尖ってないとね

スイスアーミーナイフってありますよね。
多機能で便利なナイフです。
古い言い方だと、十徳ナイフと呼んだりもしますが。
スイスのビクトリノックスのものが有名です。赤いグリップのヤツ。

これ、色んなことに使えるのだけど、それぞれの機能がさほど優れているわけではないです。
缶切りも栓抜きも、個別の道具に比べれば、どうも中途半端な使い心地だったりします。
挙げ句は、ナイフ自体も中途半端な使い心地。

でも、それは仕方ないことです。
往々にして、色々できるようにしちゃうと、何かしら妥協をせざるを得ないから。

レーシングカーもそんなものです。
ある特定の使用法に特化していますから、それ以外の使い方をすると、すこぶる使い勝手が悪かったりします。当然です。

じゃぁ、色々使えちゃう乗用車はどうなのでしょう?
日常使いの使い勝手とか、安全性とか、コストとか、それはもう凄いレベルで開発されています。
でも、ある範囲のユーザーの使い勝手を想定して開発されているので、その範囲外では使い勝手が悪いこともあります。
もちろん、純粋な走行性能でレーシングカーに敵うはずはありません。これまた当然です。

さて、今回何を言いたいかというと
別にまんべんなく色々できなくてもいいじゃないの
ということです。

「色々できると選択肢が広がる」
なんて意見があって、一見それはもっともな気がしますが、そうでもないことが多いですよ。

それは、就活などで考えると分かりやすいかもしれません。

特に何ができるわけでも無いけど、そこそこまんべんなくできたりする人を採用するのは難しいです。
だって、特徴が無いなら選ぶ理由がないからです。

それに、まんべんなくそこそこ色々できる人のゾーンってのは、多くが狙うところなので、過当競争のまっただ中に突入することになります。

結果、「中途半端に色々できでも選ばれない」ということになる可能性があります。

さらに言うなら、勉強ができるというのと仕事ができるというのは全く別の話です。

なんでもかんでもムチャクチャできる、というなら話は別でしょうが。

これ、「ボチボチのところで妥協しようぜ」という話ではなく、戦略の話です。
就活向けの戦略と言うより、生きるための戦略と言っても良いかもしれません。
自分自身の価値の作り方です。

なんでもそこそこできるのも良いけど、そのゾーンで優位性を発揮できる自信が無いなら、何かに特化した、尖ったところを狙のが良いでしょう。

すでに「やるべき」と決めたものがあるなら、そこに力を入れ続けるのが良いでしょうし、何も無いなら、何かピンと来たものに手を付けて、継続するのも良いでしょう。

気をつけて欲しいのは「探す」は案外危険だということです。
こんな時、何を探すかというと、大抵は「今の自分にできそうなこと」でしょう。

これ、今の自分にできるなら誰でもできそうなことだったりしますし、そもそもそんなものは見つからずに、時間を浪費することになるのも良くある話です。

ピンと来たものがあるなら、それこそがチャンスです。
最初はうまくいかなかったりするなら、それは誰がやってもうまくいかないことだったりもするわけで、あまり気にする必要はありません。むしろチャンスです。

何をやるかってのも大事かもしれませんが、諦めずに継続できるってのは、仕事をする上で最も大事な資質の一つですから。

継続して磨き続けていれば、きっと尖ってきますよ。

とは言うものの、学生であれば特定の単位を取らないと、進級や卒業が心配だったりするでしょう。
それらをやっつけながら、ということになるので、なかなか厄介ですね。

想像力を得るには

これを知っていれば
とか
この資格があれば
とか
それで何とかなる仕事も世の中にはあるのかもしれませんが
開発をはじめとする、創造的な仕事はそういうものではありません。
もちろん、知識とかスキルとか経験は大事なのですけど
創造的な仕事には、想像力が必要です。

昨日の記事で
想像力は大事だよね
という話をしたつもりなのですが、ではその想像力を養うためにはどうしたら良いのでしょう?

そもそも想像力が不十分だとしたら、それはなぜ?

色々と理由はあるでしょうけど、端的に言ってしまうと、今まで想像力を必要としてこなかったからだと思います。想像力があまり必要無い環境で生きてきたとか。
必要の無い能力は、伸ばす理由がありませんから。

例えば、親とか先生がやるべきことを指示して、子供が忠実にそれを実行する
みたいな関係だと、子供は想像力は必要無いですよね。
言われたことをやれば良いだけだから。

言われたことを忠実に実行するなら、その時はとても良い評価を得ると思います。
授業の成績が良かったり、言うことを聞く良い子という評価を得たり。

対して、偉人伝とかにありがちな、不遇な幼少期を過ごしている間、想像の世界に逃げ込むようなストーリーがありますが、何かが不足しているような状態だと、その不足分を想像力で補うようなことをしたりするわけでです。
まぁ、不遇な幼少期なんて例えは極端かもしれませんが。

まぁ、理想と現実のギャップを埋めたいといったような欲求が想像力を育むのではないかな、なんて思うわけです。

なので、理想を想像するのがスタート地点…
なのですが、そもそも想像力が無いとスタートできないってことになっちゃいますね。

どうしたらいいのでしょう?

これといった答えはないのですが、今まで学生達を見てきて気付いたことがあります。

何かしらの自己の欲求を達成したいという欲望というのは誰しも持っていると思います。
これが
言われたことをやる、というか、言われたことをやりたいという欲求と言ったら良いのでしょうか、それに対して優先するタイプは総じて想像力が豊かです。

「やりたい!」「欲しい!」「それが必要だ!」
という気持ちが強ければ、想像せざるを得ませんものね。
まぁ、当たり前と言えば当たり前です。

これはもう、本人の価値観の問題です。
結局、人はなりたいようになっている、ということでしょうか。

仕事って何だろう?

特に、何か新しいものをつくる仕事についてです。
「もの」とか「つくる」を、平仮名で書くのはなぜかというと
産業だったり、農業だったり、アートだったり
形があるものだったり、そうでなかったりするから。
基本的には、何かアウトプットするものを形作るということです。

そのためには…

相手に渡すべきものが必要
なので
それをつくることが必要
なので
それを考えることが必要

となるわけですが、ポイントは、これらは全て未来におけることだということです。

今、この瞬間ではなく
未来において、相手に価値を渡す
そのためのことをする
それが「仕事」です。

未来は不確定なものなので、想像するしかありません。

なので
未来を想像できない
相手の気持ちとか状態、環境などを想像できない
となったら、それは仕事ができないということ。

ただ、想像したところで、ハズレることもあります。
やってみないと分かりません。
なので、一定のリスクから逃れることはできません。

そのリスクを取れない場合も、仕事ができないということになります。

これは、劣っているとか優れているとか
善とか悪とか、そういうことではありません。
人にはそれぞれ適性とか志向があります。
誰もが同じことをやらなければいけないわけではありません。

想像力を要したり、リスクを取る必要がある仕事はある
というか、大抵の仕事は、多かれ少なかれそういったものを求められるわけで

自分に仕事を合わせるか(仕事の選択)
自分を仕事に合わせるか(自身の成長)
これらのいずれかを選ぶ必要があります。
まぁ、両方とも必要でしょうけど。

自分が、どうなりたいかを決めて、磨く
ってのが、カッコよくて面白いと思うのですけどね。

昔、良く言われましたよ
「先を見ながら、足元も見て、仕事すんだよ!」

未来を想像しながら、そのために今を頑張れ
ってことです。
うん、そうですね。