石油の話 主に発電編

昨日は化石燃料の枯渇について記事にしましたが
近年は電気自動車の話題がホットなので
どうも乗り物の燃料としての石油
という視点ばかりになりがちです。

ところが、原油は色々な形で利用されていて
液体燃料としての利用は一部に過ぎないのですね。

自動車や航空機などの燃料としては40%程度
発電や熱源としての利用が40%程度
残りの20%程度が原料として使われています。

乗り物の燃料としての利用は
電気自動車で盛り上がっていますので
変化に向けて動いていることが実感出来ます。

ただ、電気自動車が解決策になるかというと
現時点では疑問を持たざるを得ません。
最終効率で言うと
液体燃料のエンジンを使った自動車と
さほど変わらないことや
電池を作るのにも電力が必要だし
その電池自体の性能劣化やコストなども問題で
そもそも充電のための電力はどうするのか
など問題が山積みだからです。

原発を持つ国や
北欧のように氷河の水を利用した
大規模な水力発電を使える国なら
電気自動車のメリットはあるでしょう。

ただ、現状から変化の兆しがあるというのは
良いことなのかもしれません。

おっと、自動車ばかりの話になってしまいそうです。

石油の発電や熱源としての利用は40%ですが
発電での利用は5%程度です。
意外と少ないですね。

35%は熱源としての利用で
仕事や家庭においての熱源
他には製鋼業での熱源
つまり鉄を作ったりするときに使われています。

さて、日本の発電は今や
LNG(液化天然ガス)と石炭
が主流なのでこんなもんです。
ちなみに日本の発電の80%程度は
LNG、石炭、石油の3種の化石燃料によるものです。

石油の発電での利用は火力発電です。
ちなみに全ての発電電力のうち
7%程度が石油によるものです。
火力発電では、石油を燃やして水蒸気を作って
タービンで発電機を回して電力を得ます。
燃料自体が持つのは、あくまで熱エネルギーなので
これで水蒸気を作って運動エネルギーに変換して
発電機を回す必要があるのです。

熱エネルギーで水蒸気を作って
運動エネルギーでタービンを回して
電気エネルギーが得られる
という感じですね。
こんなふうにエネルギーの形態が変化しすると
その過程でロスが出るので「効率」という表現が出てきます。
電気になるのは石油の持つカロリーのうちの40%くらいです。
電気にならなかった残りはどこに行っちゃうかというと
大抵は熱として放出されてしまいます。
この放出される熱を廃熱と呼びますが
これで温水を作ったりして利用が可能で
そういうのをコージェネレーションと言います。
「コージェネ」なんて聞いたことありませんか?

ゴミの焼却場で熱の再利用をして
バンバン電気起こして
地域に温水とともに供給をすればいいんじゃないか
と思いますが
発電施設をまかなうにはコストが必要で
発電した電気を売っても割に合わない
というのが普及しない理由だそうです。

多くの場合、リサイクルの可否はコストで決まるのです。
割に合わないのでは持続できませんから。

電力会社が電気を高く買ってあげればいいのに
と思いますが
そうすると我々の電気代が上がってしまいます。

ちなみに自動車のエンジンの効率は30%程度です。
最新のエンジンなら40%を超えているのではないかな。
残りは熱エネルギーとして大気中に捨てられてしまいます。
でも冬ならこのエンジンの廃熱をヒーターの熱源にできるのです。
電気自動車は、電力を使ってわざわざ熱を発生させるので
冬場は走行距離が短くなってしまうのですね。

環境問題の先にあるもの

資源や環境の問題がクローズアップ
されるようになってしばらく経ちます。

資源なら
化石燃料の枯渇
環境なら
CO2による地球温暖化
が分かりやすいところですね。

これらの問題は
政治的な目論見とか
経済的な目論見が
透けて見えるような部分もあるわけで
その辺の話になっちゃうと
正直なところよく分かりません。
陰謀論とか出てきちゃうと
もう一体何が正しいのやら。

この資源と環境の問題を
表に出てきているところをストレートに捉えると

化石燃料は無くなっちゃうし
CO2で地球は温暖化しちゃって
このままじゃ続かないよ。

ということですね。

無くなっちゃう化石燃料については
どんどん減っていって
いずれは自由に使えなくなって
我慢せざるを得ない時代がやってくるはず。
「化石燃料」なんて言ってますが
単なる燃料ではなく
様々な物資の原料としての役割も大きいわけで
これが無くなっちゃうと
衣食住の全てに大きな影響が出ます。

CO2だって
これ以上は絶対に排出量を増やせない
というところにくれば
発生源を制限する
つまり、産業とか文化的な活動に
制約を加えざるを得なくなるでしょう。

「もうこれ以上譲れないぞ」
となったとき
一体誰が、どのようにコントロールするのでしょう?

