やってあげるのは本当に良いのか?

今日も、おかしなAI生成のイラストでスタート。

教育とは、教え育むと書く。
外部から、「教えてあげる」ということですかね。
知識の伝授を「やってあげる」って感じ。

教えてあげる
やってあげる
一見良さそうです。

でも、これが相手にとってどのように働くかは
相手との関係や、状況や内容で決まります。

やってあげれば
相手は受け身で良いわけで

受け身の状態だと
やらなくて済むなら
できなくても良い
みたいになりがちで

自分で考える必要が無くなってしまう。
その状態では、「思い」は発動しないので、何も起きません。
(※言われた問題を解く、みたいのは作業であって、考えるってのとは違いますよ というのを前提にしています)

これはマズイ。非常にマズイ。

「やる」と「やらされる」は
似ているけど全く違う。

そこには内発的な動機がなくてはならない

相手が「できるように」なって欲しいのであれば
やってあげるのは逆効果になる可能性が大きい。

これ、つまり積極的に教えると
学べなくなるってこと。
何と皮肉な。

自ら「やりたい」と思えるようになるのが理想なのだけど
それって、相手の内的な問題なので、どうしたものやら。

と、かなり極端な話をしてしまったけど
恐らくこの点が我が国の教育の問題点なのだと思います。

それに対する答えは簡単には得られないかもしれないけど
でもまぁ、問題が認識できているというのは良いことだよなぁ
なんて思っています。

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