やらせる・やらされる ということ

「やれ!」
と言って
当人の意に関わらず
やらせる

「やってもいいよ」

好きなことを
やらせる

どちらも
「やらせる」
と同じような響きですけど
その中身はずいぶん違いますね。

「やらせる」
と聞くと
どちらを想像しますか?

自分の価値観が求める方を
想像してしまうと思いますが。

それはともかく

2つの「やらせる」を言い分ける
適切な言葉が思い付かないのですが
これ、どうにかなりませんかね。

日本語以外だと
結構、明確に異なる表現になる
のではないかと思うのですが。
日本語にはこれらを
言い分ける表現が無いのかな。

まぁ、それはそれとして
自身が好きなことをやっているはずなのに
いつのまにか外力でやらされる時の
考え方、やり方をしてしまう
なんてことはありませんか?

特に困難にぶち当たると
そうなりがちかな。

そういう時の意識の持ち方が
結果を左右したりするものですが。

オンラインゲームなどに
中毒的にハマっちゃっている状態なんかは
本人は
「好きで、自発的にやっている」
と思っているかもしれませんが

ハマっちゃう仕掛けに
うまいことハマっちゃっているだけで
気持ちいい外力に
やらされている状態だったりします。

そういうのって
人それぞれだけど
皆、何かしら持っていたりしますよね。

自発的に自分の意思でやっているようだけど
実は
うまいこと設計されたシステムにハマっているだけ
みたいな状態。

我々の身の回りには
意外とそういうものが
たくさんあるのではないかな
と思います。

うまく設計されたシステムや
習慣化されたものは
見えないし、存在を感じません。

何でもかんでも疑ってかかって
片っ端からぶっ壊せ!
なんて極端なことを言うつもりはありません。

乗っかるところは乗っかって良いかもしれません。

でも、自分でコントロールしたいところは
意識して、しっかり掴む。

そういうのが
気持ちよく生きて行くためには大事なのかな
と思ったりしてます。

何でもかんでも…
なんてやっていくと疲れちゃいますから。

たまには
肩の力を抜いて
視野を広げて
周囲を見渡してみましょう。
何か気付くかもしれませんよ。

コミュニケーションで思うこと

世では
特に学校では
さらに言うなら、就活前の大学生では特に
コミュニケーション能力がうんぬん
などと言われます。

コミュニケーションは
人相互のやりとりの基本的なところで
一般的には
言う
聞く
など、意思を伝達したり理解したり
といったところを指しますね。

でも、もちろんそれだけではなくて
そのために考える
なんてことも当然ながら重要で

さらに言うなら
ノンバーバルな部分もあるわけで
我々が意識している以上に
結構色々なやりとりをしているわけです。

一方、国家同士のコミュニケーション
なんてのもあるわけで
キナ臭い雰囲気が漂う昨今は
そういうことの重要性をより実感できます。

ここでは
世界情勢について評論したい
わけではないのですけどね。

人対人
人の集合体である
国家対国家
いろんな単位があるけど
結局は
言葉やら物やら対価やら
いろんなもののやりとりをしているわけで

そのやりとりがうまくいかなくなると
それに応じて
よろしくないことが起きるんだなあ
なんて、当たり前のことを
改めて思っていました。

というのも
学生って
言われたことをやる
とか

決められたことをやることが
学校における行動の中心ですよね。
全員ではないでしょうけど。

そんな環境だと
一方的に受け止める立場になりがちです。

それに加えて
我々は基本的に消費者で
売っているものを買ったり
提供された情報を受け止める
そんなことばかりです。

そういうのって
正直、楽ちんで
気持ちよかったりします。

受け止めるばかりだと
最終的には
つまんないことになっちゃうのでしょうけど
楽ちんで気持ちいいことはやめられない。

言葉だったり
表情だったり
ものだったり
対価だったり
相互のやりとりって
ギブ・アンド・テイクが基本ですよね。

一方的に受け止めるだけ
なんてことで完結するような
都合の良いことはないわけで

楽ちんで気持ちよくなりたいなら
それなりに何かを失うのを覚悟すべきですが

それになかなか気付けないってとこが
現代社会の難しいところなんだろうなぁ
なんてことを考えてます。

押してダメなら

日本の若者の意識調査を見ると
どうもイケてませんね。
皆さんご存じの通りです。

自信が持てない
満足度が低い
などなど
総じて幸福度が低い。

まぁ、日本人自体の幸福度が低いのですから
これは当然の結果かも知れません。

この結果を見て
「今の若者はだらしないなぁ」
なんて思うとしたら
「なんて無責任なんだ」
と思っちゃいますよ。わたしゃ。

「そうしたの、あんただろ」
と。
ま、私自身でもあるんですけどね。
(昨日の続き)

さて、今回何が言いたいかというと

戦略がダメなら
戦術をいくら変えてもダメで
どっちも変えないなら
ハードにプッシュしてもダメ
ってことなんです。

「今の今の若者はだらしないなぁ」
で頑張れたら苦労しませんよ。

頑張る気が起きないシステムだから
頑張れないだけの話で
その状態で何とかできたら
そんなのもうやってるわ!
ということです。

ま、中にはしっかり頑張っている者もいますよね。
なので、今回はマジョリティはどうなの?
ということですね。

また偉そうなネタで恐縮です。

いえ、これね
レースとかやってれば誰でも知ってますよ。
意識こそしていないかもしれないけど。

何のために戦うかとか
どうやって戦うかという
スジがダメなら

何を使って戦うかとか
どのくらい頑張るか
という部分を変えたってダメですよ。

レースを見ていると
部分的なスキルとか
マシンの性能とか
そういうのが目立つから

うまいヤツは速いとか
マシンが速ければ勝つとか
そういう話になりがちですが

そもそも
なんでうまいヤツはうまいんだ?
とか
本当にマシンさえ速ければ勝てるのか?
とかは考えませんよね。

「自分にとってレースは何か?」
この辺が全てを決めます。
すでに決まっちゃいます。

これが小さくて低ければ
そもそも
大してうまくもなれないし
速いマシンを手に入れても早く走れません。

単独でいくら速くても
前走者を抜けるかどうかは別問題だったり

良いチームを作れなければ
そもそも満足に走ることすらできなかったり

そんなもんです。

そんな状態で
もっとハードにプッシュすればイケるはず!
とか
もっと色々テクを身に付ければイケるはず!
なんてことは無いですよ。

学校なんかはとても分かりやすいのですが
何のために
どうやって学ぶの?
というあたりが曖昧なまま
学ぶ科目数を増やすとか
むやみにハードにプッシュするとか
そんなことしても
大して結果は変わらんのですよね。

頑張っているうちに
何か気付くとか、何か見える
といったことはあるかもしれないので
一概に無駄とは言えませんが。

「押してもダメな引いてみな」
と昔から言いますが
これ、結構深くて

ダメなら戦略変えろ
ってことですよね。