足で設計する…?

私がかつて自動車の設計をしていたとき
仕事がとても楽しかった。

自動車開発の現場って、いわゆる「頭のいい人」「できる人」が山ほどいます。
皆さんとても魅力的な人たちで、そんな中で仕事ができることは、とてもエキサイティングでした。

もちろん、そういう環境でベストを尽くしたい。
こんな自分でも何かやりようがあるはずだって思って実行していたのが

「足で設計しよう!」

です。

足で?

別に足で図面描くわけじゃないですよ。

設計者って、PCの前に座って、ゴリゴリCADやってるイメージがあるでしょう?
実際その通りだったりもするんですけどね。

自動車の設計って、色々なパートに分かれてやるんですけど、とにかく他パートとの調整作業が多いし、それがとても重要なんです。

もちろん電話とかメールでもできたりするんですけど、一番話が早いのは、相手のところに行って、直接話しをすることです。

なので、何かあるとすぐに相手の部署に飛んでいって話しをすることにしていました。
もちろん、その方が仕事が早いってのもありますが、電話とか、メールとか、図面の情報だけとか、限定された情報を元にすると、表面的なものの裏に隠された意図とか本質的な部分が見えないのですよ。

それにね、仕事は「皆で力を合わせて良いもの作ろうぜ!」ってことなので、結局は人対人なんですよね。

車の設計って、凄く高い技術レベルで、計算ずくで最適なものになってるように見えるでしょう?

そんなこと無いです。
あ、技術レベルは高いですよ。凄く。
でも、理論だけでできてるわけではないですよ、ってことです。
もちろん、コンピューターが勝手にやってくれるものでもない。
多くの部品が、お互いに主張したり譲り合ったり、相対的なバランスを取って、最終的な形態を形作ってます。

なので、他のパートとのやりとりはとても重要なのです。
部品相手に仕事をしているように見えて、実はその部品の設計者と仕事をしているんです。
これ、意外と忘れがち。

私は色んなことをやらせてもらいましたが、当初は電装の設計を担当していました。
電気を使う部品全般の設計です。
中でも、いわゆるワイヤーハーネス、電線が一番ボリュームが大きい
これはとても大変な仕事でした。

電線って、車の隅々まで這い回ってます。
なので、車体を構成するほとんど全てのパートに関わるわけです。

でも、「電線なんてグニャグニャ曲がるんだから、どこでも自由に通せば良いじゃん!」という感じで見られていて、なかなか場所の確保が難しいのです。

電線が一本でも切れたら車は動かなくなるかもしれないし、それが原因で火災になる可能性もある。そうしたら人命に関わりますから「テキトーに通しとけばいい」という仕事ではないのです。

こういう
「え~、めんどくせぇな」
というような仕事は、やはり対面で話さないとなかなか進みません。
だって、めんどくさいから。
メールなんかで調整しようとすると、ついつい後回しになっちゃったりして。
だって、そういうのってメール書くのも返信するのも面倒ですもん。
まして電話なんかじゃらちがあかない。

なので、とにかく相手のところへ行ってしまうことにしました。
で、話しをする。
自動車の開発をしている施設って広いですからね。
他部署まで数百メートル離れているなんてのは普通で、たぶん1日に何キロも歩いていたと思います。

試作の現場にもよく足を運びました。
設計者って、あまり試作工場行きたがらないんじゃないかな。
怖い人いるし(笑)

彼らは体張って仕事してるんだから、おかしな設計したら、そりゃ怒りますよ。
でも、そんな時は速攻で現場に行ってしまう。
そういう真剣な対応をしないと現場は納得しませんよね。
で、何が問題なのかを聞いて、どうしたら良いかを話し合って速攻で解決。
現場と話しをすると仕事は早いです。

そんなことをしていたおかげで、試作の人たちと話しをさせてもらって、色々勉強させてもらいました。

あ、そうそう、現場の人にビビってる設計者って、なかなか足を運ばないから、現場はますます腹が立つってとこが見えてなかったりしませんかね。
まぁ、気持ちは分からなくもないけど(笑)
逆に私は頻繁に現場に行っていたので、ずいぶん可愛がってもらいましたね。

でも、試作工場に頻繁に行ってたのは別の理由もあるんです。
日々、現場の「神の手」によって車が形になっていくのが見られるんですよ。
これはエキサイティングですよ。超リスペクト!
なので、何かと理由をつけて試作工場に行ってたというのもあります。

