「願掛け」に思う

ある学生が
「俺は勝つまでは大好きな揚げ物を食いません」
と言って、卒業まで揚げ物を食べなかった
なんてことがありました。

いわゆる「願掛け」の一つですよね。
「断ち物」というそうです。

凄いヤツだな
と思いました。

で、それをオーストラリアの友人に話したんですよ。
そんなに上等な語学力を持ち合わせているわけではないので
こういうことのためにこんなことしてるんだよ
って感じですけどね。

そうしたら彼は
「あぁ、sacrificeだな」
と言いました。

sacrifice って
犠牲とか生け贄って意味です。
生け贄とは、神様への捧げ物です。

彼と話しているときに
あぁ、そういう表現になるのね
と思ったので
「そうそう!」
と返しておきましたが

後になって思うと
願掛けって宗教的な行為ですよね。

別に揚げ物食べなければ
具体的に何か良いことがあるわけでは無いでしょうに。
…ちょっとはあるのかもしれませんが
そのためではない。

自分の好きなものを犠牲にして何かを得る

これ、神様とのトレードですね。
誓約とも言えるかな。

これ、宗教的ではあるけれど
特定の宗教に限らず
誰でも理解できる価値観と言ってもいいでしょう。

もちろん
成長の過程で、そういったものがある
という情報を得ていたからこそ
やろうと思ったのでしょうけど

特に意識するでもなく
自然とそこにたどり着いて
実行しようと思うのは面白いです。

特定の信仰を持っているとかいないとか
意識上では色々思ったりもするでしょうけど
無意識下では
何か大きくて偉大な存在
を認めているのでしょうか。
その辺は大変興味深いところです。

我々が日頃自然にやっていることとか
考えていることをについて
深掘りしていったら
色々面白い発見があるかもしれませんね。

自分のためにやったら自分のためにならないんじゃないの?

教育は人材育成なわけですが
学生達がどのように育ってくれるのが理想的なのでしょう。
多くの学生達はどう思っているでしょう。

将来の収入とか安定した生活ってなもんでしょう。
望んでいる程度に差はあるでしょうけど
多くはそんなもんではないかな。
私も学生の頃なんてそんなもんでした。

だってこれ、親だって先生だって言うでしょう?
そのために頑張れって。
自分のために頑張れって。

まぁ、それを真に受けてやってみてもいいのだけど
大抵はうまくいかないんじゃないかな。

というのも
安定した収入が欲しくて
そのために頑張るって
一体何をやるのでしょうね。

資格取ったりスキル上げたり?

それ、何のため?

仕事に使うためですね。

仕事って何でしょう?

他人のために価値を提供することです。
で、役に立てば対価をもらえるんですね。

という仕組みで世の中は回っているわけですが
この仕組みの本質は

相手に価値を提供して役に立つ

ってところです。
対価の大きさは
いかに相手の役に立つか
いかにたくさん喜んでもらえるか
ではないですか?

学校に見つけるのは
そのためのツールだったり材料だったりでしょう。

道具を持っているというのと
上手に使えるというのは
全く別の問題ですよね。

しかも、その道具を手に入れるのは
自分のため?
まぁ、最終的には自分に利益が回ってきたりするでしょうけど
それは他のためにやった結果として
です。

「俺は自分のために仕事してんだよ!」
って人に、気持ちよく支払いできませんよね。

なんてことを今日は考えてました。

学生のうちは
自分のことばかり考えていて
周囲が見えていないことが多いです。
私もそうでしたからよーく分かります。
まぁ、それが若いってことなのかもしれませんが。

このネタ、何回も書いていますが
やはり学校にいるとそういうのが気になるわけで
何とかならないかなぁ
と思うし
それを何とかするのが最重要ポイント
だと思っているので
考え続けちゃうんですよね。

他の役に立つようになる
それがこそ成長の本質でしょう。

でもこれは結構難しいのかもしれませんけどね。
だって、価値観の書き換えが必要だから。

今の世の中は
学力とか学歴とかに執着して
それだけで何とかなる時代は終わっていますが
多くの学校の中はいまだに変わっていないのではないかな
なんて思います。

どんなに利己的だろうが何だろうが
勉強できればハッピーな世界で
勉強できなきゃ役立たず。
そんな物差ししか無かったりしませんか?

