若い頃って
というか
学校では
と言った方が良いのかな
正解とか不正解とか
すごく二元的なものの捉え方で勉強するじゃないですか。
まぁ当たり前ですけど。
で、単位が取れるだの取れないだの
目先のことばかり見てるじゃないですか
もちろん、そんなふうにやっていると
枝葉の細かいことばかり気になるようになって
何のためにやっているとか
重要なのは何かとか
そういう根源的なところを考える必要が無くなります。
ひょっとしたら
学者さんはそういうやり方で良いのかもしれません。
領域を決めて深掘りするところに価値があるのでしょうから。
でも、エンジニアを目指す学生達が
そういうんじゃ困っちゃうでしょうね。
実践的で実戦的じゃないとね。
私は機械が好きで機械科で学びました。
出来悪かったけど。
我が東京電機大学ではないですよ。
色々と希望を持って大学に入ったものの
何か違うぞ
という違和感を拭えなくて
ある日、住んでたアパートの前で自分のバイクを整備している時に
向かいに住んでたオヤジさん世間話をした時に言ったんですよ。
「機械が好きで大学の機械科に入ったけど全然面白くなくて
これで何かできるって気がしないんですよね」
オヤジさんは言いました
「わははは!そうだろ!
そんなもんだ。
大学の勉強なんて大して役に立たねぇぞ」
これ、忘れません。
確かオヤジさんもエンジニアだったはず。
学校の勉強が全く役に立たないことはないけど
それで何かができるわけではないのですよ。
それは今も変わらない。
明確な目的があって
そのために学ぶとかってのは大事ですね。
でも、皆がそうなっているわけではない。
そもそも学生である時点で
明確なゴールを決められるような経験が
できていないことがほとんどですから。
なので、色々やる中で
見えることや気付くことがあって
それが学びに繋がる
そういう機会が必要で
そういうのって、とても重要だと思うのです。
ひと頃「ものづくり」が重視された時期がありましたが
最近ではめっきり下火になってきてます。
IT系に流行がシフトしているからかな。
でも、ハードウェアが無ければ
ソフトウェアは存在できません。
ソフトウェアが優秀でも
ハードウェアの性能が低ければ
ボトルネックになって
システムの性能は上げられません。
とは言うものの
今や先生達の世代も
あまりものを作ったことが無い世代になりつつあるのですよね。
なので、仕方ないと言えば仕方ない。
だからこそ
どうすべきか?
です。
仕方ない
じゃ済まない。
夢工房はやります。