ある伝説

私には何人かのお師匠様がいます
まずはホンダF1の最初の設計者である
佐野彰一先生ですが
佐野先生との間を取り持ってくれた恩人が
森久男さんという方です。

森さんは、ホンダの研究所の試作の人で
ゴッドハンド達を束ねていた親方でした。
ホンダがアメリカに工場を建てる際に
英語もできないのに単身現地に乗り込んで
用地の選定から工場の立ち上げまでをやった人でもあります。
叩き上げの職人さんって感じの人なのですが
凄い人です。

佐野先生は設計者でしたが
森さんは、そのマシンを作った側の人です。
製作側の苦労話とかノウハウを色々聞かせてもらえました。

なので私は、ホンダF1の設計者と製作者の両方にお師匠様がいるという
大変幸運な立場なのですね。
私にとっては、お二人ともレジェンドです。

その幸運な立ち位置に相応しいことができているのかというと
どうにもこうにも申し訳ない感じがするのですが
それはここでは置いておいて。

昔々、ホンダの売り上げが低迷していて
とある自動車会社に吸収合併になるのでは
という噂すらあったような時代
「ミニバン」なんて言葉すらなかった時代の話です。

試作の親方、森さんの発案により現場主導で
温泉車(おんせんぐるま)と呼ぶ車が作られました。

通常、車の企画は「上から」落ちてくるものなので
試作の現場主導で作られるなんてことは業務フロー上ありえません。
なので、業務終了後に密かに試作車を製作したそうです。

完成後、社長に見せたらGOサインが出て、量産化となり
当時空前のヒットとなったオデッセイとなりました。
これがいわゆるミニバンの「走り」です。
(「ミニバンの元祖」とかいうと諸説あるようですが)

お陰で命じられていたリストラもせずに済み
業績が回復したそうです。

そんなクルマを企画して作っちゃう現場もカッコイイですが
それに対してGOサインを出す社長もカッコイイです。
この時のホンダの社長は川本さんです。
幸運にも一度お会いしてお話しさせて頂いたことがありますが
本当にカッコイイ人でした。

私の世代は、そんな人達の活躍を目にしながら仕事をしていました。
「あぁ、凄いなぁ。オレもいつかあんな仕事したいな」
なんて思いながら。

なので、そんな森さんから頼まれた仕事は断れませんでした。
凄い短納期で、見たことも聞いたこともないような仕事が来るのです。
それ、普通にやったら絶対に終わらんぞ
みたいのが。

でも、私が率いていた特殊部隊は逆に気合いが入って
「森のオヤジからの仕事なんだから、何がなんでも何とかしてやる!」
という感じでした。
なので、徹夜して仕上げる
なんてのもたまにありましたね。

今はもちろん当時だって
労働組合が徹夜でやっつけるなんてのを許してくれるはずもないので
ボスが調整役になってくれました。

自分としては、そういう仕事こそが
自分にとっても組織にとっても大事な未来に繋がる
という確信があったので
「組合がガタガタ言うなら、いっそ組合辞めてやる!」
なんて大口叩いていましたが
ボスや組合の役員は
「まぁまぁ。そんなこと言うなよ」
なんてなだめながら、結局やらせてくれました。
みなさん大人でしたね(笑)

でも、お陰で凄く成長できました。
満足感も凄かったし、自信も持てた。
こういう仕事が今に繋がっているという明確な確信があります。

そして、普段は自覚が無かったりしますが
こうして思い出すと、いかに人間関係に恵まれていたことか。
本当にラッキーでした。

最近では「働き方改革」なんて言いますが
本当にそんなことしていて大丈夫なのかと心配になります。

「仕事は嫌なものなのだから最少にして効率を上げましょうね」
みたいな単一の価値観に縛られている気がしてなりません。

業務効率上げて生産性向上とか
そういうことに意味はあるでしょうけど
それ以前にパッションのある本当に面白い仕事はできるのでしょうか?
魂の入った仕事じゃないと価値は生み出せないと思うのです。

かのイーロン・マスクだって
テスラの生産立ち上げの時は
工場に泊まり込んで仕事をしていたそうですし
大きな変化点を乗り切る時って
大抵は強烈なパッションで流れを作っているはずです。

やりたいヤツに制限を掛ける必要なんて無くて
すぐにブラックだの何だの言う
やりたくないヤツに逃げ道を作ってあげればいいじゃないか
と思うのですけどね。

「頑張りたいヤツに頑張らせると世の中が二極化しちゃうから
みんなで仲良く貧しくなりましょうよ」
みたいな感じなのかな。
よく分かりませんが。

と、そんな愚痴を言っている暇があったら
頑張らないといけません。

「小平さんよぉ、ただやってるだけじゃダメなんだぜ。
知恵を絞るんだよ。知恵をよ」

森さんが亡くなってもうすぐ5年。
まだまだ不十分で修行中です。

書く

お!これは過去最短のタイトルだぞ!

