「願掛け」に思う

ある学生が
「俺は勝つまでは大好きな揚げ物を食いません」
と言って、卒業まで揚げ物を食べなかった
なんてことがありました。

いわゆる「願掛け」の一つですよね。
「断ち物」というそうです。

凄いヤツだな
と思いました。

で、それをオーストラリアの友人に話したんですよ。
そんなに上等な語学力を持ち合わせているわけではないので
こういうことのためにこんなことしてるんだよ
って感じですけどね。

そうしたら彼は
「あぁ、sacrificeだな」
と言いました。

sacrifice って
犠牲とか生け贄って意味です。
生け贄とは、神様への捧げ物です。

彼と話しているときに
あぁ、そういう表現になるのね
と思ったので
「そうそう!」
と返しておきましたが

後になって思うと
願掛けって宗教的な行為ですよね。

別に揚げ物食べなければ
具体的に何か良いことがあるわけでは無いでしょうに。
…ちょっとはあるのかもしれませんが
そのためではない。

自分の好きなものを犠牲にして何かを得る

これ、神様とのトレードですね。
誓約とも言えるかな。

これ、宗教的ではあるけれど
特定の宗教に限らず
誰でも理解できる価値観と言ってもいいでしょう。

もちろん
成長の過程で、そういったものがある
という情報を得ていたからこそ
やろうと思ったのでしょうけど

特に意識するでもなく
自然とそこにたどり着いて
実行しようと思うのは面白いです。

特定の信仰を持っているとかいないとか
意識上では色々思ったりもするでしょうけど
無意識下では
何か大きくて偉大な存在
を認めているのでしょうか。
その辺は大変興味深いところです。

我々が日頃自然にやっていることとか
考えていることをについて
深掘りしていったら
色々面白い発見があるかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です