ヒーロー達

たまにふと思い出すことがあります。
子供の頃のヒーロー達。

なぜか仮面ライダーとかウルトラマンとかではありませんでした。

イーブル・ニーブル((Evel Knievel)
イーベル・クニーベルって感じの発音が本当なのかな。
テレビでは、イーブル・クニーブルって紹介されていたはず。

伝説的なアメリカのスタントライダーで、たまにテレビでこの人のチャレンジをやってたんですが、何だかよく分からないながらも食い入るように見ていたのはハッキリ覚えています。

何台も車を並べた上をジャンプ台を使って飛び越えるとかのスタントが有名です。
今でも記憶に残っているのはどこかの峡谷を飛び越えるってヤツです。
ずっとそれはグランドキャニオンだと思っていたのですが、ちょっと調べてみたところ、どうやら違ったようです。

その頃の私は小学生。
車やバイクが好きで好きでしょうがない…ということはありませんでした。

恐らく同じ頃
やはりテレビでレースを見てました。
富士スピードウェイのF2だったのかな。

カッコいいなと思ってたのは、星野一義さん。
マシンもカッコよかったけど、レース運びが印象に残ってます。
たまたま見ていたレースがそうだったのかもしれないけど、ドライのレースだと、惜しいところで2位とかが多かった気がします。でも、雨のレースがめっぽう強い。
あれはカッコよかったなぁ。

そんなふうにたまにレースをテレビで見ていても、やっぱり車やバイクが好きだという自覚は無かったですね。全く。
サーキットで本物を見たいとも思わなかった。

あ、でも、レンタルのポケバイは夢中になって乗っていましたね。
スネを路面にこすりつけて血まみれになっても、全く痛みを感じなかったくらい楽しかった。
ただ、自分からポケバイに乗りたかったわけではなく、どうしても乗りたいと言っていた弟の付き合いで乗ったら楽しかったのです。

この辺までが小学生の頃。
中学では大して乗りものには興味が無かった…のかなぁ。
記憶には残っていないので、きっと夢中にはなっていませんね。

高校生になってからは、自分で原付を手に入れて乗ったり、たまに友達にデカいのを借りて乗ったり。
この辺でバイクが好きだという自覚が出てきました。

大学に行ったら、スクーターレースから始まって、当時やっていたTTF1というカテゴリーのバイクのレースのメカニックをやったり、少しずつのめり込んでいきます。
世はバイクブームだったので、バイクに乗るのは当たり前、スピード出すのは当たり前、その流れでレースをやるのも珍しくはないという感じでした。

テレビでも週末にはレース中継を良くやってました。
日曜の深夜には二輪の世界GPを中継してましたね。
GP500はフレディ・スペンサーがカッコよかった…のですが
中継は、500cc、250cc、125ccという順番にやっていて、最も遅い時間帯にやっていたGP125が一番面白かった。
あれ?逆の順番だったかな?
とにかく125は、ストレートから第1コーナーに4,5台が横並びになったまま突っ込んで、その後も頻繁に抜きつ抜かれつ。最高にスリリングでした。
その時のヒーローは上田昇さん。
日本GPの鈴鹿で、ワイルドカードで出場して、1位ですからね。
その後は世界GPにフル参戦して勝ちまくり。

当時は、まさかこんな人と知り合いになって、一緒に仕事ができるとは思ってもみませんでした。
今は上田さんのチームとジョイントして、鈴鹿8時間耐久で学生達がお世話になっています。

その後はF1ブームがやってきます。ターボF1の時代です。
やっぱりアイルトン・セナですよね。
当時の私はホンダの車を設計してたので、勝ってくれると嬉しかったなぁ。
ホンダが優勝すると、職場では紅白饅頭が配られたりしてましたね。
社員食堂には、巨大な横断幕が貼られたりしてね。

で、その頃のホンダF1チームの広報をやられていたのが小倉茂徳さん。
テレビの中継でもおなじみのレースジャーナリストです。
単なるジャーナリストではなく、元が本物のF1の広報マンなので、当時のF1界の大物は友達ですから、単に「知っているだけの人」とは話のレベルが根本的に違う。

実はこの人が日本にFormula SAEを紹介した張本人なのです。
一緒にアメリカやオーストラリアの大会に行って、色々勉強させてもらったり、凄い人を紹介してもらったり。
これも、「まさかこんな人と一緒に…」というケース。
いやぁ、本当に運に恵まれていると思います。

