ポジティブな出来事が起きたときは
どんな感情で受け止めるか?
ネガティブな出来事が起きたときは
どうする?
当然ですが
それによって結果は異なってきます。
でも、何をもってポジティブとするかネガティブとするか
それも問題です。
人付き合いが苦手な人は
初対面の人に会っただけで
ネガティブな感情を抱いてしまうことがあるかもしれませんが
それを楽しめる人がいたりします。
相手にもよるかもしれませんが。
想定外の出来事が起きたとき
大抵は困惑するかもしれませんが
それを楽しめる人がいたりします。
程度にもよるかもしれませんが。
何が起きたときにどう思うか
というのはその人の価値観による
ということです。
で、この価値観を
「普通」という
よく分からないところに収束させてしまう
そんなことがあります。
その「普通」が
果たして自分の理想に対して
望ましいものなのでしょうか?
望ましいなら、この話はここで終了です。
この「普通」という価値観ですが
自分が意識的に作って
持っているなら良いのでしょうけど
どうなのでしょうね。
恐らくこれ
非常にやっかいな問題だと思うのです。
「普通」を求めるのはなぜでしょう?
恐らく、異質なものに対する
批判とか攻撃とか
面倒なものを回避して
それによって傷付きたくない
という願望からくるものではないでしょうか。
とすると、それは
生存本能によるものなので
なかなか手強いですよ。
学生は、この「普通」に翻弄されています。
普段は、「普通」になっていることで
面倒から回避できたり
周囲と価値観を合わせて
集団の中で生きやすい状態となります。
でも、いざ就職活動となると
「普通」には価値が無いことが判明します。
他に対する優位性とか独自性が無いわけですから
自分を選んでもらう理由が無いことに気付く。
そこからどうにかしようと思っても
時間が無いのでどうにもならない。
時間が無くなっちゃったら
そりゃぁもうどうにもならんので
できる限りのことをするしかないでしょう。
時間があるなら
自分の価値観を点検するのも良いでしょうね。
とはいえ
それは普段の自分は意識していないので
なかなか手強いですよ。
見えないし感じられませんから。
なので、それが見える人との関係を持つことが
大事だったりします。
最近は、そういう環境は
なかなか無いでしょうけどね。
私が学生の頃は
学校の外での人付き合いに助けられました。
というか、鍛えられました。
今なら
いわゆるメンターと呼ばれる人達ですね。
よく言われましたよ。
「お前、それで良いんか?」
って。
そうそう、メンターは
経験豊富で客観的な視点を持った年長者
じゃないとダメですよ。
年齢や経験が近いと
価値観も似ているわけで
客観的な判断どころか
妥協や傷の舐め合いになって終わります。
私は、学生のことどころか
社会に出てもメンターに恵まれていたと思います。
おかげで色々分かりましたし
貴重な経験をさせてもらいました。
というわけで
お師匠様を求めて冒険の旅に出て下さい(笑)