世の中がコロナ禍を機に
大きく変わろうとしています。
というか
すでに変わりつつある。
ここで大変興味があるのは
果たして学校は変われるのか
変わるとしたら
いつ、何をきっかけにして変わるのか
ということです。
もちろん自分の職場だからというのもありますが
学校って、未来を作る人たちをつくるところですから
とても重要なのです。
科目が増えたり減ったりというのはこれまでもあったし
最近では授業がオンラインになる程度の変化はしていますが
基本的なやり方や評価方法などは
ほとんど変わっていないと思います。
恐らくここ100年以上変わっていないでしょう。
基本的に学生は
その昔ながらの評価のために学校に行ってます。
主体性がなかろうが
モラルが崩壊していようが
そんなことは重要ではない。
皆に同じことを覚えさせる
どのくらい正確に覚えているか確認する
教員は、それを数値化して評価する
それが現状やっていることです。
はっきり言って
正確に覚えていることに価値があるなら
なにも人じゃなくても
安いパソコン買ってきてやらせた方が良いでしょう。
検索だってネットでいくらでもできますし。
世の中がAI頼りの方向に変化していったら
どんどんそうなっていくでしょう。
学校の授業だって
見て、聞いて、覚える
とか
単に「知る」
が目的であれば
何も学校に行く必要は無いですね。
ネットで何とかなるレベルです。
きっとこれからは
そういう情報やツールが充実していくでしょう。
黒板を見て書き写すために
わざわざ学校に行くなんてのは終わっちゃうでしょうね。
すでにYouTubeなどでも
かなり有用な情報を得られるようになってきましたし。
インターネットを通じた情報伝達は
今後ますます発達するでしょう。
それを貯めたり取り出したりするのも
デジタルな世界なら容易です。
なのでこれからは
目に見える形式知について
「何を知っているか」
だけでは不十分になっていって
やらないと分からない暗黙知(経験知)によって
「何ができるか」
がより重要視されてくる
そんな時代になるでしょう。
というか
すでにそれはが大事だということは
多くの人が分かっていると思うのですが
定量的な評価指針が無かったり
見える形で証明できていなかったりするから
現状を変えられないのではないでしょうか。
(どうなるか分からない未来に向けて
証明を求めるとしたら滑稽ですが)
それにそもそも
やらないと分からない暗黙知を身に付けさせる
(あえて「教える」とは言いません)
それ自体に抵抗があるようにも見えます。
人にどれだけの価値を提供できるか
人の心をどれだけ動かせるか
そのためにどれだけチャレンジできるか
そのためにどれだけ自身が現状から変われるか
そういうのを学校で身に付けられると良いのですが
それらは数値化して定量的に評価しにくい。
今の学校には
学力を測る物差ししか無いからです。
もちろん学力が無意味とは言いませんが
それは社会から学生に求められる価値のほんの一部に過ぎません。
経団連の新卒採用アンケートなどを見れば分かるように
今や求められるものは定量的に測れない能力が中心です。
(本当は「今や」ではなく、ずっと昔からですが)
人の生活や社会の形態はすでに大きく変わっていて
ここに来てさらに大きく変わっていくとしたら
今のままでは
社会からのニーズを裏切り続けていくことになります。
ただ
大学という巨大な組織で現状から大きく変えるのは
大きなリスクが伴う(ように感じる)でしょうね。
そもそも
どうすべきという正解が無いから。
それに大きな組織特有の「慣性力」もある。
でも
きっとどこかの勇気ある組織が先陣を切ってやるでしょう。
現状がダメなら留まる理由はありません。
たとえリスクがあっても
早くスタートを切れば
それだけ色々なものが見えるので早期に最適化ができます。
学生がどんどんチャレンジして
その中で必要な知識や技術を得ていく
その成果を見ているみんながワクワクするようなことを継続していく
そういうのが理想なんだと思います。
「バカの壁」の養老先生でしたっけ
「論文はスルメだ」って仰っていたの。
本物の「イカ」が大事なんですよね。
現場・現実・現物で勝負ですよ!
というわけで
100年を超える歴史を持つ我が東京電機大学
次の100年に向けて色々試行錯誤して
学生がより大きな価値を身に付けられるよう
いずれ変貌の時がやってくるでしょう。
なんたって
「技術は人なり」
「実学尊重」
という実に本質に迫る看板を掲げてますから。
私の手元でチャレンジしている/していた学生達が
未来に向けてのテストベッドのような役割を果たすことになって
少しでもお役に立てたら最高です。
テストヘッドにきっとそして必ず成りますよ。ここで先生が書いていることは全て本当のこと。高校も同じ。公務員教員はそんなこと考えないでノホホーンとしています(9割5分の人は)。教科書に書いてあることを黒板に書いてそれをノートに写させる。そんな授業をいまだに大方平然とやってます。それを疑問に思うことも無く。大川小学校で子供がみんな死んでしまった。後からだったらどうすべきかは誰でも分かるだろうが、では自分の学校ではどうすればいいか考えている学校は実は非常に少ない。もちろん何ちゃらマニュアルをどこの学校も作ったが、学校なり教育委員会なりはすごい書類を作る。誰も見ないような厚いやつ。結局誰も見ない。マニュアルには「放送をよく聞いて教員の指示に従い・・・・」 とかいてあるやつ。放送使えなかったどうするの? 放送設備がそもそも使えると思ってんの? 教員の指示に従ってって教員がちゃんと指示できんの? 大川小学校の教員たちと基本同じ。教訓にもしていない。やってる避難訓練はあいかわらず体育館へのタイムアタック! 災害なんか想定してるのは書類上だけ。大方の学校はこんな感じ。他人事。学校は本当は先生の言うとおり、未来を作る人たちをつくるところですから
櫻井先生、コメントありがとうございます。
大川小学校、石巻ですよね。
石巻は震災後にちょっとしたボランティアで行きました。かなり復旧が進んだタイミングでしたが、それでも津波の際の壮絶な状況は容易に想像できました。
平時の考え方と行動は、災害時などに顕著に表れるて深刻な結果を招くということが明確になったのが大川小学校での被害なのでしょうね。
何も災害に対してだけではなく、我々が向かっていく未来に対しても考え方は同じで、ただ言われたことをやるだけという方向性では、そこに待っているのは最悪の未来だと思います。
ただ、最悪の未来を避けるという志向では、うまくいってもゼロになってしまうので、可能な限り明るい側を見て、試行錯誤を楽しめるようにできたら良いなぁと思っています。
マニュアルに従って安心したところで生きてる気がしないので。