ショボいものから考える良いものができる根源

何かをやるときって

  • ゴールを設定する
  • 考える
  • やる

と、こんな順番になるかと思います。一般的には。
ですよね?

で、何かものをつくろう!なんてなったとき、もちろん「良いもの」を作りたいと思うわけですが、なかなかそうもいかなかったりすることがあります。

この「良いもの」は、物体に限りませんが、私が説明しやすいという勝手な都合で、ここではものづくりを例にとって話を進めさせてもらいます。

理想は高いのに、できたものがイマイチだったりするなんてことはありがちでしょう。
ここでは、何かカッコイイ部品を作ろうとした時を例に挙げてみましょうか。

まずはゴールの設定です。
ここでは理想を盛り込んだ、機能的なカッコイイ部品をイメージするわけです。
この時点で、その理想が無いとか、どうしたら良いか分からないなんてことになる場合は、視野が狭くて全体が見えていないとか、そもそも知識が足りなくて「引き出し」が無い状態であるとか、そんなところだと思うのですが、根底にあるのはパッションだったりします。モチベーションも無いのに良いものをつくろうなんて、土台から無理な話です。
ここでは、お勉強ができるとかできないとかは、あまり関係ありません。知識は重要ですが、ここで言う知識は、学力として表される知識というより、これから作ろうとするものが、最終的に発揮する価値に対する想像力というか妄想力というか、そういうことなので、知識さえあれば理想的なゴールを想像できるかというと、そんなことは無かったりします。

次に、どうやってそれを物体にするかを考えます。
機能や性能を考えて具体的な仕様を決めたり、製作方法を考えて図面を描いたりするわけですので、ここでは具体的な知識とかスキルが要求されます。
ものを作るときは、この時点で作り方なんかを考慮に入れる必要があります。

で、最後は作る。
これはもう、知識と経験の世界ですが、その達成レベルについては、やはりパッションが重要な役目を果たします。
理想に対して妥協しない、とか聞くと、何となく想像付くでしょう。

ざっとそんなところなのですが、実はここまでは前振りに過ぎません。

理想は高いのに、できたものがイマイチになっちゃうのはなぜなのか?

ゴールを設定する段階で、余計なことを考えている。というか、考えすぎている。
どういうことかというと、ここでは理想を考えないといけないのに、リソースを考慮に入れて考えてしまうと、大抵はショボい理想になってしまいます。

具体的には、予算とか設備とかスキルとか知識とか技術とか、そういったことです。
それらが足りないから妥協しよう、といったことを考え始めると、理想はどんどんショボいものに変化していきます。
ショボい理想から生まれたものがイマイチなのは当然でしょう。

「だってしょうがないじゃん!」
と思いますか?

ここで妥協するとき、何を考えているでしょう?

だって予算が無いから
何で予算を手に入れる方法を考えないのですか?
何で低い予算でできる方法を考えないのですか?

だって設備がショボいから
何でショボい設備で良いものが作れるように工夫しようとしないのですか?
何で良い設備を手に入れようとしたり、良い設備を持っているところにやってもらおうとしないのですか?

だって知識や技術が足りないから
何で知識や技術を手に入れようとしないのですか?
知識や技術を持っている人の助けを借りようとしないのですか?

「だって~だから」を解決したくないから、理想のレベルを下げざるを得なくて、結果としてイマイチなものができあがるわけです。
大抵はそういうことですよね。

では、なぜ「だって~だから」を解決したくないのでしょう?

面倒なことをしたくないとか、失敗したくないとか、自分の短期的な損得勘定が、理想のゴールに到達したいという気持ちより強いからですよね。

これ、正しいとか間違っているとかいう話では無く、自身のプライオリティがどうなっているのか、という話です。

なので、良いものを作れないのは、理想のゴールに到達したいという気持ちが弱い、つまりパッションのレベルが低いってことに尽きると思うのです。

さて、どうやって自身のパッションに燃料を投入しましょうか?
それで大抵は解決です。

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