諸行無常の世の中で

私は仏教徒であるという意識はありませんが
仏教の言葉は、なぜかしっくりくるというか
納得できるというか
それが日本人であるということなのでしょうか。

さて
諸行無常とは
世の全てのものは移り変わったり消滅してしまう
というような意味ですよね。

最近の世相を見ていると
まさにその通りではないか
と思います。

ここで変化前の状態に執着すると
しんみりとしちゃったり
やるべきことを先送りしたり
足踏みしたり
ということになるのかもしれませんが

何かにチャレンジすることを決めたなら
そんなことをしている場合ではありません。

以下は仏教で言いたいことからは離れるかもしれませんが…

刻々と変化する世の中で
自ら変化していこうとするのか
変化をせずにいようとするのか

現状を自己評価して
納得いかないなら何かを変えるしかありません
変えなければそのままです。

果たして現状はどうなっていますか?

チャレンジする(している)のだから
そんな低次元に留まっているはずはないって?

しかし我々の心は難解です。

本来は
うまくいっていれば変化を嫌い
うまくいっていなければ変化を望む
と思いきや

うまくいっていなくても
変化を嫌うこともあります。
不思議です。

このままじゃダメだと分かっているけど
かといって変化はしたくなかったり

ヘタすると
現状の把握すらしなかったりします。

どうにも耐えがたい情況に身を置いたとしても
その状況には納得できず苦痛を感じていても
変えたいと思わないこともあります。

ちょっとおかしな理屈に聞こえますが
意外とこういうケースは多いというか
誰しも多少なりとも
そういう部分を持っていたりするのではないか
と思います。

現状を冷静に考えてみて
納得いっているのなら良いですが
そうでなければ点検が必要です。

意識の外にある
見えないものが足を引っ張っているのかもしれません。
無意識が求める何かとトレードオフが効いている可能性が高いです。

そいつが邪魔なら
勇気を持って捨て去りましょう。

それを断捨離と言います。
これはヨーガから来ている言葉だそうですが
執着から離れるという意味ですので
仏教にも通じるところがありますね。

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