ハッピーなチャレンジャーになるために

どうしたら人の行動が「喜び」に繋がるのだろう
なんて考えるんですよ。
まぁ、人相手の商売ですから当然ですよね。

おっと、仕事である限り
人が相手じゃない商売なんて無いのか。
全く人が関係しないなら仕事にはなりませんものね。

そんなことを考えると
いわゆる昔ながらの商人の考え方
「三方良し」
とかは、全ての仕事に通じると言えるのでしょうね。

さて、今回は
自分が何かをやる上で
ハッピーになるためにはどうしたらいいのだろう
ということを考えてみましょう。

「喜ぶ」というのは感情の動きですよね。

何かに遭遇して
それに対する表現の一つなのでしょうけど

その遭遇したものに対して
悲しんだり喜んだりするわけで

感情って、結局は「評価」の表現なのでしょうね。

とすると
評価者の価値観によって評価内容は変わるわけで
絶対評価なんかは無いですね。
うん、そりゃそうだ。

「誰でも絶対に喜ぶ」なんてことは
厳密に言ったら無いのでしょう。

人はどんなときに喜ぶのか?

予想外のことが起きた(遭遇した)とき

起きたことが望んでいたこと以上なら喜ぶでしょうし
望んでいたこと以下なら喜べません。

では、思っていた通りのことならどうなのか?
この場合
「思っていたこと」が問題です。

できると分かっていることをやった
その結果、当然のことが起きた

想像通りのことが起きた(遭遇した)
ということでしょうけど。

であれば、喜びというより
安心ですね。

一方、「思っていたこと」のレベルが高くて

「できるかどうか分からないけど
こうなったらいいな」

というビジョンに基づいてやったことであれば
その「思っていたこと」が起きれば嬉しいですね。
どれくらい嬉しいかは
自分の持つ評価指針によるでしょうけど。

他には
労せずして良いことが起きちゃったりして喜ぶ
なんてこともあるでしょうけど
この際それは考えないことにしましょう。

宝くじで億を当てちゃう人って
多くの人が人生が壊れちゃうって本当なんですかね?
本当かもしれませんね。

さてさて
ということはですよ
喜ぶためにはプロセスというか
シーケンスがありそうですね。
それはこんな感じかな。

  1. 思う(考える)
  2. 行動する
  3. 評価する

で、このシーケンスをループとして回していくのですね。

で、評価が
あるレベルを超えたら大成功!
ということですね。

ということは
これを構成するそれぞれは当然重要なわけで
でっかい喜びを得るためには
それらを磨く必要があるってことです。

  • 日頃、何のために何を考えているか
  • どのように行動しているのか
  • 起きたものごとに対してどう思っているのか

たぶんこれらが大事ってことですね。
これらのどれが欠けても
長い目で見た喜びには繋がっていきそうもない
というのは容易に想像できます。

恐らく、予想できることしかやらない人は
予想外のことが起きるはずなんてないので
喜びが少ないのだろうなぁ
なんて思うのですが

恐らくそういうタイプの人は
喜びより安心を求めるのでしょうね。
なんか分かる気がします。

ある伝説

私には何人かのお師匠様がいます
まずはホンダF1の最初の設計者である
佐野彰一先生ですが
佐野先生との間を取り持ってくれた恩人が
森久男さんという方です。

森さんは、ホンダの研究所の試作の人で
ゴッドハンド達を束ねていた親方でした。
ホンダがアメリカに工場を建てる際に
英語もできないのに単身現地に乗り込んで
用地の選定から工場の立ち上げまでをやった人でもあります。
叩き上げの職人さんって感じの人なのですが
凄い人です。

佐野先生は設計者でしたが
森さんは、そのマシンを作った側の人です。
製作側の苦労話とかノウハウを色々聞かせてもらえました。

なので私は、ホンダF1の設計者と製作者の両方にお師匠様がいるという
大変幸運な立場なのですね。
私にとっては、お二人ともレジェンドです。

その幸運な立ち位置に相応しいことができているのかというと
どうにもこうにも申し訳ない感じがするのですが
それはここでは置いておいて。

昔々、ホンダの売り上げが低迷していて
とある自動車会社に吸収合併になるのでは
という噂すらあったような時代
「ミニバン」なんて言葉すらなかった時代の話です。

試作の親方、森さんの発案により現場主導で
温泉車(おんせんぐるま)と呼ぶ車が作られました。

通常、車の企画は「上から」落ちてくるものなので
試作の現場主導で作られるなんてことは業務フロー上ありえません。
なので、業務終了後に密かに試作車を製作したそうです。

完成後、社長に見せたらGOサインが出て、量産化となり
当時空前のヒットとなったオデッセイとなりました。
これがいわゆるミニバンの「走り」です。
(「ミニバンの元祖」とかいうと諸説あるようですが)

お陰で命じられていたリストラもせずに済み
業績が回復したそうです。

そんなクルマを企画して作っちゃう現場もカッコイイですが
それに対してGOサインを出す社長もカッコイイです。
この時のホンダの社長は川本さんです。
幸運にも一度お会いしてお話しさせて頂いたことがありますが
本当にカッコイイ人でした。