もちろん、学生には勉強して欲しいし
勉強できるのは評価すべきとは思うけど
社会の物差しとはズレすぎてるんじゃないかな
なんて思うのです。

手段と目的がひっくり返ってるのでしょうね。

だれもが自分が食うため生きるために
自分のためのことばかりやって生きてたら…

それ、仏教で言うところの餓鬼道の世界じゃないですか。
そんなの嫌だなぁ。

なので夢工房ではマインド重視でいきますよ。
もちろん技術も大事ですけどね。

変態になれるかどうかが成功の鍵

斬新な製品や作品は
多くの注目を集めたり
高い評価を得たりします。

もちろんそれらは
アイデアを出せる人が生み出します。
人と違った考え方や
違うことをする人です。

変な人です。

そういう人達は
ものづくりのシーンでは貴重です。
なにもものづくりに限ったことではないですが。

さて、ではそういう人になりたいですか?

昔は「なりたい!」って人が多かったけど
最近はどうなんでしょうね。

「大変なんだったらいいや」
が大多数かな。
うん、そうだね。
それもまた人生です。

「なりたい!」
と思っている人に朗報です。

皆さんのライバルが激減しているかもしれません。
今なら頑張ればより目立つし
より多くのチャンスを得られるかもしれません。

もっとも、ライバルが減ったからって
チャレンジのハードルが下がるわけではないでしょうけどね。

斬新な素晴らしい物を生み出すのだから

変わったことができるか?
リスクを取れるか?
失敗を乗り越えられるか?

というハードルは厳然として存在します。

見てもお分かりの通り
これらのハードルは
知識や技術の問題ではありません。

心の問題です。

人と違ったことを頑張れるのか?

という。

もちろん、頑張っていく過程で
知識やら技術やらは必ず必要になるでしょう。
でも、その段階の前提条件として
心の問題があるということです。

多くの人は
成長過程において
褒められることとか
少なくとも
怒られないことを身に付けていきます。

変わったことをしていると
褒められないどころか
批判されたり怒られたり心配されたりしますので
自然と手を出さなくなっていって
無意識下で
怒られないために
という行動原理が働きます。

授業とかで消極的な姿勢を取る場合も同様でしょう。
余計なことをして怒られるのを避けるために
「やらない」という選択をしています。
その方が楽だし
みんなそうしているから。
この選択は自動的に働いていますので
「やらない」ことによって怒られたとしても
勝手にそうなっちゃっているので
どうしようもありません。

さて、ここでは
ダメなケースを吊し上げるのが目的ではありません。

無意識に人と違ったことができなくなっちゃっているのに
それを意識的に修正するのは
思っている以上に難しいよ
ってことが言いたいのです。

だって、意識できていないのだから
自分で気付きようがないのですよ。
まずこれが一つ。

それに
「みんなそうしているから」
となると、これまた大変です。

なぜかというと
メインストリームに乗っかって安心する
のが行動の目的になっているから。
これが二つ目。

さらに
人と違ったことをするのは
「安心」が行動原理ではありません。
むしろその逆の感情と向き合うことになるかもしれない。
ワクワクする感情は
その先にしかありません。

なので、安心の壁をぶち破って
その先に行きたい
と思えるように
自分の心を改造できるのか
これが三つ目。

これらを何とかすれば
何とかなっちゃうんじゃないかな。

でも別に特別なことじゃなくて
パッションを持って頑張ろうぜ!
ってことなんですけどね。

頑張り続けていると
それが習慣になって
自分にとっての「普通」になります。
そうしたら
次へ次へ!
って、自分でハードルを上げて行けますよね。

もっとも、自身の変化を
楽しめるようにならないと難しいですけどね。

斬新な素晴らしい物を生み出して
ワクワクする世界はその先にしかありません。

今の世の中
ワクワクして頑張っているヤツに乗っかって
ワクワクさせてもらおうたって
そういうのが通用するほど余裕がない。
なので自分でやりましょう。

夢工房の学生達の皆が
その辺をできているかというと
必ずしもそんなことはありません。
多くがジタバタ苦労してますよ。

でも良いんです。そういうプロセスは必要ですから。
そういう連中の背中を押すのが私の仕事です。
授業じゃないから動かない者の背中は押しませんけどね。