なぜ地球上で人間だけが高度な文明を持つのか
とても不思議なテーマで興味深いですね。

サルと人間の遺伝子の数はほとんど変わらないそうです。
なのになぜこんなに能力が違うのでしょうね。

専門の学者さんはいるでしょうけど
考えずにはいられないことの一つです。

サルでも訓練すれば芸ができます。
つまり、ある程度言われたことができる。
ある程度道具も使える。
しかし高度なことはできない。

で、結局は
ここに行き着いてしまうはずだ

チームワーク
道徳
公の心・他利の心

…なんて思ったのですが
サルだって群れのことを考えた行動をします。
もちろんレベルは違いますけど。

難しいところに突っ込んでいくのはやめにして
分かりやすいところで行くと

言葉や文字を使う
これは決定的に違うぞ
と思います。

言葉も文字も
頭で考えていることではなく
自分の「外側」のことです。
「外側」に向けての情報のアウトプットです。

他人が聞いて分かる、見て分かる

これによって高度なコミュニケーションが可能になったのでしょうね。
まぁ、こんなの皆さんご存じでしょうけど。

とすると
話したり書いたりを軽視していると
良い仕事できないかもしれません。
うん、頑張ろう。

その中でも「書く」ことについてなのですが
我々の多くは勉強を「やらされ」過ぎちゃって
ノートを取るのなんてうんざりしちゃってるんですよ。

してないって?
うん、キミは偉いぞ!

ところで
何のためにノートを取るのですか?
ここが重要です。

学校の勉強だと
大事なところを書き出しておいて
最終的には暗記したりするんでしょう?
テストのために。

もしくは
「ノート持ち込み可」のテストで
良い点取るために。

仕事とかの実戦では
別に暗記がどうのとかは無いのです。
良い仕事ができればいいのです。

ノートを取る理由の一つは
記憶容量の拡張
です。
パソコンの記憶領域の増設みたいなもんです。

脳ミソがCPUとメモリで
HDDもしくはSSDがノートみたいなものかな。

なので
ノートに書けば忘れちゃっていいのです。

で、空っぽにした頭には
新しいものを突っ込める。

パソコンだって、メモリにどんどん情報を貯めていったら
オーバーフローしてフリーズしちゃうでしょう?
同じです。

大事なことだから忘れないよ!
なんて言ったって
刺激の強い情報が入ってきたら
押し出されちゃって忘れちゃいますよ。

何も手書きじゃなくても
パソコンとかスマホでいいんじゃないの?

それでもいいです。

でも、凄く忙しい環境で
作ったり書いたりする場合
特に文字情報だけじゃなくて
絵を描いたりする場合は
手書きの方が色々好都合です。

それに、電子情報はトラブルがあれば
一瞬にして情報が利用できなくなってしまうこともあります。

でも、検索とか再利用とか
コピー&ペーストでの成形とか
便利なこともあるので
使い分けが大事でしょうね。

最後に

仕事の情報や雑文などはパソコンでもいいのですが
自分にとって本当に大事なこと
自分のポリシーとか、ありたい姿とか、決意とか
そういうことは
特別なノートに、ちょっとお高い筆記具で書くといいですよ。
気合い入りますので、実現の可能性が高くなります。
私は字が下手ですけど、そんなことをやっています。

こちらも参考までに。

「快適」なのはいいですが

人は快適を求めます。

不便がなくて楽ちんなのは快適です。

でも
快適な領域にいると成長できないのですよ。

新しい事を始めたり
色んな人と会ったり

そんなことをすると
ひょっとしたら失敗したり
傷付いたりするかもしれません

なので
そういうのは
快適な領域から出る
ということになりますね。

でも、新しい発見とか経験をして
成長するにはそれしかありません。
大なり小なりチャレンジが必要だ
ということです。

不便がなくて楽ちんな環境は快適ですが
そこに留まって安住してしまうと
行く先はどこまでも快適な世界なのでしょうか。
まぁ、考えるまでもないでしょう。

むしろ
快適な状態に安住して
成長できないことが不快なのだ

と価値観を入れ替えてしまってはどうでしょうか。

で、チャレンジャーになりましょう!

ずっと同じじゃつまんないじゃん!
いつか変わる?
誰かが変えてくれる?
そんな時は来ませんよ。

快適な状態を保って
知識を蓄えていけば
ノーリスクで成長できるのでは?

そんなふうに思いがちかもしれませんが
それ、成長ではないです。
価値は高まりません。
満足感は得られるかもしれませんが。

価値は自分から他に向けてアウトプットするものです。

知識を蓄えるというのはインプットすることです。

「知識を蓄えれば価値が高まるのでは?」
というのは
「インプットすればアウトプットできるようになるのでは?」
というようなことで
理屈が破綻しています。

「知ってる」と「できる」は違う
というのはそういうことです。

「膨大な知識を持っているけど、何もできない」
よりも
「大して知らないけど、ちょっぴりできる」
の方がマシです。
それを繰り返していけば、結構なことになりますから。
凄いスピードで繰り返せば凄いことになります。

「今はいっぱい蓄えておいて
あとで思いっきり使う時が来るのさ!」

「あとで」ね。
それ、いつ?
そんな時は本当に来るの?

そんなこと言わずに
今、チャレンジしましょう!