私の世代は、そんな人達の活躍を目にしながら仕事をしていました。
「あぁ、凄いなぁ。オレもいつかあんな仕事したいな」
なんて思いながら。

なので、そんな森さんから頼まれた仕事は断れませんでした。
凄い短納期で、見たことも聞いたこともないような仕事が来るのです。
それ、普通にやったら絶対に終わらんぞ
みたいのが。

でも、私が率いていた特殊部隊は逆に気合いが入って
「森のオヤジからの仕事なんだから、何がなんでも何とかしてやる!」
という感じでした。
なので、徹夜して仕上げる
なんてのもたまにありましたね。

今はもちろん当時だって
労働組合が徹夜でやっつけるなんてのを許してくれるはずもないので
ボスが調整役になってくれました。

自分としては、そういう仕事こそが
自分にとっても組織にとっても大事な未来に繋がる
という確信があったので
「組合がガタガタ言うなら、いっそ組合辞めてやる!」
なんて大口叩いていましたが
ボスや組合の役員は
「まぁまぁ。そんなこと言うなよ」
なんてなだめながら、結局やらせてくれました。
みなさん大人でしたね(笑)

でも、お陰で凄く成長できました。
満足感も凄かったし、自信も持てた。
こういう仕事が今に繋がっているという明確な確信があります。

そして、普段は自覚が無かったりしますが
こうして思い出すと、いかに人間関係に恵まれていたことか。
本当にラッキーでした。

最近では「働き方改革」なんて言いますが
本当にそんなことしていて大丈夫なのかと心配になります。

「仕事は嫌なものなのだから最少にして効率を上げましょうね」
みたいな単一の価値観に縛られている気がしてなりません。

業務効率上げて生産性向上とか
そういうことに意味はあるでしょうけど
それ以前にパッションのある本当に面白い仕事はできるのでしょうか?
魂の入った仕事じゃないと価値は生み出せないと思うのです。

かのイーロン・マスクだって
テスラの生産立ち上げの時は
工場に泊まり込んで仕事をしていたそうですし
大きな変化点を乗り切る時って
大抵は強烈なパッションで流れを作っているはずです。

やりたいヤツに制限を掛ける必要なんて無くて
すぐにブラックだの何だの言う
やりたくないヤツに逃げ道を作ってあげればいいじゃないか
と思うのですけどね。

「頑張りたいヤツに頑張らせると世の中が二極化しちゃうから
みんなで仲良く貧しくなりましょうよ」
みたいな感じなのかな。
よく分かりませんが。

と、そんな愚痴を言っている暇があったら
頑張らないといけません。

「小平さんよぉ、ただやってるだけじゃダメなんだぜ。
知恵を絞るんだよ。知恵をよ」

森さんが亡くなってもうすぐ5年。
まだまだ不十分で修行中です。

問題の先に理想があるのか?

問題を解決するのはもちろん意味のあること。大事です。
学校でも「問題解決能力を!」なんて言ってますものね。

しかし、問題を解決した先に何があるかが大事では?
というのが今回のネタです。
何のための問題解決なのかが重要ですよね
というお話しです。

まず、問題が完全に解決して、完璧な状態になることなんて無い
というのが最初に言っておきたいことです。

「完璧な状態」なんてのは、理論ではあり得るでしょうけど
現実社会ではまずあり得ません。
とはいえ、それを目指して頑張るのは意味があることだし
ことによっては、そうありたいとも思ったりします。
でも今回、これはオマケみたいなものなので、このくらいにしておいて
問題は「問題」についての認識です。

そもそも、ものごとは多面性をもっているので
「問題」とはいっても、別の側面から見ると
何かしらのメリットがあったりもするわけです。
なので、あっちを立てればこっちが立たず
みたいなことになりがちです。

学校での教員と学生の関係とか会社の労使関係なんてのは
そういうことになりがちでしょう。
特に、組織としての方針とか方向性がはっきりしていないと
そうなりやすい気がします。
というか、そうなります。

そんな状態で
双方が力を合わせて良い成果を出す
なんて無理でしょう。
共通の理想もないのに
力を合わせて同じ方向に進んでいく
なんてできるわけはないのです。
なので、社是が明確化されて意思統一された会社組織などは
成果を上げられたりするのでしょうね。

「社是とか理想とか、そんなのきれい事だ」
なんて言いがちな人の多くは利己的だったりする気がしますけど
そういう人が多い組織は
大抵は大した成果は上げられていないと思いますよ。

利己的な人って、組織としてのゴールを嫌う傾向がありますよね。
だって、組織としてのゴール達成を最大化していくと
そのために我慢したり頑張ったりってのが増えるわけで
自己の短期的な利益とか欲求がトレードオフで最小化されちゃう可能性がある
なので、組織としての長期的で大きな利益は達成しにくくなるのだと思います。

というわけで
問題だの何だの言う前に
皆で目指せる共通のゴールや理想の明確化をしないと
そもそも何のための問題解決なのさ?
ということになりがちですよね
というのが今日言いたかったことなのです。