習慣は自身(自信)を作る

最初に言っておきましょう。
私自身、大した習慣はありません
でも、何とかしようとチマチマ努力しています。
だって、習慣が自分自身を作っていくのを知っていて
何とかしたいと思っているから。

習慣を作れれば運命を作れる
とか言うと
何やら哲学的かつ怪しい響きがあるかもしれませんが
自分の行いに対して
何かしらの結果が出るのは当然です。

なので
自分で決めて、自分で何とかしたいのです。
それが面白いから。

「そんなの面白いの?」
とお思いですか?

面白いですよ。

ピンとこなければ
逆を考えるとすぐ分かります。

他人に決めてもらって、他人にやってもらう

これ、楽かもしれませんが
ちっとも面白くありません。

自分で決めて、自分で何とかするのを
自由と言います。

自分で決めずに他人に決めてもらって
他人 にやってもらうのは
不自由です。

さらに
何もしなくていい
なんて方向性を追求したら
生きてる意味すらありません。

ただ、なんでもかんでも
自分で決めて、自分で何とかできるのか
というと
決してそんなことはないので
領域は決めています。

なので、自分が力を入れない領域側の人から見れば
しょうもない無能に見えるかもしれません。

でも、そういうのはあまり気にしません。
何事も完璧なんて無理ですから。

何でもかんでもちゃんとやろうとすると
力が分散されて大したことはできないと思っています。
万能でもなければ完璧でもないから。

能力が低いなりに何とかするには
一点突破の戦略を取るか
長期戦に持ち込むかしかありませんが
そんなに長く生きる予定はないので
自ずとやり方は決まってきます。

こういう考え方って人それぞれでしょうけど
私はそう思っています。

それぞれが、それぞれの領域を頑張って
互いに支え合っていく
人の社会ってそういうものでしょう。

さて、やや脱線気味になりましたが
習慣とは一体何でしょうか?

毎日の決まった行動ですね。
意識的にやっていることと
無意識にやっていること
両方を言いますが

特に無意識でやっていることを

と呼びます。

これ、たいして意識していないわけだから
たいした結果にはならないだろう
と思いがちですが…

決してそんなことはありません。

一つひとつは小さな行いですが
無意識に何度もなんども
延々と繰り返されるのですから
それなりの結果になるのは当然でしょう。

意識的な習慣も
延々と繰り返すうちに
無意識で行動できるようになります。

もちろんそれによって
相応の結果が得られます。

であれば
最初から狙った結果に向けて
習慣を設計して実行して繰り返すうちに
自動的に狙った結果が得られる
そんなことになりますね。

無意識な習慣で色々うまくいくなら、それは
「自分は運がいいぞ!」
って感じになるのかな。

いずれにせよ
「自分はきっとなんとかできる」
という自分を信じられる感覚
すなわち自信も得られるでしょう。
というか、そう思えるように習慣を作ればいいのですね。

はい!これで自信が手に入りました!

