少しずつでも進むのか 進め!

少しずつでもまずやってみて、とにかく進むか?
十分にならないと進まないのか?

何か新しいことをやる上で
当然、準備はすべきですが
どこに「GO」の線を引くのか
ということです。

こういうの、人によって程度がまちまちですよね。

しっかり準備をして足下を固めて
確信が持てたらGO!の人も当然います。
そういうケースを
「石橋を叩いて渡る」
と言ったりしますね。

しかしですよ

新しいものにチャレンジする学生達を見ていると
思うことがあるのです。

そもそもあまり経験が無いのに
新規性があるものを考えて実行するわけだから…

どこまで考えても関心なんか持てるわけなかろう
と。

恐らく一般的には
「確信も持てないことなんてやるな!」
ってなるのかもしれませんが
(その方が管理する側は面倒がないから正直楽なのです)

ビギナーが初めてのことにチャレンジするのですから
そんなの無理だろう
と思います。

そんなことやってたら
死ぬまでビギナーじゃないのか
と。

結局はやってみないと
どこに「十分」の線があるのかは分からないことも多いし
そもそもの方向性が定められないのに
根を詰めて確信を求めて考えても時間の無駄じゃないのか
と思うのです。

見当違いな方向性で
長い時間をかけて考えてたら
恐ろしいほどの時間の無駄になりますし

石橋を叩くなんて誰でもできますし
叩いているふりもできます。

そんな悠長なことをやってたら
学生達の4年間なんて
何もしないまま終わっちゃいます。

なので夢工房では
「すぐやろう!」
です。

「やる」
には色々含んでいるのですけどね。

まず、ちょっとでも進んでみないと
どうすべきかなんて分かりませんから。

そういうやり方は
結構勇気が必要かと思います。

でもそれが明暗を分けたりもします。

先生だけが先生ではない

学生達は学校で学んでいますが
それだけが学ぶ方法か
というと、決してそんなことはありません。

我々の身の回りにある製品

これをどうやって作るのか
どうしてこんな色や形をしているのか
なぜこういう材料を使っているのか
そんなことを考えるだけでも
学べることは沢山あります。

まだまだあります

駅のポスターや
電車の中吊り広告

なんでこういう表現をしているのか
なんでこういう色使いをしているのか
見ている我々にはどのようなアクションを要求しているのか

そんなことを考えるだけでも
本当に色々学べます。

本でも文具でも家具でも建物でも
何でも良いのです。

物体に限らなければ
お店のサービスなどからも
学べることは多いです。

見て分からなければ
それをトリガーとしてネットで調べれば
大抵の情報は手に入ります。

人がものをつくる上では
かなりの知恵と努力を要します。
なにも考えずに何となくできちゃった製品やサービスなんて
実はほとんどありません。

加えて、我が国には質の高い製品が溢れています。
それが当たり前なので気にならないのでしょうけど。

そういう様々なものが
日頃から視野に入っているはずなのですが
気にしなければ何も頭には入ってきません。

見えているのに見えていない
そういうことです。
もったいないですね。

普段の自分が興味を持たないものであっても
ちょっと考えるだけで
実に様々な知識が手に入ります。

そう、エンジニアリングを学ぶのであれば
先生はそこら中にいるのです。
人としての姿は見えませんが。

そして、知ったことを使ってみましょう。
何かをやってみましょう。

知っているだけでは何も起きませんから。

「いつか役に立つかもしれない」って?

「いつか」なんて来ない
そう思っていていた方がいいですね。

夢工房の「恩送り」

やることなすことなんでもかんでも全力で
というのはさすがに無理ですが

自分が「やるべきことだ」
と思ったことに対しては全力でやって欲しいものです。

では、どこまでやるのか?

例えば
夢工房でレーシングカーを作っているような連中はどうすべきなのか

こういう活動をしている時に
真っ先に問題になってくるのは
資金面ではないでしょうか。
クルマを作ってレースをするのですから
お金がかかります。

夢工房の活動は
大学からの支援や研究室の研究費などを活用していますが
それだけでは海外遠征は不可能です。
ひょっとしたら
マシンを作ることすらままならないかもしれません。

現状の手持ちのリソースだけでは
海外大会に出たいという
彼らの夢は叶わないので
「じゃ、できる範囲で…」
ということにすると
この活動は、途端にチャレンジではなくなってきます。

できる範囲でやることを
チャレンジとは言いません。

未来をつくっていく人間は
チャレンジャーでなければいけません。

チャレンジしなければ
現状維持しているつもりでも
徐々に降下していきます。

そこで彼らはスポンサーを探して
協力をお願いしています。

自分の財布で何とかできないのに無責任?

そういう考え方もあるかもしれませんが
スポンサーから支援して頂くということは
相応の責任が伴うので
簡単に諦められないということです。

「やる」
と約束して支援してもらっているので
やらなければ約束を破ることになります。
だから、何が何でもやらなければならない。
(という状況で、このコロナ禍は正直キツいです)

これは、授業で「単位を落とすからやらなければ」
なんていう状況とは比べようがありません。
パーソナルな問題ではないので
責任の大きさも次元も違いすぎます。

授業やら何やらというのは
パーソナルな問題なので、最低限でもいいのです。
文句を言うのは親と先生くらいです。
(注:かといって、卒業できないなどは論外です。
早く世のお役に立つ必要があるのですから)

でも、こういったやりかたで活動をしていると
最低限では誰も力を貸してくれません。
最大限やるところに価値があって
そこに責任が伴うのですから
好きなことを全力でやることになるわけです。

では、スポンサーをはじめとした
支援者には何をお返しできるのか。

良い成績を上げて喜んでもらえたら最高です。
しかし、直接的にお返しできるものは何も無いかもしれません。

しかし、支援してもらった彼らの持つ責任が消えるわけではありません。
彼らは卒業後、その恩に報いるべく
良い仕事をして世の中を回していく使命を持っているのです。

というか、こんなことを毎日全力でやっていれば
そりゃぁ仕事ができるようにもなってしまいます。

受けた恩は返すのではなく
将来活躍することによって
世のために、次世代のためにと送っていく。
こういうのを「恩送り」というのですね。