世界中の工科系の大学生が手作りのレーシングカーで競い合うFormula SAE
日本では「全日本学生フォーミュラ」という名称で2003年にスタートして、国内には現時点で90チームほどが活動しています。
東京電機大学チームは、2002年のオーストラリア大会参戦を皮切りに、現在に至るまで毎年海外大会を中心に参戦してきました。
このイベントは、1979年にアメリカのヒューストン大学を会場として「ミニ・インディ」という名前でイベントがスタートしました。
「インディ」とは、100年の伝統を持つアメリカのレースからきています。
F1のようなレーシングカーによる時速300kmを超えるハイスピードレースで、アメリカでは絶大な人気を誇ります。
最初は木製の車体に5馬力の芝刈り機のエンジンを搭載したもので、手作りのゴーカートを持ち寄った大会のような形だったのではないでしょうか。
始まりは、ヒューストン大学の教授が、ポピュラーメカニクスという科学雑誌のHow-to記事に触発されたことがきっかけだそうです。
ちなみにこの雑誌はまだ現存しています。How-to記事は相変わらず面白いですね。
ここに大事なポイントがあります。
レースを題材にすれば、車好きの学生達が自発的に、しかも全力で取り組む強力な動機ができるということです。
自動車大国アメリカに限らず、自動車好きの学生が手作りのレーシングカーイベントに惹かれるのは必然です。
このイベントによる学びは、教室での授業で「与えられたものを覚える」というスタイルではなく、自発的で効果的な学びとなります。
これは頭で考えるだけの学習よりはるかに効果的なのは言うまでもありませんよね。
さらに、レースで勝とうと思うなら、先端の技術やアイディア、これをハンドリングするモチベーションが必要とされます。
イベントはより広がりを見せていくかと思いきや、なんと翌年には主催する者が現れずに頓挫してしまいます。
しかし、最初の大会から2年後の1981年に、より自由な規則やエンジニアリング的な要素を取り入れて、Formula SAEとして再スタートします。
その大会の参加車両がこちら。
この1980年初頭は、アメリカで日本車が台頭して、いわゆるジャパンバッシングがあった時期です。
当時のアメリカでは、安くて信頼性の高い日本車が市場を席巻し始めたころで、現地の自動車メーカーは深刻な危機に陥っていました。
日本のテレビでは、デトロイトの街中で日本車をハンマーでたたき壊すデモンストレーションをしていた映像が流れていたのを覚えいています。
実はFormula SAEは、優秀なエンジニアを実践の場で鍛えることにより、アメリカの自動社産業を再生するためのツールでもあったわけです。
現に現在のアメリカ車は、多くのFormula SAE経験者により、性能はもちろん信頼性も品質も向上しています。
その後、イベントはイギリス、オーストラリア、ドイツなど、先進各国を中心として多くの国で開催されて現在に至ります。