価値ある人ってどんな人?

「世のため人のため」
「一日一善」
「人様から後ろ指を指されないように」
などなど
昔は世間とか他人にフォーカスした言葉をよく聞きました。

今はどうなんでしょう。
将来設計が云々とか
生涯賃金がとか
学歴がどうのとか
何をやるにも自分のためです。
それを堂々と言える世の中ににもなってます。
もちろん、みんながみんなではないですが。

それの一体何が悪いんだ?

悪いかと言えば
もちろん法的には何ら問題ないですよね。
何の罪も犯していない。

しかしですよ
何でもかんでも私利私欲
そうするのは結構ですが
行動が私利私欲だと
それを外から見ていると何の価値もないですよね。

例えば
自分が何かを自分のためだけに得ることばかり
自分を守ることばかり
そればかり考えているとしましょう。

それを他人からはどう見えるでしょう。
「おー、いいねー!君にチャンスをあげちゃおう!」
なんてことにはならんですよね。
むしろあげたくないでしょう。

だって考えること行うこと
自分のためなんですから
周囲には全くメリット(価値)が無いわけです。
そこに何かを投入する理由はないでしょう。

なもんで
結局のところ
私利私欲の人が得られるものはたかがしれてる
ということになります。

私の周囲もそうでした。
凄く私欲が強くてパワフルな人
何人もいましたが
残念な結果に終わるケースが多いですね。
頭キレキレで能力高くても。
もったいないことです。

中には途中で方向転換して
うまくいく人もいますが
ごくごく少数です。

やはり
他人を利する考え方ができる人が成功してます。
そんなの当たり前なんですけどね。

でも、実行するには勇気が要ると思います。

他人の利益を考えた行動って
必ず自分に返ってくるのは当然。
まぁ、それを求めてちゃいけないんですが。

他の利益を考えて動ける人って
周囲から見たら
ありがたい人
ですもんね。

まさに「価値がある人」ってことです。
超シンプルですよね。

こういう理屈って
昔話にも入ってるし
偉人伝にも記されてるし
みんな当たり前に知っていることじゃないのかな。

時代とともに色々変わっていくけど
捨てたらいかんものもあるでしょう。

当たり前かもしれないけど
そんな基本的なところを考えて動ける
価値あるエンジニアの卵を育てたい。

私はまだまだ未熟で能力不足の修行僧なのですが
そんなことを理由にやらないって訳にはいきません。
どうせ人間は一生完璧になんてなりませんから。

心の時代がやってくる

いやね
別に
これからはスピリチュアルな世の中に突入するぞ!
とかいう話ではないですよ。
するかもしれませんが(笑)

今までの時代は
言ってみればテクノロジーの時代だった気がします。

産業革命以降が顕著ですが
新しい技術が次々に出てきて
その技術によって色々メリットがありました。

物質的に豊かになったのはもちろん
環境とか医療とかが進歩して
新生児の死亡率が下がって
寿命が延びて
人口が爆発的に増加して
生産人口が増えて
経済が成長して

という感じで
パワフルなループが回っていたんですね。

そんな中で我が日本国は
先進国とガチンコ勝負できるだけの軍事力を手に入れて
(もちろん戦争は良いことではありませんが
それだけの力を手に入れたのは事実です)
戦争でボロ負けしたにもかかわらず
高度経済成長を遂げて
一億総中流なんていう凄い状態になりました。
もちろん、その過程には色々と外的な要因とかもあったのでしょうが
そこは今回の本質ではありませんので置いておきます。

その後もバブルがはじけたり
色々あるわけですが
なんだかんだで日本は技術の国
ってことになってますね。

なので
みんなで技術を学べばハッピーに!!

本当はそんなことなくて
まず技術がそこにあったわけではなく
最初は誰かが何かを考えるところからスタートしていたはずですよね。
なので本当の根源にあったのは
熱意とか思考だったはずです。
知能やらの前に、心の部分が大事だったはずです。

その証拠に
松下幸之助さんや稲盛和夫さんは
皆さんご存じの通り
立派な考えを持って仕事をされて成功している。

今までの日本は
テクノロジーの威力があまりに強力だったので
まず技術ありき
のように感じているのではないでしょうか。

その結果
生活水準が高いにもかかわらず
幸福度は低い
なんてことになってます。

技術レベルは高いけど
心のレベルがなおざりになっちゃったんでしょうね。

本当に欲していないのに
外部から「技術」を突っ込まれれば
(いやいややらされる状態)
それなりのものは持っている状態にはなるかもしれませんが
それを駆動するための心が不十分な状態になります。
なので
せっかくの技術は有効に活用されない。

なんてもったいない!

