学生の頃の苦難 果たしてアレは勉強だったのだろうか

今日、食事をしていてふと思ったのですが…
いや、別に食事は関係ないのですけど…

学生の時分に、テストを受ける時に苦悩するわけですが、その時に感じていた感覚の主なものは「思い出せない」辛さだったなぁ、なんてことをふと思い出したのです。
「あぁ、なんだっけなぁ?思い出せん!」ってのがほとんど。

だいたいテストの前って一夜漬けで「勉強」するでしょう?まぁ、ほとんどが丸暗記なわけですけど。
一時的でも良いから、とにかく覚えた者を吐き出す事によって「学力」を試すってんだから、学校での学びに必要だった能力の多くは記憶力だったのですね。
まぁ、一夜漬けの知識なんて、卒業したら9割方忘れちゃうんですけどね。

しかし、このかつてテストを受ける時に感じた感覚(「あぁ、なんだっけなぁ?思い出せん!」)は、業務を遂行する上で感じたことはほとんどありませんでした。
別に社会人になって記憶力が特別良くなったわけではなく、そういう記憶力というか暗記力というか、そういったものは全くと言って良いほど必要無いってことが、社会に出てから分かりました。

もちろん、丸暗記で対応しなければならない状態になっていた自分に問題はありますし、そもそも丸暗記ではない科目もあったにはあったのですけど、できるようになるまでの課程が実践に即していなかったのは確かです。

仕事をする上で覚えるべきことは沢山あるのですが、別に暗記する訳ではありません。
本当に必要なことって覚えちゃいますから。特に好きな事とか実際にやった事は、なかなか忘れません。
それに、メモ取って後で参照したって良いし、誰かに聞いたって良いわけです。
それで減点されたりしませんしね。

まぁつまり、学校と実際の業務では、頭の使い方がかなり違うってことですよ。
どうしますかね、これ。

柔軟性は思いのほか重要

人生において無駄な事は何もないから、避けたり逃げたりする必要は無い。

何を選んでも、多かれ少なかれ嫌なことやキツいことはあるのだけど、それを乗り越えることこそが成長。

もちろん、それらにうまく対処できることも、できないこともあるでしょう。

でも、どんな経験でも未来においては必ず役に立つ時が来る。
もっとも、それらをどのように解釈するかによるわけで、単にネガティブな経験に分類して蓋をしてしまったら再利用は難しくなる。

なので、大事なのは思考の柔軟性でしょうね。

起きたこと、遭遇した事象に対する解釈の柔軟性、対応の柔軟性、これはすごく大事。

これが無いと、困難がある度に止まって折れて…
そこで出てくるよくあるセリフは、「自分に向いていない」ですかね。

なので大事なのは、能力とかよりむしろ柔軟性なのではないかなぁ、なんて思うことがよくあります。

心の時代がやってくる 4

大抵の学校が取っている「勉強(さえ)できれば」という戦略は持続可能ではないと思っています。

なぜかというと、心がもたないから。

知識はツールであって、使わなければ価値は無い。
で、その価値は他人に向けてはじめて意味が出るもの。

ところが、お勉強ばかりしてても、価値の発信方法は分からなかったりするのですよ。

なのに使いようのない知識を得続けるって無理が無いですか?

勉強ばかりしていた結果、こうなっちゃった、って出来なりでは耐えられないと思うのです。

というわけで
どうなっちゃうかじゃない。
どうしたいかが大事なんではないかな。