そして大学に来てからのお師匠様が、1960年代ホンダF1の車体設計者、佐野彰一先生です。
さらに、卒表生がホンダF1の設計者になり、その彼のボス、F1の車体設計のチーフが以前仕事でお世話になった方だったりして。

いやー、世の中狭いというか、面白いですね。

誰しも幼少の頃のヒーローがいるのではないかと思います。
それが仮面ライダーとかウルトラマンじゃなければ、こんな風に人生の所々に何かしらの接点のようなものができてくるものなのかな、と思ってます。
途中で諦めなければ。

そう思う反面
もし、もっとのめり込んでいたら果たして何が起きたんだろう?
とも思います。

ま、レースも人生も「~たら」「~れば」無いのですけどね。

初動と現状

ど根性ガエルのヒロシの先生は、「教師生活25年」だっけ?
あと5年だ!
若いコは知らんか(笑)

大学に来て、Formula SAEをやる学生達と付き合い始めた当初からは、色々考え方ややり方が変わりました。

最初の頃はよく怒ってたなぁ
と思います。

怒ってた理由は
学生に対する期待と現実のズレが原因でした。

始まりは彼らの
「勝ちたい!」
という一言から。

とは言うものの
経験が無いのだから、そのために何が必要か、どうしたら良いかは分からないのは当然で、そこに期待と現実のズレが生じます。

こっちは学生のやったことを評価する立ち位置なので、ああしろこうしろというよりは、「勝ちたいって言って始めたんだから勝てるようにやろうぜ!」という感じなんですけどね。

でも、学生達は精一杯やってくれました。
全く何も無い環境で彼らがやったことは奇跡的でした。
おかげで彼らは伝説的な成果を残せたと思っています。

そして、ありえない奇跡が今日まで続いてます。

他からどう見えるかは分かりませんが
私はそう思ってます。

最初の頃は、限られた時間内で現実離れした成果を絶対に残すことにフォーカスしていたので
かなり厳しい状況だったと思います。

でも、活動立ち上げの時期の創設メンバーってのは、モチベーションが高いのでそういう状況でも耐えていける。

その彼らが大きな遺産を残してくれて、おかげで後輩たちが高いところを自然と目指し続ける環境ができたのだと思います。

初動は大事なんですね。

でも、そんなチームのバックグラウンドをある程度知っている後輩たちは、失敗をせずに効率よく高いところに行けないか、という至って普通な欲求を持ちます。

そんなの無理です。

だって経験無いんだから。

でも、彼らの在学中に、ある程度納得できるところまで行って欲しい。
入学時には経験がなかった新しいメンバーを、先輩たちより高いところに行けるようにするにはどうしたら良いのか。

在学期間は4年と限定されているので、普通に考えたら無理なのかもしれませんが、それでは納得できませんよね。本人は。

でも、第三者が色々とやることを強制してレベルを上げようとしたら、年々キツいことになってパンクするでしょう。

本人の成長を加速させて、自発的に学ぶようにならないとどうになりません。

幸運なことに、時が経つにしたがって学生達は色々と工夫して頑張るようになってきています。

おそらく今年はコロナも終息して活動に勢いがつくでしょう。
この春からの新1年生の加入にも期待できます。
どこまでいけるかお楽しみ!

VUCAの時代ですってよ

最近、VUCA(ブーカ)なる言葉を耳にしました。

予測が困難な将来について表すビジネス用語として使われていますが、そもそも軍事用語のようですね。

Volatility(変わりやすさ)
Uncertainty(不確実性という意味での曖昧さ)
Complexity(複雑さ)
Ambiguity(多様性という意味での曖昧さ)
というワードの頭文字です。

なんかね
「来た!来た!!」
って感じじゃないですか?

これから世の中がどうなるか分からないという認識は世界共通のようですね。

これはつまり今までのセオリーが通用しなくなるってことです。
理論が全く不要になるということは無いはずですが
「勘」が威力を発揮するでしょうね。
暗黙知が大活躍するはずです。

ということは、強みを発揮する根源は経験の数とか多様性かな。

かつての日本人のやり方
曖昧さを活かした微妙な世界が威力を発揮するかもしれません。

だとしたら、面白いことになりそうですよ。