オーストラリア大会キャンセル

Formula SAEのオーストラリア大会は、夢工房の学生達が過去20年において最も重視してきたイベントです。

今年も12月の遠征を目指してマシンの開発を進めてきましたが、マシンの発送に開発が間に合わないことが明確になったため、残念ながら本日遠征の中止を決定しました。

応援して下さっていた皆様、ご協力頂いた皆様には、大変申し訳ない限りです。

輸送費の大幅な値上がりによって、スポンサー獲得活動に大幅に時間を割くことになった事による開発の遅れ。土壇場になって多くのメンバーがコロナに感染したことによる開発の遅れ。
他にも色々と原因はありますが、言い訳のようになってしまいます。

この活動は学生主体でやっていますが、もちろん私の指導力不足もあります。

当事者の学生達自身が最もショックを受けているとは思いますが、遠征中止を決定した本日から、中止に伴う対応の検討と、今年の活動に対する評価、来年に向けた計画を開始しました。

もちろん今夜は評価会という名の反省会を実施したわけですが…不謹慎かもしれませんが、やっとスタートラインに立てた気もしています。
人は難しいです。

「良い」って何?

ありがちな話なのだけど…

ものをつくるには企画が必要です。
レーシングカーを作るのであれば
どうやって勝つのか
ということになるのですが。

そのための戦略を考えるのが企画です。

マシンの設計を始めるということは
どうやって勝つのか
という戦略が決定された後
ということになります。

というのも
設計をするということは
勝つための方法を実現するための
具体的な手段を決定していく
ということだからです。

マシンを構成する部品は
戦略実現のための手段を形にしたものです。

設計段階においては
「何のために」
が明確化されていないと
何のためかよく分からない部品になります。

単品ではイケていても
マシンのコンセプトに合致していなければ意味がありません。

なので
「まず設計してみようか」
なんてことはあり得ません。

また、一般的に言われる
「良い部品」
を寄せ集めても
良いマシンにはなりません。

なぜかというと
その「良い」が
マシンの戦略やコンセプトに合致しているのか
というのが問題で
コンセプトと異なる方向の「良い」では
マシンにとっての「良い」では無いからです。

たぶん、この辺はビギナーにとっては
理解しにくいところではないかな。

自動車マニアな新入生なんかも
こういうところでハマります。

ヘタに色々知っていると
一般的に「良い」と言われるものも知っていて
そういうものを使えば「良いマシン」になる
と思いがちだから。

これ、人間も同様で
「あいつは頭いい」
とか言うけど
「何のために?」
が明確化されていなければ
あまり意味は無いのではないかな。

と、そんなことを
久々に行ったバイク用品屋さんで
ハイクオリティな部品を眺めながら思っていました。

夢工房の「恩送り」

やることなすことなんでもかんでも全力で
というのはさすがに無理ですが

自分が「やるべきことだ」
と思ったことに対しては全力でやって欲しいものです。

では、どこまでやるのか?

例えば
夢工房でレーシングカーを作っているような連中はどうすべきなのか

こういう活動をしている時に
真っ先に問題になってくるのは
資金面ではないでしょうか。
クルマを作ってレースをするのですから
お金がかかります。

夢工房の活動は
大学からの支援や研究室の研究費などを活用していますが
それだけでは海外遠征は不可能です。
ひょっとしたら
マシンを作ることすらままならないかもしれません。

現状の手持ちのリソースだけでは
海外大会に出たいという
彼らの夢は叶わないので
「じゃ、できる範囲で…」
ということにすると
この活動は、途端にチャレンジではなくなってきます。

できる範囲でやることを
チャレンジとは言いません。

未来をつくっていく人間は
チャレンジャーでなければいけません。

チャレンジしなければ
現状維持しているつもりでも
徐々に降下していきます。

そこで彼らはスポンサーを探して
協力をお願いしています。

自分の財布で何とかできないのに無責任?

そういう考え方もあるかもしれませんが
スポンサーから支援して頂くということは
相応の責任が伴うので
簡単に諦められないということです。

「やる」
と約束して支援してもらっているので
やらなければ約束を破ることになります。
だから、何が何でもやらなければならない。
(という状況で、このコロナ禍は正直キツいです)

これは、授業で「単位を落とすからやらなければ」
なんていう状況とは比べようがありません。
パーソナルな問題ではないので
責任の大きさも次元も違いすぎます。

授業やら何やらというのは
パーソナルな問題なので、最低限でもいいのです。
文句を言うのは親と先生くらいです。
(注:かといって、卒業できないなどは論外です。
早く世のお役に立つ必要があるのですから)

でも、こういったやりかたで活動をしていると
最低限では誰も力を貸してくれません。
最大限やるところに価値があって
そこに責任が伴うのですから
好きなことを全力でやることになるわけです。

では、スポンサーをはじめとした
支援者には何をお返しできるのか。

良い成績を上げて喜んでもらえたら最高です。
しかし、直接的にお返しできるものは何も無いかもしれません。

しかし、支援してもらった彼らの持つ責任が消えるわけではありません。
彼らは卒業後、その恩に報いるべく
良い仕事をして世の中を回していく使命を持っているのです。

というか、こんなことを毎日全力でやっていれば
そりゃぁ仕事ができるようにもなってしまいます。

受けた恩は返すのではなく
将来活躍することによって
世のために、次世代のためにと送っていく。
こういうのを「恩送り」というのですね。