やるかやらないか いつやるか

「どうしようかなー」
と迷ったとき

大抵のことは
やった方がいい

しかも
すぐやった方がいい

まぁ、ものごとにもよるとは思いますが
どんなものごとならやるべきか
というのも
判断材料は過去の経験です。

なので、若いうちは
やった方がいい

その結果を経験として
未来の判断材料にすべきです。

誰かに聞いたり
何かを見て参考にしたり
そんなのもいいかもしれませんし
時としては必要でしょう。

でも、どうするかは自分で決めて
やってみましょう。

そもそも
人に聞いたことを真似てやってみたところで
同じ結果が出るとは限りません。

特に自分の人生に関することは。

失敗したくないから
なんて考えて
人に決めてもらっていたら
そんなのは自分の人生じゃないですものね。


決めたらやりましょう
すぐにやりましょう

結果はどうであれ
早く分かれば、その分早く次の手を打てるから。

冷めたピザは美味しくないのですよ。

必要以上に時間をかけるということは
価値を増大させるどころか
価値を低下させる

時間切れになったら価値はゼロです。

それほど分厚い人生経験があるわけじゃないけど
たぶんこれは確かです。

長い時間迷ったり
判断を他人に委ねたり
実行を先送りにしたり

そんなこともしましたけど
大抵は良い結果に繋がりませんでしたから。

この件に関しては
まだまだ修行中で
まだまだ納得いってませんが
でもこれは確かだと思います。

そもそもね
長々と迷うとか
実行を先延ばしにするとか
そんなのは勇気が無いのですよ。

勇気の無い考えとか行動なんて価値無いでしょう。

あぁ、自分で言っていて耳が痛い。

問題の先に理想があるのか?

問題を解決するのはもちろん意味のあること。大事です。
学校でも「問題解決能力を!」なんて言ってますものね。

しかし、問題を解決した先に何があるかが大事では?
というのが今回のネタです。
何のための問題解決なのかが重要ですよね
というお話しです。

まず、問題が完全に解決して、完璧な状態になることなんて無い
というのが最初に言っておきたいことです。

「完璧な状態」なんてのは、理論ではあり得るでしょうけど
現実社会ではまずあり得ません。
とはいえ、それを目指して頑張るのは意味があることだし
ことによっては、そうありたいとも思ったりします。
でも今回、これはオマケみたいなものなので、このくらいにしておいて
問題は「問題」についての認識です。

そもそも、ものごとは多面性をもっているので
「問題」とはいっても、別の側面から見ると
何かしらのメリットがあったりもするわけです。
なので、あっちを立てればこっちが立たず
みたいなことになりがちです。

学校での教員と学生の関係とか会社の労使関係なんてのは
そういうことになりがちでしょう。
特に、組織としての方針とか方向性がはっきりしていないと
そうなりやすい気がします。
というか、そうなります。

そんな状態で
双方が力を合わせて良い成果を出す
なんて無理でしょう。
共通の理想もないのに
力を合わせて同じ方向に進んでいく
なんてできるわけはないのです。
なので、社是が明確化されて意思統一された会社組織などは
成果を上げられたりするのでしょうね。

「社是とか理想とか、そんなのきれい事だ」
なんて言いがちな人の多くは利己的だったりする気がしますけど
そういう人が多い組織は
大抵は大した成果は上げられていないと思いますよ。

利己的な人って、組織としてのゴールを嫌う傾向がありますよね。
だって、組織としてのゴール達成を最大化していくと
そのために我慢したり頑張ったりってのが増えるわけで
自己の短期的な利益とか欲求がトレードオフで最小化されちゃう可能性がある
なので、組織としての長期的で大きな利益は達成しにくくなるのだと思います。

というわけで
問題だの何だの言う前に
皆で目指せる共通のゴールや理想の明確化をしないと
そもそも何のための問題解決なのさ?
ということになりがちですよね
というのが今日言いたかったことなのです。

良いチームが必要だ

個々のモチベーションとか能力とか
そんなのが必要なのは当然ですが
やはりチームとしてうまくいっていないと良い仕事はできませんし
そもそも世の中うまくいきません。

だって、世の中の大抵のことは一人じゃできませんから。

研究者みたい人は、一見一人でやってそうに見えても
大抵は誰かに支えられたりしてますし
(本人がそれに気付いていないことも多々ありますが)
ものをつくって売るにしても、お客さんとの関係は重要で
これも言ってみればチームのようなものでしょう。
特にリピーターやファンなんてのは
商売を支えてくれているわけですから。

昔の日本は、家族や会社内、地域の結びつきが強くて
そういうのも言ってみれば強いチームだったわけでしょう。

もちろん、そうは言っても良いことばかりじゃなくて
チームならではの面倒なことも多いわけですが
そういうのはトレードオフなのですよね。

本来は、このトレードオフのバランスを調整しながら
最適化していかなければならないのに
個人主義なんていって
面倒な部分を切り捨てる方向に行ってしまったのが現在でしょう。

そもそも、そういった類いの面倒って
無くそうにもなくならないものだと思うのですよ。
面倒を切り捨てたところで
それが原因で将来においてもっと面倒なことが起きるわけですから。

まぁ、そういうのもやってみなけりゃ分からないわけだし
そういう変化の過程で将来何が起きるか分かっていたかというと
当然分からないからやっちゃうわけで
面倒を切り捨てたくなるのは大変良く分かります。
だって自身が面倒くさがりだから(笑)

チームビルディングはとても重要ですが
学校だってチームの重要性なんて教えなくて
一人でやることばかりです。

皆同じようにできないと評価されないので
そもそもチームで力を発揮するような経験はないし
ヘタすりゃそんな世界があることすら気付けない。
学校の外はそうなっているのにね。

なんで組織でやるのか
その辺を知らないと
その辺をやってみないと

結局は自分はどうあるべきなのか
なんてことは分からないままでしょう。

多様性がどうとか
皆違っていていいとか
そういうのは当然なのだけど
それらがどこに繋がっていくのかというのが重要で

違う者同士が力を合わせて大きな力を発揮する
という重要なことを伸ばしていかないと
世の中良くならないですよね。

こんなやり方をしていたら
幸福度が低くても当然だし
自殺者が多くても当然だと思う。

恐らく、こんなことは多くの人が
すでに気付いているでしょうから
みんなで頑張っていきましょうよ
ってところです。

追記
先日のアメリカ遠征で気付いたことがあります。
アメリカに限らず、英語圏では”Thank you”を良く耳にします。
いいことです。
対して日本では「ありがとう」をあまり耳にしませんけどね。
で、遠征中に気付いたのは、アメリカ人が以前より”appreciate”と口にするようになっているということです。気のせいかもしれませんが。
これ、”Thank you”よりもう一段深いところに行っているってことでしょうか。
一見、世界の覇権を失いかけているようにも見えるかもしれませんが、やはり強い国だな
と思った次第です。

他に感謝を伝えるのが強いとか弱いとかに関係あるのか?
そりゃぁ日々感謝を口にしてみたら分かるんじゃないかな。