夢工房での学び

多くの場合
学校での学びは
言われたことをやる
言われたことができるようになる

ですよね。

もちろんそういう能力も大事です。
でも
そういうのは授業で習得することです。

ここ
夢工房は違います。
授業ではありませんから。

我が夢工房で学生は何をやっているか

学生自身がやりたいことをやっています。
ですが、好き勝手にやっているというわけではありません。

やりたいことを考えて
決めて
約束してもらいます。

平たく言えば
「こういうゴールを達成するために頑張ってやります!」
という約束です。

そうしたら必要なもの(リソース)を提供させてもらいます。

学生に提供できるリソースは
設計と製作のための作業場所
今まで蓄積されたノウハウ
作業に必要な機器類(工作機械や工具類はもちろん
設計のためのPCや各種計測器)
などなど
あとはアドバイザーとしての教員(私です)

今ここで活動しているプロジェクトは
学生自身がぶち上げたゴールに向かって
彼ら自身の力で動いています。

私は、そんな彼らに価値を感じるからこそ協力しています。
逆に、価値を感じられなくなったら協力できません。
なので、彼らはやりたいこと続けるやるために、日々一所懸命やる必要があるのです。

授業だと、点数(単位)を得るために必要最低限の内容になりがちだし
そのために教員は学生に「やらせて」しまう。
当然学生は受動的になってしまいます。
クラブ活動だと、盛り上がっているうちは良いですが
そのうち熱が冷めると、やってもやらなくても自由といった感じになりがちでです。
そいうことに力を貸しても、あまり意味は無いと思っています。
誰も喜ばないですもんね。

でも、学生自身が高い目標を設定して一所懸命やれば
その成果で誰かしら喜んでくれるでしょう。
これ、主体的な学びってヤツですよ。
しかも、自分以外の誰かが喜んでくれるというのは、自身も結構幸せなものです。
だからこそ継続できるというのもありますね。

そうそう、最低限の目標じゃダメなんですよ。
盛り上がらなくて継続できないから。
最低限の目標を達成しても、自身は安心はするかもしれませんが
あまり喜びは無いでしょう?
もちろん自分も周囲も。
そういうのを続けるのは難しいですよ。
色んな意味で。

自分以外の人が喜んで価値を感じてくれるからこそ続けられる活動って
とても意味があるんじゃないかと思うのです。
そりゃもう、色んな意味で。

理論が先か実践が先か

学校では理論をまず学ぶけど、これで本当に良いんか?と思うことがあります。

勘違いしないでくださいね。
理論は重要です。
でも、理論から入って、理論のみで終わるようなやり方に疑問を感じるということです。

今日はたまたま製図の授業をやったので、図面の話しでいきましょうか。

そもそも昔は図面なんて必要なかったんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの頃なんて、図面じゃなくて「絵」ですから。

要は、考えた人が、欲しい物を、一個だけ作るのであれば、基本的に図面は要らんということです。

そもそも、なんで図面が必要かというと
まず一つは、設計者と製作者という分業にすると、意思伝達のために必要
あとは複数個を生産するときに、もしくは時間が経った後に生産するときに、寸法とか品質をそろえたり、再現したりするために必要

他にもあるのでしょうけど、代表的なのはざっとこんなもんでしょう。

でね、そういったことを体験していない者に
「物をつくるのには図面が必要だから、知識やスキルとしての作図ができるようになるのだ!」
と言ったとことで、なぜ、何のために、どの程度、何ができると、どういうことが起きるかは良く分からんのですよね。腹落ちしない。
つまり、学びの動機が不十分ということです。
もちろん、作図自体が好きで喜びを感じられるケースもありますが、これは例外でしょう。

なので、自分が欲しい物を考えて、そのために必要だと思う図面を描いて、自分で作ってみると良いんですよ。

そうしたら、なぜ図面が必要かなんてのはもちろん、寸法の振り方とか、精度の要否とか、重要なことは、ぜーんぶ体験として身に付いちゃうでしょうね。

物は正直なので、それを考えた者、作った者の、その時の状態を、そっくり現します。
その人間以上の物ができるということはない。
なので、物を良くしたいと思ったら、自身を磨くしかない。
良い物をつくりたいと思ったら、学ぶしかないわけです。

おお!技術は人なり!

そもそも、良い物をつくりたいと思う動機が必要なのですがね。
動機付けこそが難しいところで、最も重要なのかもしれません。

てなわけで、レーシングカーとか惑星探査機、ロボット、鳥人間なんかはテーマとしては最適なんでしょうね。
エコランカーなんて、最近じゃ中学生もやってますもんね。

やっぱり、根源をたどっていくと、大事なのは「思い」とか「夢」ってことになるのでしょうね。
その実現のために理論や実践が必要なんですよ。

学校のやり方 夢工房のやりかた

学校教育で難しいとことは色々ありますが
全員が同じようにはならないってことも一つかな。
相手が人間なわけだから当たり前ですけどね。

もっとも、皆が同じになっちゃったら面白くも何とも無いんだけど、管理って見方をするなら、それが楽なんでしょうね。
仕事が楽なら良いのかというと、決して良くないし、誰も得しないと思いますが。

学校に限らず、組織において全員が同じようなモチベーションや、同じような能力を持つことはありえないですよね。
でも、学校で教育をする上では、「全員が同じように」という前提があるように感じます。
明確にそうしろと言われている訳じゃありませんが、大抵は暗黙のうちにそういう方向になっているケースがほとんどではないでしょうか。
ぶっちゃけ全員から同じ学費もらっていますからねっていうのもあるのかもしれませんが、学校の方針がとか、文科省がなんたらとか、そんなのを抜きにしても、自然とそうすべきだという方向になる気がします。同調圧力ってヤツかな。

で、同じような教育効果を与えるなら
飛び抜けたことはやらせないで、底上げを図った方が均質に近い状態になるでしょう。
恐らくこれは意識はしていないけど、結果としてそうなっているんだと思います。

だってめんどくさいもん。

上に上に行きたいヤツは、勝手に色々やりたがります。
ところが、それが先生の専門領域外のことだったりするし
もちろん本人は経験が無いもんだから失敗も多い。
で、先生はそこで「教えなきゃ」って思ってしまう。
でも、ヤツらがやりたがるのは、自分の専門のことばかりじゃなかったりするから困っちゃう。

本当は、学生が自分の専門領域外のことをやろうとしたら、それは喜ぶべきことです。
そんな時は専門の人を紹介したり、調べ方を教える程度で良いんだと思うんだけど
先生は真面目な人が多いので、そういうのは無責任なやり方と感じてしまうのか
あまりやりたがらない人が多いようにも見えます。
もちろん人にもよるだろうけど。

やる気に満ち溢れた暴走野郎のハンドリングは面倒なのかな?
面白いと思うんだけど。

会社で仕事してる時って、専門領域外の問題があったら
頑張って自分で調べてやってみるか
「そんなの専門の人に聞けばいいじゃん!」
とかで一発解決です。
学校でもそれで良いんだと思います。

暴走野郎の頭を押さえつけ続けると、つまんないヤツになっちゃうもんね。

本当は「教える」んじゃなくて、逆に「どうしたらいいと思う?」って聞いて、まかせて、やらせてみて、結果を評価してフィードバックするのが一番良い学びになると思うんですけどね。

私は、いまだに会社で仕事してたやり方が抜けないので、万事そんな調子ですが。
今のところこれで良いと思っているので、このままいっちゃいますよ。

でも、細部のモディファイは日々やってます。