今年もお世話になりました

いよいよ2021年も本日で最後です。

みなさん、今年はどんな年でしたか?

私は簡単に一言では言えない1年でした。

というのも
基本的には良くないサイクルに
はまっている状態でした。

新しいことをやってもうまくいかない
考えがうまくまとめられない
そんな時期でした。

これ、ヘタにあがいたところで
ダメなものはダメ。

うまくいっているときのように
やろうとしてもダメなのです。

そういう時期というかタイミングはあるもので
これはもうしょうがない。

それが事前に分かっていたので
早々に考え方とやり方を
「ダメな時モード」
に切り替えてやり過ごしました。

具体的には
新しことはあまりやらずに
無理に考えを整理・構築しようとせず
とにかく色々と取り込む。

それらは、まとめようとしても
うまくいかないはずなので
とにかくため込んでおく。

そんな風にため込んだ情報から
何か「ポコッ」と出てくるなら
それは使う。

そんな感じです。
ちょっと分かりにくいかな。

とはいえ
全くどうしようもない、うまくいかない時期で
我慢ばかりだったかというと
決してそんなことはなくて
色々と新しい出会いや発見があったりして
むしろ充実していた感すらあります。

誰しもダメな時期ってあるものですが
それはいつか必ず終わります。

うまく行っている時にどうするべきか
というのが重要なように
ダメな時にどう過ごすかによって
いつか終わるダメな時の次に来る
上がってくる時期の
「上がり方」が決まってきます。

でも、そんな1年も今年で終わりです。
ここ数日何となく
今までの状態が終わりつつある
そんな気がしています。

さぁ、来年はどんな1年にしていきましょうかね。

続・技術の発展とのトレードオフ

技術が発展すると
何かしらのトレードオフが起きるということで
前回はエネルギーの消費という観点に着目しました。

まぁ、良いことばかりじゃないよね
ということです。

今回は人間の能力に着目してみましょう。

そもそも
どうして技術を発展させるかというと

楽したいからです

ですよね?

身近なところで言うと
カーナビを使って運転していると
地理やルートを考えたり
覚えたりする必要は無くなります。
便利でいいね!

でも、労力を払わなくて良くなった反面
今まで必要だった能力は必要なくなるわけですね。

今まで使っていた能力があるなら
多少それが衰えたところで
あまり問題は無いのかもしれません。
それがどういう能力なのか分かっているから。

でも、そもそも地図を見たり
その地図の中の空間における
自分の位置や経路を認識したり
推測したりする能力を
獲得する機会が無かったらどうでしょう。

これ、いわゆる空間認識能力
ってヤツです。

これは、クルマに乗るときだけではなく
他のことに応用が利くのです。

例えば
目標を達するために何かに取り組んでいたりするとき
今の自分が置かれた状況と
ゴールまでにやるべきこと
そういったものを
あたかも地図上に自分がいるように認識して処理する
とか。

安全で快適で便利で
やるべき事は常に外部から指示される
という環境で生活をしていたら
そんな能力は必要ないでしょうけど

一歩、そういう環境から出ると
途端に重要になったりします。

「出なければいいじゃん!」
というわけにはいきません。

そもそも便利な環境は
自分以外の誰かが
考えて、作って、提供してくれたものです。

例えば
学生として生活していると
大抵は消費者としての経験しか無いわけで
当然、提供される側ですが

学生生活が終わって
仕事をするとなると
それらを提供する側に回るわけです。

立ち位置が一気に変わるわけですが
これはなかなかキツイ状況でしょうね。

技術が発展すればするほど
そのギャップは拡大していくのではないかな
と思っています。

今回はカーナビを例に挙げましたが
こういうのは、そこら中に見られると思います。

クルマをはじめとする乗り物の性能向上
天気予報の精度向上
インターネットをはじめとする情報関連の発達
あらゆる製品の安全性向上
などなど

みーんな便利になって良かったね!
なのですが
同時に何かを手放しているのだ
ということも分かっていると良いのではないかな
なんて思っています。

近所の公園から
エキサイティングな遊具が無くなったのを見て
「これで安全で安心だ」
と思う人もいれば
「そんな環境で成長して将来大丈夫だろうか」
と思う人もいます。

そもそも最近は子供は公園で遊びませんけどね(笑)
似たような事例はそこら中にあるわけで
世の中「絶対」なんてことはないので
色々変わっていくのです。

そんな中で
自分はどうすべきかを考えて
試していくのも面白いでしょうね。

未来をつくっていくということ

「自分が播いた種だ」
などと言いますね。

これは、どちらかというと
ネガティブな表現ですが
ポジティブ、ネガティブ問わず言えることです。

播いた種から芽が出る
種を播けば必ず芽が出る

つまり
自分の行いによって未来が変わる
ということです。

「自分は大したことはできないから」

いいじゃないですか
大したことじゃなくても。

小さいことだって
コツコツやっていったり
皆でやっていけば
何かしら良いことに繋がっていったり
楽しくなったりしますよ。

「やることが正しいとは限らないから」
「失敗するかもしれないから」

いいじゃないですか
どんな立派な人だって
経験が十分じゃないうちは
しょうもないことをやってたりするものです。
やりながら最適化すれば良いですよ。

大事なことは
「発する側」
になっていること
そういう意識を持っていること
なのだと思います。

そうではなく
もし一方的に受け止める側になっているとしたら
それは大変残念なことです。

だって、面白くなっていかないから。

学生を見ていると
彼らの課題はもちろん
自分に対しての課題も次々に見えてきます。
それらはそんなに簡単にはできないことばかり。

でも、自分にできていないからといって
学生に課題を投げかけないわけにはいかないと思っています。
(具体的な「ああしろ、こうしろ」ではなく)

なので
「じゃぁ、あんたはできてんのか?」
と言われれば
答えは簡単で
「できてないよ」
なのです。

できていないからといって
やろうとしないのは
面白くならないし
未来に対して無責任です。

その未来は
自分の未来ではなく
皆の未来なのですね。

なので
「みんなでジタバタやっていこうぜ!」
ってことです。

端から受け止める側に立場を固定してしまっているより百倍面白いですよ。