習慣は、考え方に起因すると思っています。
もしくは感情や価値観。

当然ですが、それによって作られた習慣は
全てがポジティブなものとは限りません。

望まないものを自動的に回避するためだったりする習慣などは
チャンスも同時に回避してしまうことがあるし
なぜかネガティブになっていくような習慣もあったりします。

そういうものに気付けるかどうか
というのが難しいところですが
気付いてしまえば
ポジティブな習慣を作って
それを上書きしてしまえばいいのです。

ある人がこれを
成功の自動実行
と呼んでいて
なるほどな
と思いました。

自分がどういう人間かなんて
自分で決めて上書きしてしまっていいのです。

もし現状が気に入らなければ
自身を再構築してみたらどうでしょうか。

無理かどうかはやってみなければ分かりませんし
少なくとも何もしない現状よりは良くなるはずです。

変われるのか

学校にいると
人の能力がどのように伸びるのか
が分かって面白いです。

ちなみにこれ
いわゆるお勉強だけの話ではありません。

人はどうすれば伸びるのか
という決まった答えがあったら
とても楽な反面
とてもつまらないでしょうね。

そういうのは
人によってそれぞれで
時と場合によっても変わってくるでしょう。
担当の教員が私じゃなくて
もっと優秀な先生だったりしたら
また話は違ってきますし。

人は色々な能力を持っていますが
興味深いのは
果たして伸ばせない能力はあるのか?
それはどうにもならないのか?
ということです。

各人の持つ特性とか性格とか
そういったものが
大きく関わってくるのはもちろん
やはり
「変われるのか」
というのが鍵になるでしょう。

これは
どういった考え方・やり方をすると
どういった結果になるのか
という
「原因と結果の法則」
みたいなものですが

ある特定の能力が伸びない原因は
考え方
にある場合が多いですね。

なので
今の考え方を変えずに
「足し算」
みたいなやり方では
どうにもならないことがあります。

単に何かが足りないなら
「足し算」
で良いのですが。

例えば
以前投稿した「視座」が固定されたまま
つまり考え方が固定されたままでは
見えないこともあって
その場合は、足し算してもどうにもならない。

「変われば良いじゃん」
と思いますが
どうにも難しいことがあります。

必ず理由はあるのでしょうけど
それは本人にも分からなかったりするのです。

そんな現状の考え方を
どうしたら変えられるのか?

もちろん外力では変えられません。

こんなの簡単に分かったら苦労しないのですが
大変興味深いテーマの一つなのです。

え?
もっと自分の能力を伸ばしてから
偉そうなことを言えって?

仰るとおりでございます。

難しい世の中

別に世の中が難しいってのは
今に限ったことでは無いとは思いますが
今の状況はなかなか難しいですよ。

コロナ禍に関して言えば
感染拡大防止と経済がトレードオフ

環境問題に関して言えば
環境悪化抑制と経済がトレードオフ

きな臭い世界情勢に関して言えば
…これ、一言では言えないのかな。
でも、各国の利害のトレードオフ
なのでしょうね。
これも経済がらみと言えなくもない。

たかが経済、人命最優先!
と軽々しく言うなかれ。
経済的に困窮すると
後には人命に関わることに発展しますので
なかなか判断が難しいのでしょう。

お金がなければメシ食えないし
国防もままならない
ということで、経済問題は
命に関わる問題に発展する可能性があります。

経済は人命を守るためのリソース
という言い方もできるかもしれません。

国の舵取りをしている方々は
さぞや大変な思いをしていることでしょう。

こういう諸々のトレードオフについて
頭の良い方々が色々考えているのでしょうが
これといった完全な形の回答は出ないでしょうね。

と言うのは、あらゆることについて
丸く収まる完全なやり方はありません。
必ず何かしらのリスクを取ることになります。

理屈では最善とか何とか言えるかもしれませんが
人は感情で動きますから
理屈だけでは納得できません。

なので、仮にそれをやったとしても
全ての人が受け止められるわけはなくて

取ったリスクが気に入らなくて
文句言ったり暴れたり
ということが起きるかもしれません。

政治家は、票を取ってナンボでしょうから
今の世の仕組みだと
未来を見据えて嫌われても志を貫く
といったような
古風なやり方はできないのかもしれません。

これは政治家に関わらず
民間の我々も同様です。

文句を言われたり嫌われたり
その辺が凄くクリティカルで恐ろしい。

そんなことないですか?

例えば
こんなブログは
頭の良い人から見たら
「なに言ってんだ、バカ」
ってなものでしょう。

そういうのが気にならない
と言ったら嘘になります。
自分の考えをさらけ出すって
結構勇気が要るのです。

地味に展開しているせいか
幸いにも今のところは
何の中傷もありませんが。

こんな駄文でも
多少なりとも
誰かの役には立つこともあるでしょうから
書き続けてます。

政治家の文句を言っている暇があったら
自分のつたない経験から
多少でも役に立ちそうなことを
チマチマ発信した方が良いですよね。
誤差程度には世の役に立つでしょう。

こんなことを続けていても
たいして満足感は得られないので
自己満足ではないのですよ。

ちょっぴり勇気が必要だったり
継続したりしてるから
メンタルのトレーニングには
なっているかもしれませんけどね(笑)

というわけで
難しい世の中ではありますが
できることをやっていきましょう。