海外遠征のお話

このところ12月は
ほぼ毎年オーストラリアに行ってました。
Formula SAEの大会に参加するためです。
もちろん今年はコロナ禍のために遠征は中止です。

12月のオーストラリアは真夏です。
なので、結構長いこと12月の3分の1は
日本の寒さから逃れられてたんですね。
寒いのが苦手な人間としてはラッキーでした。

オーストラリアで毎年お世話になっている
皆さんに会えないのは寂しいですね。
遠征の拠点にしていたメルボルンは
結構厳しい規制が敷かれているようで
あまり自由に移動できないような話も聞きます。
みんな元気でやってるかな。

2019 Formula SAE Australasia

遠征は旅行ではないので
お気楽で楽しいものではないです。
正直かなりしんどいです。
エキサイティングな日々ではありますが。

私は長いことあちこちの遠征に付き合ってきたので
慣れてるといえば慣れてるので良いですが
恐らく学生達にとっては
いろいろな感情がごちゃ混ぜになった
凄い体験なのだと思います。

遠征に行っているおよそ10日間は
心も体も早朝から深夜までフルパワー
アドレナリン出まくりです。

では、そんな遠征は嫌なのかと言われれば
決してそんなことはありません。
私も学生達も。

大変なことの裏側には
常にやりがいとか充実感とかがありますからね。

大変な思いをすればするだけ得られるのもは大きいです。
彼らの成長ぶりも遠征の前後では見違えるようです。
本人達は気付いていないかもしれませんが(笑)

異なる文化の地で
どうしたら良いか分からないことの連続で
それらが一々避けて通れないことです。
何が何でもやるしかない。

とはいえ
語学が苦手な学生でも
普段は消極的な学生でも
いざとなったらやるもんです。
大抵は何とかしちゃう。
これには感心してしまいます。

例えば
大会中に部品が壊れてスペアが無い。
仕方ないので手書きで図面描いて
近所の工場に飛び込んで作ってもらう
とかね。
しかもタダでやってもらうとか(笑)

現地の学生と一緒に
バイクの解体屋さんを探して
スペアパーツを探して買ってくるとか。

重要な部品を日本から持ってくるのを忘れて
現地で専門業者を探して
ゼロから作ってもらうとか
そもそも忘れんなよ!って話なんですが
それでも、その状況を期限内になんかすることに
意義があるのです。

他にも
「おいおいマジかー!」
っていうような
凄いことをやってのけることもあります。

こんな遠征を経験した学生達は
得体の知れない自信を身につけます。
天狗になるという意味ではないですよ。
やればなんとかなるって実感するんでしょうね。
その感覚を体で習得する感じかな。

遠征が終わるたびに
「もっとみんながこういうことすれば良いのにな」
と思います。
Formula SAEとか惑星探査機CanSatの遠征に限らず。

でも、みんなは無理だな。
大変だもん。

こんな凄い経験をさせてくれている
大学や支援者の皆さんには感謝することしきりです。
学生達は、いつかこの恩を返せるようにと
日々頑張っています。

明日からはオンラインでのオーストラリア大会が
スタートします。
授業やら何やらで
準備が十分できなかったようにも見えるけど
ベストを尽くしてもらいましょう。

電気の時代がやってくる 本質編

EVについて色々考えていたら
何か分かった気がしたので備忘録。

EVが良いだの悪いだの
好きだの嫌いだの
という話ではない

EV化は手段(道具)に過ぎない
本質はもっと根底の部分にあって
手段にフォーカスしていると見えなくなる

クルマがが電気で走ることの本質は
これから世の中が大きく変わるということ
EVはそのきっかけで一部に過ぎない

どのくらい大きな変化が起きるだろうか

本来火を恐れるはずの人類の祖先が
火を手に入れて
生き方が変わったように

石器や土器をつくりだして
金属器をつくりだして
生活が変わったように

エネルギー密度の高い燃料である
石炭を手に入れて
蒸気機関車や巨大な蒸気船を
動かすようになったように

よりエネルギー密度の高い
石油を手に入れて
空を飛ぶようになったように

原爆を手に入れて
戦争が変わったように

今回はどのくらいのスケールの変化なのか
どのように変わっていくか
それは考えてもわかるはずはない
だって、これから起きることだから

正しい対応は
先を見通すことではなく
変化そのものをつくっていくこと

考えてもどのように変わるかはわからない
であればどうするか
いろいろやってみてるしかない
やりながら考えてつくり上げるしかないだろう

どうなるか
ではなく
どうするかだ

チャレンジする心が重要になる
まずは電気自動車に対応できるか
で試されるかもしれない
変化に対するリスクを取れないと終わり

テクノロジーは大事だが
最も重要なのはそれを駆動する心
チャレンジする心が明暗を分ける

正しい答えしか言っちゃダメ
という価値観から抜け出せなければ
前に進めなくなる

先がわからないのだから
正しい答えなんて
そもそも無いのだ

勇気ある馬鹿野郎が必要になる

仕事の本質

偉そうなタイトルですね。
すみません。
でも難しい内容でも
偉そうな内容でもありません。

最近
世のため人のため
ってあまり聞かなくなりました。

そんなのは偽善的で受け入れられないのかな。

自分が食うために
やりたくないけど
我慢して
頑張ってんだよ!

って言わないとダメ?

本来、仕事とか経済活動っていうのは

自分にできないことを
誰かにやってもらって
「ありがとう」
って対価を渡す

他の人が喜ぶことを
やってあげて
「ありがとう」
って対価をもらう

ってことでしょう?
それが本質ですよね。
とてもシンプルです。

会社のような組織だって
一人じゃできないことをやるために
いろんな人が集まって
特技を活かしたり
お互いを補いながら
顧客(他人)に価値を提供していくのですよね
喜んでもらうために

「喜んでもらうなんてきれい事だ!」
なんてことはないですよ。

「わあ、いいな!」
って心が動くからものを買うのでしょう?

買ったものに満足がいけば
嬉しいでしょう?

本質はそこですよね。
人の心を動かすための
熱意と感謝
かな。

最近になって
「ユーザーエクスペリエンスのために」
とか言い始めてますよね。
より良いユーザー体験のために
ってね。
これってつまり
お客さんに喜んでもらうのが大事だ
ってことでしょう。

さてさて
夢工房では
学生がレーシングカーや模擬惑星探査機を
つくってたりします。

彼らは日頃やっていることを
「仕事」
と呼んでます。

もちろん給料みたいな報酬はもらっていません。
この活動をすることによって
将来やりたいことに近づく
就職に有利
自分の成長のため
好きなことを一所懸命やりたい
とかは
もちろんありますけどね。

彼らは
周囲の支援があって活動できてます。
なので
みんなを喜ばせないといかんのです。
そんなゴールがあれば
簡単に諦めるわけにはいかない。

当然うまくいかないことはあります。

理由は色々ありますが
多くの場合は

自分のためにやってるから
だったりします。

自分が失敗したくない
自分が傷付きたくない
自分が苦労したくない
自分が褒められたい
とかね。

こういった活動は
エキサイティングで
やりがいがありますが
当然大変です。

こんなことを
自発的に継続できているのは
人のために
と思ってやっているからだと思います。

なので
彼らにとっての仕事なんです。

応援してくれてるみんなのために勝つんだ!
と思ってたら
そう簡単に諦められませんよ。

2019年オーストラリア大会参戦時 Honda Australiaにて

海外にも応援してくれる人たちがいます
ありがたいことです