社会主義国なら
一気に制限を掛けられそうです。
果たしてそんなことをやるかどうかは別として。

民主主義で資本主義の国はどうなのでしょう?
国家がそんな制限を掛けられるのか?
法律を作っちゃえばできるのかな?

地球上の全ての国が
同意できるようなシステムを作る?
どうも無理そうな気がします。
同意しない国に対しては
どうするのでしょう?

悪者だ!
って、やっつけちゃう?
まさかね。
いや、どうなのでしょう?

その時どうするのか?
どうなるのか?

資源が無くなってきて
環境が悪化していけば
自然淘汰で人口が減少して
少ないリソースで生きながらえる
バランスポイントがやってくるのでしょうか?
そうかもしれません。

よもや今さら
「なーんちゃって。今のまま当分行けるんですよー!」
なんてこともあり得るのでしょうか。

いずれにせよ
大量生産・大量消費で
進歩して、発展して、安全で快適な暮らし
という同一の方向性を向く人が増えたら
そりゃぁその道筋に必要なリソースは
取り合いになるのは必然で
そもそも戦争が起きる根源は
そんなことだったりもするわけで

一方的に奪われる側になった地球は
我々が必要なリソースが無くなってくる
となったら
争いは激化するのか
争っている場合じゃなくなるのか…

人間は社会的な生き物なので
だからこそ大きな単位でまとまると
大きな力を発揮するわけですが
皆が同じ方向を向くと
皆が同じようなことをして
皆が同じようなものを必要とするわけで
そのうち「もっと!もっと!」となるでしょう。

まさか我々が生きている間に
地球規模の資源や環境の心配を
母なる大地の心配を
しないといけなくなるなんて
思いもしませんでしたね。

人間の欲は凄いです。

今の状況が
本当だろうが陰謀論だろうが
いずれにせよ、今のままの方向で行くことは
限界があるのでしょう。

資源やら環境やらが問題としてフォーカスされていますが
その根底にあるのは
結局は人の心じゃないか
ということですよ。

なぜ今のような状態になったのか?
それは己の利益を追求した結果
なのは言うまでもないでしょう。

仮に陰謀論だとしても同様です。

「己」意外は何か?

他人だったり
他国の人だったり
人じゃなくて自然だったり
地球そのものだったり

結局は
他に対する配慮を怠ったことが原因でしょう。

他を畏れ敬う感覚を失ってしまったら
やりたい放題ですね。
行くところまで行くしかなくなる。

こんなことを考えたりして
これからは「心の時代」がやってくる
そんな気がしているのです。

何のために?を考えよう

若いころはそれなりに野心があったりして
そのために一所懸命なるのは良いと思います。
それによってパフォーマンスは向上するし
いろいろ経験できますからね。
この場合の「野心」とは
自我に基づくものです。
自分が得するためですね。

でも、それなりに経験や年齢を重ねると
自分のことばかり考えていても
あまりうまくいかないことに気付いたりします。

自分の欲ばかり満たしていても
あまり満たされなかったり
小さいことに終始しちゃったり。

何かやるのは良いですが
やはりどれだけ周囲の役に立つか
それが重要なのでしょうね。

得ばかりじゃなくて
徳について考えましょうよ
ってことなんですけどね。

いささか話が説教じみていますが
これは年始に
貢献
という志を立てた自分自身への
説教だったりします。

結局、自分のためのことばかりやっていても
それはまさに自己満足に終始してしまうわけで
結果として小さな価値になってしまったり
諦めるのも簡単なんですよね。

それに、自身の小さい価値観にしがみついているから
悩みも生じるわけで
小さい執着を捨てていくのも今後のテーマだったりします。

この辺はこれから継続的に試したり考えたりして
整理したりしていくことにしましょう。

どうせすぐに答えなんか得られなくて
まだまだ先は長いでしょうけど
人生は有限なので
「後で」とか「そのうち」
というわけにもいきません。

ま、ボチボチやっていきましょう。