「何ために」はどこに向いてる?

当たり前の話なのですが
仕事は人のためにするから価値があるわけで
その辺を学生に理解して欲しいな
と思ってはいますが
若い人には理解しにくいことの
一つなのかもしれません。

でもいいのです。
そんなことは色々やっていく中で経験して
気付きを得ればいいでしょう。

コンペティションで勝ちたいなら
単純に「やってみたい」
「勝つためなら何でもアリ」
で良いと思うのです。
興味や優位性、独自性は大事ですから。

学生のうちは
特に初動においては
まずはそのような価値観で動いて良いと思います。

大抵は視野が狭くて
ピンポイントなところに魅力を感じたりするわけで
内的な欲求や私的な成果のために何かをやろうとするわけで
それが入り口でも良いと思います。

経験が不十分で視野が広がっていないうちから
「他のために」というのは理解できないでしょうから。

それを理解してからものごとに取り掛かる
ということができれば良いかというと
そうでもありません。

狭い視野で我欲に突き動かされて
失敗して行き詰まって
そこで得られる気付きというのは
単に人から教わるのとは重みが違います。

失敗や行き詰まり
それを克服すること自体が成長ですから。

いっぱいものごとを知るのが成長ではないのです。

なので、「まずやる」「ダメなら変える」
くらいで良いのだと思います。
というか、それがベストです。

最初は内的で私的であっても
続けていくうちに
それでは継続できず
成果を出せず
自分達を支えてくれているもののために
成果を出すべきだと気付く。
これが学びで成長だと思います。

そして成長していって
最終的にどこに向く必要があるかというと
社会に向かなければならない。

社会のためにならなければ
それらは価値を持たないし
そもそも公益がないものは持続不可能ですから。

というわけで
最初からパーフェクトである必要はないし
むしろそうあるべきではないのかもしれません。

最初から考えすぎると動けなくなるし
間違った考えで動いてしまって
それに気付くのも学びだから
どんどんやって
転んで立ち上がって
ジタバタすればいいのですよ。

大きなビジョンを持つのも行動するのも自由

渋沢栄一が今ホットなんですか?
TVでドラマ化か何かされたのかな。

よく分からないけど
良いことですね。
日本の未来を考えて
頑張った人に注目が集まるのは良いことです。

でも、渋沢栄一の生き方を参考にして
そんなふうになりたいと思う人はいるのでしょうか。
我が子にそんな人生を歩ませたいと思う親はいるのでしょうか。

もっとも、当時とは時代が違うので
同じようなことはできないでしょうけど。

渋沢栄一は、チョンマゲの時代から
日本が西洋文化を取り入れる
大きな変革期に生きた人です。

さぞや立派な教育を受けた
高学歴で頭の良い人
だと思いますか?

全然違います。
興味がある人は本を読むなりして
調べてくれれば良いかと思いますが。

そもそもは、今の埼玉県の
深谷あたりに生まれたのではなかったかな。
農家の生まれで藍染めに使う藍玉の生産とか
売買をしたりしていたそうなのです。

その後、高崎城を襲って武器を強奪して
当時の横浜にあった外国人居留地を
襲撃することを計画します。
攘夷ってやつですね。

結局、説得されて襲撃は諦めるのですが
その後、攘夷派から言ったら敵方の幕府側に立って
幕府が倒れた後も日本の未来のために活躍するわけです。

まさに波瀾万丈な人生です。
TVなどのメディアも良いですが
ぜひ本を読んだりして欲しいと思います。
その方が面白いから。

さて、このように渋沢栄一は学歴はないですが
日本の未来のために
という筋を一貫して通した人生を送りました。

今、我々がいわゆる文化的な
豊かな暮らしができているのも
渋沢栄一の活躍があってこそ
と言えるかもしれません。

こんなストーリーを見ていると
そもそも学びって何なのだ?
と思います。

もちろん、当時と今では時代が違っていて
社会のシステムも違うので
単純な比較はできません。

時代が人をつくる
という側面もあるのでしょうし
今の世に渋沢栄一のような考え方と
行動力を持つ必要があるのか
と言ったら疑問ではありますが。
…あるかもしれませんが(笑)

