人は意味の無いことに耐えられない

学生が色々できるようにならなきゃと言う。
数学とか力学とか語学とか。

まぁ、結構なことです。

でも、それが何のためなのかが定まっていなければ
難しいことになるでしょう。
なぜかというと

人は意味の無いことに耐えられないから。

目的、目標が無ければ学習は
「意味の無いこと」
ということになってしまうのではないかな?

勉強でも何でも良いけど
「何のために」が無ければ
そこに意味は無いわけで
意味が無いことをいつまで続けられるのか?

実際、私はそんな状況でした。
大学では、一部の科目には異常なほど興味を持ちましたが
興味が無い科目には全く力を入れられませんでした。

で、サーキットばかり行っていたわけですが
まぁ、それはそれで良かったかな、と思います。

勉強ができないコンプレックスが
バネになったような気もしますし
興味を示せた僅かながらの工学的な知識を
活かすチャンスにもなったと思いますし。

しかし世の中には
学ぶことそのものが目的になっている人はいるわけで
それで勉強ができる人って凄いな
って思います。

でも、それは自分のやり方ではない
そう思っている学生は結構いるはずです。
というか、そういう学生の方が多いはず。

工科系の場合は
ものを作りたかったりするので
定型的な知識などがゴールなのではなく
あくまでも手段なわけです。

そんな連中に手段ばかり与えて頭をでっかくして
目の前にニンジンが無ければ
走り続けることはできないでしょうね。

それに耐続けることができる
というのも凄いことだと思いますけど
あまりハッピーではありませんよね。
忍耐力は大事ですけどね。

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