留まってフラフラしろ

何か一つに拘って
頑張り続けて諦めなければ
大抵のことはそれなりの結果になる
と思います。

拘る「一つのこと」が
何か特定の要素なのか
それとも
何か特定の領域なのか
その「広さ」は人それぞれかとは思いますが
続けるって実に難しい。

習慣になるまでは。

「深さ」に関しては
頑張っていやっていくと
ある程度の領域で壁みたいなものがあって
その辺にライバル達も揃ってきたりします。
そのあたりの景色は
レベルが上がらないと見えない領域
だったりしますが。

チャレンジしはじめは
当然ながら最初はうまくいかないわけで
頑張ってうまいこといくようにしていくわけですが
やり方というか、取り組み方が一緒なら
出る結果は一緒なので
ダメなら色々とアプローチを変えてみる
なんてことが大事だったりするのですけど

学生を見ていると
なかなかやり方を変えられなかったりして
「あぁ、そういうのって意外と難しいんだなぁ」
と思います。

やはり「変わる」って難しいですね。

じゃぁ、変わらないのが楽なのかというと
一つのことに拘り続ける
なんてのは意外と大変だったりもする。

留まるのは難しくて
変わるのも難しい

何なのでしょうね、いったい。

結局は
一つのところに留まりながら
色々変えながらトライする
ってことになるのでしょうけどね。

と、こんなことを言っていると
「あぁ、レースってそういうもんだよな」
と思ったりします。

というのも
サーキットを頑張って走っていて
そこそこ良いタイムが出てきて
「さて、ここからどう詰めていこうか?」
ということになるのですが

良いタイムが出ているってことは
そこそこ限界に近いところにいるわけで
その状態から単にハードにプッシュしたところで
破綻しちゃうわけですよ。

なので「何かを変えなきゃ」ということになる。

でも、変えるのにも勇気が要るわけです。
今までそれで良いと思ってやってきたことを変えるって
結構難しい。
体が反応しちゃうんですよ「そうじゃない!」って。

そういう状態に似てるなぁ
なんて思ったり。

レースって人生です。

これまた根本的に重要なこと

何をもって自分の限界とするか
「これ以上いけない」
というポイントというか閾値(しきいち)というか
そういうのは目に見えません。

なので、限界までプッシュするというのは
人によってはとても難しかったりします。

逆方向の
落ちるところまで落ちて
「これ以上(以下というべき?)はマズイ」
という一線も目に見えないので分かりにくい。

さらに、これを決めるのは自由だし
意識しないこともできる。

上も下も良く分からないのです。
さらにこれらのレベルは個人差がある。

限界は、突破してみないと分かりません。
限界を超えるのを恐れて
小刻みにいやっていると
いつになっても限界は見えません。

なので、失敗を恐れたり
無駄な労力を払うことを恐れていると
いつになっても限界は分らなくて
往々にして限界のはるか下の方に
停滞することになります。

下限に関して言うなら
譲れない一線を高く設定しているなら
早めに上昇に転じることができるでしょうけど

何も考えていなければ
落ちるとことまで落ちるでしょう。

高い目標設定などはもちろん重要なのですが
やはり本気度というか熱意が
どれだけ高く大きいのか
それが重要なのでしょうね。
根本的に。

ああ、やはりこういうの
授業じゃ無理なんだよなぁ。


「思い」が大事

「何のために」という「思い」
これはとても重要だと思うのです。

人は理屈では動きません。
根底には「得たい感情」があって
そのために動くのだと言います。

学生がヘマをやらかした時
前に記事にした通り
夢工房ではこうします。

「なんでそうしたの?」
「じゃ、それはなんで?」
と、「なんで?」を繰り返していきます。

すると、コアの部分には
凄くシンプルな理由が出現します。
それを解決すれば
それによる結果は変化するはず。

その「なんで?」の過程にある理由から
コアに出現する理由に向かうに従って
感情にまつわることが占める割合が大きくなったりします。

この「感情」とか「思い」は
何に基づいているかというと
「価値観」ですよね。

価値観が判断の基準になって
快・不快を決めたりしているというのは
誰しも知るところです。

なので
価値観の上書きができると
今まで苦手だったことが苦ではなくなったり
嫌いだったものが好きになったり
そんなことが起きます。

学校の歴史の授業で年号と出来事を暗記したりするけど
それは全く面白くなかったりします。
特に私のように脳ミソのメモリ容量が少ない人間には。

大事なのは「何のためにそれをやったのか?」
ということであって
そこからは、とても大事なことを知ることができます。
そういう大事な部分を教えれば
ちょっとは歴史の授業だって面白くなるでしょうに。

とはいえ、出来事を字面で見ただけでは
思いは伝わらなかったりもしますので
そのための周辺情報を理解するためには
時間や労力が必要。

でも、そういうのを惜しんじゃいけないのでしょうね。
うーん、難しいところです。

あとは
社会のルールだって何かのためにあるのだけど
その思いが伝わらなければ
単にルールを守るだの守らないだのという判断になってしまって
守ったの破ったのと
善悪二元論みたいになるわけで
ルールは守っているのだけど
結局何のためにやってるのか
それが良いのか悪いのかも良く分からないまま
何も変えられないとか
そんなことにもなるのでしょうか。

コンペティションをやっている者にとって
ルールの本意を理解するというのは
実はとても重要なところなのです。

レースなんかの場合は
もちろんゲーム的な要素はあるのですが
安全のため、命を守るためのルールもあるわけで
そこを尊重して、意図(主催者の「思い」)を理解して
マシンの性能のためのアイデアと
バランスを取ったりする必要があるからです。