ってな感じで、エンジニアリングするうえで、頭が全てってわけじゃなくて、他のやり方もありますよ。
というお話でした。

Real Deadline 本当の締め切り

どんなクルマにするか考える

狙ったとおりになるように考えて設計する

狙ったとおりになるように作る

狙った性能が出るように実走行でセッティングする

こんなプロセスで学生達はレーシングカーを作っていますが
完成したクルマはもちろん
それぞれのプロセスにおいても
何が起きるか分かりません。

だって十分な経験がないのだから
それは当然です。

解析や強度計算がうまくできると
部品単品としては思った通りになるかもしれません。

しかし
それらを組み合わせて
実際に使う(走る)と何が起きるか分からない。

それは
作っている人間の
想像の領域の外のこと
イレギュラーなことが起きるからです。

いくら勉強しても
いくら慎重に設計しても
そういうことは起きます。

現実の世界では
イレギュラーなことは
常に起きる可能性がある。
要因は無数にあります。

授業ではそういうことは起こりません。
時間内に予定されたことを
学べるように考えられているからです。

たとえば
実験の授業では
どんな結果が得られるかは
最初に決まっています。
イレギュラーな結果が出てしまったら
授業が終わらないからです。

本来は
何が起きるか分からないから
「実験」するのであって
最初に何が起きるか分かっていることを
やるのは本来の「実験」ではありません。

でも、授業では「実験」と称して
本当の実験をやるときに
必要なことを学ぶのです。
決して無駄ではありません。

さて
設計の際に
狙ったとおりのことが起きるようなマシンにするために
よーく勉強して
すっごく慎重に設計して
あらゆるイレギュラーな事象を想像して
設計すると何が起きるか。

間に合わなくなります。
レースに。

勝つためのクルマを作っているはずなのに
そもそもレースに間に合わなくなります。

特に学生の活動の場合
時間的にカツカツですから。

なので
今の自分たちには
どんなやり方が効果的なのかを考えて
チームの方針を定める必要があって
その重要性を全メンバーに落とし込む必要があります。
こういうのは授業では学べません。

最近はあまり聞かなくなりましたが
Formula SAEの重要なことの一つに

Real Deadline

があります。

直訳すると
「本当の締め切り」
です。

レースには色々な締め切りがあります。

大会へのエントリー
自分たちの開発スケジュール
レースのスタート時刻
などなど

これらの「本当の締め切り」を守っていかないと
自分たちのミッションは果たせません。

なので
最も効果的なやり方で
開発を進める必要があるのです。

設計段階で
色々考えすぎて時間を使ってしまうと
実走行による最適化のための時間を失っていきます。

いくらよーく考えてマシンを作ったところで
完成したときに得られる性能は
当初の想定よりずっと低いはずです。
大抵はガッカリします。

そして
そこから性能を上げていくのです。
それこそが学びです。

そうやって学んだことは
決して忘れません。

プロでもそんなもんです。
なので「試作車」が必要なのです。
走らせてみないと
実際にやってみないと
分からないからです。

チャレンジしている学生達には
やると
分かる
その面白さを味わって欲しいものです。

色々経験していくと
「やらなくても分かる」領域が拡大していきます。
そうなると
やることのレベルをどんどん上げていけます。

そのループに乗せられれば
ますます面白くなってくるでしょうね。

分かっていることを積み上げていけば安心だし
そういうやり方が必要な世界もあるでしょう。

別にどちらが偉くて
どちらが劣っている
なんてことはないですが

もしチャレンジできる環境にいるのであれば
とにかく色々やってみて
起きる事象に対応する度に試されて
その度に学んで成長していく
そんな毎日も良いのではないでしょうか。

学生生活なんて
迷ってるうちに終わっちゃいますよ。

好きこそ物の上手なれ

昔から

好きこそ物の上手なれ

と言いますね。
好きなことは上達するもんだ
といったような意味です。

論語にもあります

子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

あることを知っていても
それを好きな人にはかなわない。
それを好きな人は楽しんでいる人にはかなわない。

ってことです。
まさに真理!

というか
昔からそんなの当たり前だったのです。
にもかかわらず
最近はそんな感じが薄れているように感じます。

工科系の学生は
もちろんそっちの分野に興味があるから
その道を選んでいるわけで
日頃から
もっとワクワクすることに接していれば
もっともっと伸びると思うのです。

現状は
学ぶ内容が自分の価値観に対して
距離を感じさせるようなものになっていて
自ら進んで「モノにしたい」と思えないのでしょう。

技術の価値の根底にあるものって
「動いた!」
「飛んだ!」
「走った!」
「速いぞ!」
とか
とてもプリミティブな感情だと思うんです。

それを支えるために周辺の技術があるわけで
細かい個別の技術がスタート地点ではないはず。

まぁ、中には細かい要素技術が好きで
そういうのが得意な人もいると思いますが。

ゴールが
「うわー!すげぇ!これやりたい!」
というようなものであれば
周辺の知識や技術は
自ら進んで掴みに行くでしょう。

興味を持てない
何に使うか分からない
そんな知識を
とにかく理解しろ
というようなやり方は
ボチボチ限界なのではないかな。

なので
その辺のやり方に関しては
まだまだ工夫する余地があるはずです。