教育って難しい

「教育」って何だろうな
どうしたらうまくいくのかな
とよく考えるんですが
それは仕事だから当然。
別に嫌々やっているわけではなくて
大事なことだと思ってるんですよ。

さて、一口に「教育」と言っても色々あって
一概には言えないとは思うのですが。

義務教育から大学などの
いわゆる高等教育に向かっていくのですが
多くの場合、教育は
「教えること」
ですよね。
まぁ、読んで字のごとしというか。

小学校から始まって大学卒業までは
だいたい16年間ってところでしょうか。

大抵の場合
その間ずーっと
指示されて やる
ということを繰り返してるんですよね。

もちろん、そういうのはあっても良いとは思うんですけど
とくに義務教育の過程では必要かとも思いますが
16年間も
言われて やる
ってのを繰り返していると
言われないとやらない
言われたことしかやらない
言われてもやりたくない
言われたことなんかやりたくない

のいずれかに落ち着いても
それは仕方ない気もします。
極端な考え方かもしれませんが。

しかも学校では
言われたことができると優秀
とされるわけですから
言われたら できる
が最高なわけです。

言われなくても できる
ってのが本当は最高なのでしょうけど
それは点数にはなりにくいですよね。
そんなの評価する方法もないのではないかな。

で、多くの場合は
どうやって言われたことをやるようにしているかというと

できないと
留年するぞ
とか
就職できないぞ
とか
恐怖でコントロールしているわけですよ。

すると何が起きるかというと
学生は恐怖から逃れたいので

仕方なく最低限やるわけです。

最低限やった成果に対して
評価者が満足いかない場合
もっとやれ!もっとやれ!
となる。

すると言われた方は
ますます嫌になる。

そんなことないですか?

でも、言われたことをやらないと面倒なことが起きるからやるけど
それをやったところで
恐怖の源が発生しなくなって
ホッと安心するのが関の山で
実はハッピーになるわけではないですよね。

もちろん中には
学問の面白さに目覚めたり
できる喜びを感じたり
そうやって伸びていく者もいますが
そういうケースはこの際問題にしません。
問題ないもんね(笑)

と、ここまでずいぶん引っ張りましたが
今日言いたいのは
教育が
「教える」ことが目的になっちゃっていて
「自らが学ぶ」というか
学生自身の成長が軽視されてるんじゃないか
と思ったのです。

「教える」って
そもそも学生を成長させるための手段だと思うんだけど
そっちが主役になってないか
と。

学生が成長するなら
本来は何でもアリでではないか
と。

自ら能動的に成長するようなことをするなら
それが最高じゃないか
と。

なので、そんなふうに自ら学べていれば
外部から無理に突っ込む必要は無いと思うんですよ。

でもなんかこのご時世
もっと突っ込め!もっともっと!
ってなってませんか?

そういうのが嫌で
やる気が無くなるとしても
むしろそれは正常じゃないのか
と思うこともあります。

じゃぁどうしたら良いと思うんだよ?

ですよね。
まぁ、それが重要で難しいところですよね。

例えば
もっと彼らにチャンスをあげるのはどうでしょう?


「それを面白く転がしてみろ」
と。

そういう結果を評価するのは難しいかもしれません。
たぶん数値化しにくいでしょうし。

教育の効率も悪いかもしれません。
みな均一に均質に
ってわけにはいきませんから。
そもそも教育の効率って何なのだ?
誰のためなのだ?
と思いますが。

でも、大事なのは彼らの成長です。
評価することではないでしょう。

もちろん、評価があれば
その後にどうしたら良いか
という道筋は立てやすかったりするでしょうけど
それが本質ではない。

彼らが
もっとやりたい!もっともっと!
となるようにせねばいかんのだろうなぁ
どうしたらいいのかなぁ

夢工房はボチボチ良い感じですが
もっとイケるはずだぞ。

と、今日はこんなことを考えていました。

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