叩き台って知ってるかい?

「叩き台」
とりあえず形にした暫定のものとか、そういった意味です。

これ、社会に出て開発の現場で新鮮に感じた言葉の一つです。
まぁつまり、学校での生活では馴染みがなかったということでもあります。

そりゃそうですね。
叩き台は正解ではないので、そんなものを提示したら未完成不正解です。
学校で求められるのは正解ですから、そんなものは不要です。

ものづくりにおいて、こと良いものをつくろうとした場合、叩き台を出発点に、どうしたら良くなるだろうと想像(創造)して、チャレンジしながら改善していくというプロセスが必須です。
叩き台は、そのプロセスの一部です。

そもそも良いもの理想のものをつくるというのは、今は無いものをつくるってことでもあります。
だからそれは理想であって、やったことがないこと。
だったら、そんなものいきなりできないのは当然でしょう。

というわけで、叩き台をベースに良くしていく(改善する)のです。

学校の授業では、言われたことをやって正解を出すことが全てであり、クリエイティビティや、チャレンジングスピリットみたいな定量化できないものは評価できません。
けど、それらは価値を生み出す上では欠かせないものなのですけどね。

主観的な良いという感覚は数値化しにくいけれど、受け取る相手が良いと思ってくれることが価値であるというのは何と皮肉なことか。

というわけで多くの学生は、いきなり正解(完璧な完成形)を作ろうとしますが、実はこれが良いものが作れない原因でもあるでですよ。
これまた皮肉なことです。

簡単に言っちゃうと、良いものを作りたいなら磨く必要があるということなのです。

なので、磨くための時間を作るためにはスピードが重要ってことです。
何のスピードが必要かというと、磨く前段階までいかに早く到達するかってこと。

だって、いきなり完璧にしようとすると、そのために要する時間が長いわりに、どうせレベルの高いものにはなりません。初めてやることだったり、経験が浅いならなおさらです。

というわけで、叩き台を早く作る
これが良いものをつくるために必須条件の一つだということなのです。

ダメでもいいから…のわけ

何かをやるときは、「さて、どうしようか」と考えるでしょう。
そこで方向性が決まれば良いのですが、未経験で新規の内容だったりするとなかなかそうはいきません。
そう、それは「やらないと分からない事」です。

こういう時は、イメージが大事です。概念です。
広大な無限の可能性があるフィールドで、そのどこかに最適なものがある。
真っ白な地図のどこかに目的地がある、しかし距離も方向も分からない、といった感じです。

こんなとき、一発で目的地にたどり着くような「正解を出そう」というやり方は不適切です。
だって、方向性すら分からない未経験の状態で、一発で目的地に到達するわけはないからです。

さらにマズイのは、そういう思考になっているときは、手数を打たないことを前提にしていたりします。

そうなると、見当違いのところを、ずっと凝視するようなことになって、手が止まるか足が止まるか、はたまた頭が止まるか、いずれにしてもたどり着くのは「時間切れ」という結果です。

では、どうしましょう?
まぁこういったことは、人それぞれでノウハウがあるかもしれませんが…という前置きで。

まず最初に理解しておくべき事は、目的地にたどり着くためには、トライアンドエラーが必要だということ。
手数を打つことが前提です。

一発で決まるならそれが楽で良いのですが、楽をすることがゴールではありませんし、経験がないのに一発で決まる事なんて誰でもできるわけで、大して価値は無いのです。

さぁ、いきますよ。

「さて、どうしようか」
の後に来るのは「仮定」です。想像で妄想で暫定です。
そういった何かしらの指針を立てたら、まずやってみる。
これは「方向」を決めるということです。

その時、あまり小さくやらないことがポイント。
ある程度、ドーン!とやること。

なぜって、この段階でやることは、方向性を決めるための「試し打ち」で、何発か打つことが前提です。
なので、数発撃った結果を見て、違いが明確に分かることが好ましい。

ここで小さく撃ってしまうと、それぞれの違いは小さなもので、それが最適の方向なのか分からない。
大きく撃つと違いが分かりやすいでしょう?
それで方向を決めます。
要は、真っ白な地図の中心にある現在地から、どの方向へ行けば良いかが分かるってことです。

後は「距離」です。

この段階になったら、強弱を付けるとか、ちょっと変えてみるとか、最適化をすれば良い。
この時も、最初からチマチマやると変化が分かりにくいので、最初はドーン!と大きく変化させるのが良いでしょう。
そこからエリアを絞り込んでいく。

こんなふうにやっていけば、諦めなければいずれゴールにたどり着きます。
途中で諦めるか否かは、マインドセットの問題ですね。

これに関しては、エジソンの逸話があります。

エジソンは、電球のフィラメントに適した材料を見つけるために、5,000種を越える材料を試したそうです。
でもうまくいかない。

そこでジャーナリストが聞きました。
「エジソンさん、あなたは5,000回を越える失敗をしているのに諦めないのですか?」
エジソン曰く
「これは失敗ではない。私は5,000種の適していない材料を発見したんだぞ」

これなんかは、まさに今回の概念に近い思考です。
結局は、失敗したくないと思っているのか、成功したいと思っているのか、その違いだったりもするのでしょうね。

最後に。
ダメでも良いからやってみようとか、ダメでもいいから書いてみよう、というやり方をしていると、ダメなことをしたくないと思っている人には見えないことが見えたり、彼らには思い付かないようなアイデアを得られたりするのですよ。
それが違いを生むのは事実です。

やりたいと思わないのはなぜ?

何だ、この画像は。

もっとみんなアグレッシブにチャレンジしたらいいじゃないか!
と思うのです。
全員って訳ではないですけどね。
まったりしている人もいないと疲れちゃいますから。

まぁ、夢工房の連中は山あり谷ありで頑張ってるわけで、もちろん他にも頑張ってる人達はいるでしょうけど、もっともっと頑張る人の人口が増えたら面白いだろうな、と思います。

あ、ちなみに、夢工房は収容人数に限界があるので、少数精鋭を貫き通します。
少人数で、やれるとことまでやってやる!

さて、今回のネタはタイトルの通りなのですが、これはとても興味深いと思っています。

だって、小さな子供って我慢できないでしょう?
欲しいものは欲しい、やりたいことはやりたい
自我の固まりみたいなものです。
そして欲求に対するパワーが凄い。
もちろん「やりたい」方向です。

そこから成長していって、徐々に変化していくわけですが…

と、ここまで書いて思いました。
子供の頃に持っていた、「自我」とか「パワー」を失っているわけではないのかな?と。

失敗を恐れずにやりたい(チャレンジしたい)という方向に欲求が向いている人が少ないだけで、これは志向の問題か、と。

例えば「楽したい」という欲求が強いとしましょう。
そういう人は、強烈に「楽したい」が発動しているわけで、楽をするという選択肢を取った瞬間に成功しているわけで、ヘタにチャレンジなんてしちゃうと、トッププライオリティが崩れてしまう。
そういうことか?

小さい頃から「一生懸命勉強して、将来は楽な生活を…」とか言われながら育ってたりすると、「いやいや、楽するのがゴールなら、今この瞬間からだって楽してもいいじゃん」とかなったりして。
いや、どうなんだろう。

まぁ、そういうのって無意識でしょうから、恐らく本人に聞いても良い返答は帰ってこないでしょう。

あとは、「失敗」に対する印象というか価値観というか。
そういうのも効いてるでしょうね。

いやぁ、実に興味深いぞ。
これは、この後も引き続き考えてみましょう。
暇なときに。
…とか言っちゃうような事って、どうせやらなかったりしますが。