るんだそうです。

というのも
これはお坊さんがお金を得るためにやることではなく
貧しい人の救済になるからなのです。

貧しいのにお金あげちゃったら
もっと貧しくなるじゃん!
とお思いですか。

貧しいには理由があって
他への施しをしないから貧しいのだ
ということだそうです。

これ、お金で考えると納得がいかないかもしれませんが
他に価値を提供しないから
その見返り(対価)が帰ってこない
そう考えると分かりやすいかもしれませんね。

もっともな話です。

まあ、一口に貧しいとは言っても
色々事情はあるでしょうから
一括りにはできないと思いますが。

なので托鉢に喜捨(喜んで「あげる」ということ)をするなら
お坊さんではなく、喜捨した方が
「ありがとうございます」
なのですよ。
チャンスをもらっているようなものですからね。

この托鉢はとても分かりやすい例なのですが
他に与えることができなければ
自分には何も返ってこない
ということを言いたかったのです。

仕事に当てはめて考えてみると…
その通りでしょう?

もっとも
最初から見返りを求めた提供だと
それこそ価値は半減するでしょうし
見返りは最低限になると思いますが。

「(仕方なく)仕事してやってんだ」
とか
「金払ってんだから提供してもらうのは当然だ」
みたいな考え方だと
自身の喜びも
相手の喜びも
最低限ですよね。

なので
喜んで価値を提供していきましょうよ
と言いたいのです。

喜んで価値を提供して
相手に喜んでもらいましょう。

そうしたら自分もハッピーになりますよ。
自己満足で終わるのではなく
相手が喜んでくれるのが一番ハッピーです。

エンジニアの仕事だって
本来そうあるべきだと思うんです。
お客さんを喜ばせてナンボですよ。

なので
大学でもそういう心を育めたらいいよね
と思っています。
知識やスキルは
それを実践するためのツールです。

受け取ることを望むばかり
入ってきたものをため込む
他のためのことをやろうとしない

そんなのが当たり前だとしたら
寂しい世の中で
色んな意味で貧しくなるのは当然です。

と、貧しい教員が偉そうなことを言ってみました。

うまくいくいかないはマインドの問題

学生のチームの面倒を見ていると
組織がうまくいくためにはどうしたらいいのか?
どうしたらうまくいかなくなるのか?
といったことを
しょっちゅう考えています。

うまくいく・いかない
この二つは対極にあるので
理屈は同一線上にあって
片方が分かれば、もう片方も分かる
という関係です。

そもそも、何で組織があるかというと
一人じゃできないデッカイ事をやるためです。

なので
組織にいわゆる優秀な人間がいれば
良い成果が出せるかというと
決してそんなことは無いのです。

人が一人でできることは限られているから。

凄く知っている者が
凄くできる者がいるとしても
その知識やスキルをどう使うかが問題です。

往々にして、どう使うかは組織の長が考えて指示すべき
なんてことになっていますが
学生のチームでは
リーダーだって発展途上です。

メンバーとしては
リーダーに指示されたことをやるのは最低限必要なことですが
言われたことをやる人間の集合体になってしまっては
先はしれています。

言われたことをやる

一見、これをキッチリやれば良さそうなものですが
とんでもない。

これ、多くの場合は
どういう意味かというと

自分のことだけ考えて
最低限のことをやる

ってことですよね。

自分のことだけ考えられても困っちゃいますが
加えて、最低限だとなお困ります。

言われたことができたなら
最低限じゃなくて最高じゃないか!
とお思いなら
それは間違っています。

要求レベルに達したら
それは最低限、要求レベルを満たした
と言うのです。
マイナスではないけどゼロです。
価値はプラス側にあります。

加えて言うなら
ベストを尽くした結果、失敗して
リカバリーして最低レベルを満たした
というならまだ救われるかもしれません。
その経験は次に活きるから。

でも、最初から最低限レベルを狙ったら
経験が不十分な者であれば
間違いなくマイナス側に着地します。

これは能力の問題ではなく
マインドの問題です。

誤解を恐れずに言うなら
自分のことばかり考えて生きているからです。

そういうマインドでは
何度やっても同じ結果になるし
知識やスキルを身に付けたところで
それらの使い方が変わらなければ結果はさほど変わりません。

チームがそういうマインドで動いていたら…
それはもう残念なことです。
やる前から結果は見えています。

ずいぶんきつい表現になったかもしれませんが
たぶんこれは本人には責任はありません。
環境の問題です。

常々思うのは
今の世の中って
そんなのばかりじゃないのか
ということです。

最低限、国民としての義務を果たしている
とか
誰にも迷惑掛けてない
とか

なんかこう
最低限のことやってるんだからいいじゃないか
みたいな感じです。

ともすれば
自分のことばかり考えて
資格やらスキルアップやら言いますが

全然良くないです。

知識があれば
スキルがあれば
いいじゃないか!

全然良くないです。

その方向で来て
今のワクワクしない世の中になっているのでしょう?

その方向のまま
もっと強化したら良くなる?
ホントなんですか、それ。

なので夢工房では
学生の好きなことを全力でやる傍ら
人としてどうあるべきか
ということにも力を入れているのです。
むしろそっちが重要です。

そうすれば、自ずと知識だってスキルだって欲しくなりますよ。

もっと言いたいことはあるのですが
それは次の機会に。