根拠なんていらん

根拠なんて
チャレンジには雑音に過ぎません。

理論には根拠が重要でしょうが
チャレンジは理論じゃないですから。

やったことがないし
うまくいく保証がないから
チャレンジなのであって

「これやりたい!」
「俺達だってできる!」
と思う気持ちが実現に結びつく。

勉強ができるだのできないだの
属している組織が有名だの有名でないだの
そんなことも気になるかもしれませんが
そんなのはどうでも良いことです。

なぜかというと
できるかできないかは
未来のことであって
現状がどうかなんて全く関係ないからです。

なので
やりたい
と思うのは全く自由で
やりたければ何とかすればいいだけの話です。
必要なことを今からやればいいのです。

特に現状のような
コロナ禍で自由が奪われている状況だからこそ
その中でできることは何か?
と知恵を絞って努力するべきで
それがチャンスに繋がります。

みんな我慢してるんだから
自分も「普通」に我慢する?

普通にやったら普通にしかならないわけで
それって面白いの?
って思っちゃいますけどね。

自身の
「何をしたいのか?」
「どうなりたいか?」
という気持ちを押しとどめているものがないか
一回自己点検してみるのも良いかもしれません。

根底にあるのが自信の無さだったりしたら
それは大変もったいないことですから。

組織愛の話

人で構成された組織
最小単位だと家族で、最大は国家でしょうか。
地球でもいいですけど。

どうしたらうまくいくでしょう。

そうです。
またコレを考えています。

組織自体も意思とか性格みたいなものを持ちますが
それは構成している各人の持っている
意思と行動によって決まります。

その組織を代表する者の意思で…
と言いたいかもしれませんが
きっと違います。

代表者の意思で組織の全員をコントロールするなんて不可能だし
それが可能だったとしても魅力的では無いし長続きしません。

ならば構成する各人が
どのような意思を持つか
それによって
組織がうまくいくかどうかが決まる
ということです。

みんな組織がうまくいかないときは
総理大臣のせいにしたり
経営者のせいにしたり
往々にして 舵取りをする 責任者のせいにします。

もちろん、舵取りをする人の責任は大きいのでしょうけど
皆が舵を取ってくれる人のため
自分達が乗っている船のためのことをやろうとしないのに
うまく進路が決まるはずがないでしょう。

我々が乗っている船は
豪華客船ではありません。
皆で漕がないと
そもそも進まないのです。

乗組員が
何をもらえるか
そんなことばかり考えていたら
うまくいくはずはありません。

さて、非常に長い前置きでしたが
今回は何が言いたいかというと

自分が属している組織に対する愛がなければ大したことはできない
ということなのです。
地域とか会社とか国とかに対してです。

自分が属している組織に 文句ばかり言っても
何も良くなりません。

本人もスッキリしないし
周りで聞いていても気持ちよくなりません。
だって、文句言っても何も変わらないから。
変わらないどころか
やる気が削がれます。

そもそも、属している組織からもらうこと
ばかり考えていると
やれ、コレじゃ少ないだの、コレじゃないだの
不安とか不満が先に立ちがちです。

なので、まずは組織を愛しましょう。
その大好きな組織のために自分は何ができるか
そこがスタートです。

「何のために?」が自分のためだったりすると
簡単に諦められるし
小さいことしかできません。
そもそもチャンスが得られません。

なぜかというと
チャンスは誰かが放ってくれたりするものですが
自分のためのことばかりやっていても
それは外から見えませんし
見えたとしてもどうでも良いことだから
チャンスをあげたり、力を貸す理由にもならないのです。

「俺が儲けたいんだ」ってヤツに誰がチャンスをあげるの?
あなたならあげますか?

まずは組織を愛すること。
なんて言ってると
「それは社畜じゃないか」
なんて思ってしまうかもしれませんが
社畜は会社を愛していません。

今回の話は、2回目の転職で気付いたことです。
そもそも私、組織に文句を言う人間でした。
でも、文句言っても何も良くなりませんでした。
まぁ、若い頃ってのは皆そういうものかもしれませんが。

でも、ある時を境に気付きました。
組織愛を持って仕事をしていると
文句を言いたくなることが減るし
心配事が想像以上に起きないな
と。
それどころか
面白いことが起きるし
今まで見えなかったものが見えて
人間関係が急激に広がりました。

今思うに
考え方を変えて当事者意識を持つと
自分が環境を良くしていくのだから
当然と言えば当然ですね。

これ、会社だけじゃなくて
地域とか国についても同じだと思います。

嘘だと思うなら試しにやってみてください。
違うな、と思ったらやめればいいだけです。

今所属している東京電機大学はどうかって?
もちろん大好きですよ。

本当はみんな凄いはず

学生達、本当は皆凄い力を持っているんですよ。
みんなですよ。

正確には、凄い力を発揮するポテンシャルを持っている
と言った方が良いかな。

ただし、それがどんな力なのかは
本人すら分からない。
もちろん
親にも先生にも分かりません。

なんで十分にパフォーマンスを発揮できないかというと
志向とか特性とか成長具合とか
人それぞれなのに
それを一緒くたにして
同じようなことをやらせて
その状態で評価しようとするからじゃないかと思います。

まんべんなく色々できる者には良いかもしれませんが
ピンポイントで力を発揮するタイプはお呼びじゃない感じですね。
そういうタイプは決して評価されない。

で、総合的に
あるボーダーを超えていないとお先真っ暗
みたいな脅しを掛けて
「こいつはできない」
ということにする。

それによって
「自分はできない」
と思い込む。

できないと思い込むことにも特典があって
やらなくて済むんですね。
「だってできないんだもん」
ということで。

本当は、言われたことをやるのに
嫌気がさしていたりするだけなんだけど
それによって潜在的なポテンシャルを
発揮するチャンスも無くなったりして。

得意な領域は人それぞれだし
知的好奇心を持つタイミングだって違うし
それによって、やる気が発動されるタイミングだって違う。

確かに、高度経済成長期のようなときは
皆が同じようにできないと大量生産できませんから
そのための人材を大量生産する必要があったでしょう。

でも、今も基本的には変わりませんね。
英語をやらせる学年を下げたり
プログラミングやらせたりしているようですが
皆を同じようにやらせて評価する
という基本的な構造は変わりません。

もちろん、そういうのも必要なのかもしれませんが
全員に必要なわけでもないでしょう。

会社組織に限らず
世の中は、皆が得意なことを提供して
補完し合っているんだし
製品開発なんかだと
色んな種類のぶち抜けたものを持った人達が必要です。

皆と同じように同じことをやりたい
と思う者が
他とは異なる面白いものを
作れるはずがないでしょう。

それに
学力が高くて意欲が低い人間と
意欲が高くて学力が低い人間
どちらが社会に出てから伸びるか
そんなことは考えるまでもありません。
両方持っていればそれに越したことはないでしょうけど
皆がそんなに都合の良い状態にはなりません。

何か得意なことや好きなことを
とことん追求していくのを
もっともっと評価することができると
世の中面白くなると思います。

社会の構造を考えると
学校は簡単に路線変更できないでしょう。
なので夢工房は
ぶち抜けたい学生を応援します。