大事なのは、生まれがどうであろうが
学があろうが無かろうが
大きなビジョンを持って行動するのは
自由だということです。

そういうことは
他人に決めてもらうことではありません。

自分の持つビジョンの実現のために
必要なものを得ていく
それが学びなのでしょうね。

出来の良い、いい子だったら
いずれ大きなビジョンを持つだろう
なんて逆説は成立しないと思います。

良い部品を集めてきて組み立ててみたら
良いクルマができちゃった
なんてことはあり得えませんから。

日本人の強みは何だろう

国際社会で日本人がうまくやって行くには
一体どうしたらいいのでしょう?
なんてことを日々考えています。

地方の一大学教員がそんなこと考えてどうするんだ?
なんて言わないで下さいね。

夢工房の学生達は海外のコンペティションに出て
社会に出た後はグローバルマーケット向けの製品開発をするのですから
私ごときでも、そういうことを考えて仕事をしないといかんのです。

そもそもモータースポーツは欧米発の文化だし
海外大会で戦うレーシングカーを作る
学生の面倒を見ているのですから
これは大事なことなのです。

学生のレーシングカーにしても
グローバルマーケットの製品にしても
ライバル達の真似をしていても
オリジナルには勝てないので
自分達の強みを使う必要があります。

ここで言う
真似だの強みだのと言うのは
技術的なことに限りません。
というか、むしろ考え方なのです。

戦略的な思考の階層で言ったら
上位の方の概念に関する考え方ですね。

その辺を考えて
強みや価値にしていく必要があるのですが
現在の我々の持つ独自の強みとか特徴って
意外と分からないものなのです。

だって、日ごろ意識していないから。

我々が普段自然に考えていることは
我が国の歴史とか風土とか
そういうものから自然とできているのです。
そういうのって意識できません。

なので、その辺を意識できるようにするには
昔のことを調べてみると良さそうな気がします。

昔から我が国日本でコンスタントに起きていたこと
といえば自然災害です。

またまた前置きが長くなりましたが
最近考えているのは
日本の自然環境が日本人の考え方を作ったのだろうな
ということです。

前に書きましたが自然災害なんかは
我々の考え方に
とても大きな影響を及ぼしていると思います。

我々にとって自然災害は
結構身近で慣れちゃっているところがあるのですよね。
そりゃぁ大規模な災害ともなれば話は別なのですが
小さな地震なんかはあまり気にしないでしょう?

でも、ほとんど地震が無い国なんてのも結構あるわけで
そういう国にしたら、震度1とか2くらいでも
大騒ぎだったりもします。

他にも、大雪が降ったり水害に見舞われたり
火山が噴火したりなんてこともありますが
何とか対応してしまう。
インフラの復旧スピードなんて凄いと思いますよ。

そういうのって
自然災害は我々にはどうしようもないことだ
って諦観しているようなところがあって
いつまでも執着しないで
手早く対応に着手できる
なんてのもあるのかな
とも思っています。

この災害に対する対応スピードや内容については
恐らく賛否があるとは思いますが
たぶん世界的に見たら
かなり頑張っている方だと思います。

で、このあたりから何を考えていたかというと

起きてしまったことに対して
必要以上に執着しないならば
次のアクションに速やかに移行できるわけで
開発のサイクルを早く回す
なんてのもうまくいくのだろうな
というようなことです。

それがうまく行ったら
性能とか品質を向上させるようなことも
うまくいくでしょうね。

ただ、技術を向上させていくためには
執着するのも大事なことなわけで
その辺の使い分けはどうしたら良いのかな
というのを引き続き考えてみます。