高度経済成長までは
これでも良かったのかもしれません。
でも
そういう時代は終わってしまいました。

これからも技術は重要で
ますます生活における重要度は増してくるかもしれません。

技術の重要性は「あたりまえ」になってくるでしょうから
足りない「心」をどうやって成長させるか
これが重要性を増してくるでしょう。

心が成長すれば現状の技術に不足(ギャップ)が生じる
そのギャップを埋めようとする欲望がパワーの根源です。

たぶん
日本ってそうやって成長してきたのではないでしょうか。

これ、みんな気付いてるんでしょうけど。
今さらですが言ってみました。

学校は変われるか

世の中がコロナ禍を機に
大きく変わろうとしています。
というか
すでに変わりつつある。

ここで大変興味があるのは
果たして学校は変われるのか
変わるとしたら
いつ、何をきっかけにして変わるのか
ということです。

もちろん自分の職場だからというのもありますが
学校って、未来を作る人たちをつくるところですから
とても重要なのです。

科目が増えたり減ったりというのはこれまでもあったし
最近では授業がオンラインになる程度の変化はしていますが
基本的なやり方や評価方法などは
ほとんど変わっていないと思います。
恐らくここ100年以上変わっていないでしょう。

基本的に学生は
その昔ながらの評価のために学校に行ってます。
主体性がなかろうが
モラルが崩壊していようが
そんなことは重要ではない。

皆に同じことを覚えさせる
どのくらい正確に覚えているか確認する
教員は、それを数値化して評価する
それが現状やっていることです。

はっきり言って
正確に覚えていることに価値があるなら
なにも人じゃなくても
安いパソコン買ってきてやらせた方が良いでしょう。
検索だってネットでいくらでもできますし。
世の中がAI頼りの方向に変化していったら
どんどんそうなっていくでしょう。

学校の授業だって
見て、聞いて、覚える
とか
単に「知る」
が目的であれば
何も学校に行く必要は無いですね。
ネットで何とかなるレベルです。
きっとこれからは
そういう情報やツールが充実していくでしょう。

黒板を見て書き写すために
わざわざ学校に行くなんてのは終わっちゃうでしょうね。

すでにYouTubeなどでも
かなり有用な情報を得られるようになってきましたし。
インターネットを通じた情報伝達は
今後ますます発達するでしょう。
それを貯めたり取り出したりするのも
デジタルな世界なら容易です。

なのでこれからは
目に見える形式知について
「何を知っているか」
だけでは不十分になっていって
やらないと分からない暗黙知(経験知)によって
「何ができるか」
がより重要視されてくる
そんな時代になるでしょう。

というか
すでにそれはが大事だということは
多くの人が分かっていると思うのですが
定量的な評価指針が無かったり
見える形で証明できていなかったりするから
現状を変えられないのではないでしょうか。
(どうなるか分からない未来に向けて
証明を求めるとしたら滑稽ですが)

それにそもそも
やらないと分からない暗黙知を身に付けさせる
(あえて「教える」とは言いません)
それ自体に抵抗があるようにも見えます。

人にどれだけの価値を提供できるか
人の心をどれだけ動かせるか
そのためにどれだけチャレンジできるか
そのためにどれだけ自身が現状から変われるか

そういうのを学校で身に付けられると良いのですが
それらは数値化して定量的に評価しにくい。
今の学校には
学力を測る物差ししか無いからです。

もちろん学力が無意味とは言いませんが
それは社会から学生に求められる価値のほんの一部に過ぎません。

経団連の新卒採用アンケートなどを見れば分かるように
今や求められるものは定量的に測れない能力が中心です。
(本当は「今や」ではなく、ずっと昔からですが)

人の生活や社会の形態はすでに大きく変わっていて
ここに来てさらに大きく変わっていくとしたら
今のままでは
社会からのニーズを裏切り続けていくことになります。

ただ
大学という巨大な組織で現状から大きく変えるのは
大きなリスクが伴う(ように感じる)でしょうね。
そもそも
どうすべきという正解が無いから。
それに大きな組織特有の「慣性力」もある。

でも
きっとどこかの勇気ある組織が先陣を切ってやるでしょう。
現状がダメなら留まる理由はありません。
たとえリスクがあっても
早くスタートを切れば
それだけ色々なものが見えるので早期に最適化ができます。

学生がどんどんチャレンジして
その中で必要な知識や技術を得ていく
その成果を見ているみんながワクワクするようなことを継続していく
そういうのが理想なんだと思います。

「バカの壁」の養老先生でしたっけ
「論文はスルメだ」って仰っていたの。
本物の「イカ」が大事なんですよね。
現場・現実・現物で勝負ですよ!

というわけで
100年を超える歴史を持つ我が東京電機大学
次の100年に向けて色々試行錯誤して
学生がより大きな価値を身に付けられるよう
いずれ変貌の時がやってくるでしょう。

なんたって
「技術は人なり」
「実学尊重」
という実に本質に迫る看板を掲げてますから。

私の手元でチャレンジしている/していた学生達が
未来に向けてのテストベッドのような役割を果たすことになって
少しでもお役に立てたら最高です。