コロナ禍に思う もっと色々やろうよ

学力に秀でた人は必要です。
でも、皆が同じ能力を持っていなければいけない
というなら、そのやり方は危ういと思います。

日本は安価な量産品で勝負していこうというやり方が
すでに成立しないポジションにいるし
AIが台頭してこようとしているのに
皆が同じように勉強できなきゃいけない
ということはない。

というのも
今日は成績が不振な学生と面談をしたのです。

で、思ったのが
彼らなりに良いもの持ってたりするんですよね。
結構パワーを持て余してる感があります。
もちろん、人によって様々ですけど。

何かもっと良いやり方があるはずです。
もっと彼らのパワーを活かすやり方があるはず。

同時に感じたのは
やはり自信の無さから来るものなのか
自身で蓋をしてしまっているような印象も受けます。
うーん、もったいない。

学校って、せっかく大勢が集まってるのだから
その中で、それぞれが違ったことができて
それらを統合して何かを成す
といったことが本来あるべき姿
ではないだろうかとも思います。

皆が皆、言われたことができなくたって
他にできることがあるはず。

会社なんてそうですもの。
現実の社会の成り立ちから
離れちゃってるんじゃないかな。

私のところの学生の多くは
エンジニアを志望してたりするので
価値あるもの(つまり新しいもの)を
生み出せるようになって欲しいわけで
創造性が重要なのですね。

で、いきなり凄いものじゃなくても良いし
発明的なものでなくても良いので
レベルの低いことからでも
とにかく新しいものを生み出したり
とにかく作る努力をして
それをレベルアップしていく
プロセスを体験することが重要なのではないかな?
と思うのです。

何とかそんな機会を作ってあげたいものです。

コロナの感染拡大で
オンライン授業に逆戻りしてしまったので
悔し紛れにこんなことを書いてみました。

今、色々と動くのは難しいかもしれないけど
心が萎まないようにメンテナンスする必要はありますね。
さて、どうしようかな。

やってみないと分からない

人の生き方に
絶対とか正解とかは無いわけで

失敗を避けたからといって
面白くなることも無いわけで

満足感とか喜びってのは
不満足で面白くない前段階があったりするわけで

なんだか良く分からなかったり
やりたいことができなかったり
やってみてもうまくいかなかったり

そんな状態があるからこそ
壁を越える意味があるんですね。

とはいえ
壁を前にすると
面倒だったり怖かったりして
立ち止まってしまうことが多いものです。

そこで考え込んだところで
自分の過去の経験を元に考えても
経験が無いからこそ悩んでいるわけで
どこまで行っても答えは無い。

本当は
立ち止まらずに
ぶつかってみれば
何かが見えたりするのですけど
なかなかそうはいかないものですね。

こんなことを言ったところで
嫌なものは嫌だろうし
怖いものは怖いわけで
だからこそ
皆がうまく行くわけじゃないんですね。

まぁ迷ったら
馬鹿になって
ドーンと行っちゃえばいいのですよ。
あら、簡単。

馬鹿なことをやって、間違えて
そういう経験があるからこそ
洗練されていって
相対的なものの価値とか
意味を知っていくのでしょう。

やらずに逃げるのは簡単です。
何も得られなくなるけど。

やってみたら
失敗しても成功しても
必ず何かが分かって成長できる。

学生のうちは
失敗が許されるのだから
どんどんやって成長するチャンスです。
数年で終わっちゃうけど。

単に知識として、ものごとを知るのと
実体験として知るのは
似て非なるものです。

ものを作ると
その辺は良く分かると思います。

作ったものが教えてくれますから。
「お前は、まだまだじゃ!」
って。

間違った「我慢」が多いのです

メンタル面で色々とアドバイスをくれる
ある先生が
「最近は何を我慢するかが間違ってるんだよ」
と言っていたのを思い出しました。

これ、言われた時にはピンとこなかったんだけど
今更ながら思い出して
その通りだなぁ
と思ってます。

これ、どういうことかというと

子供の頃って
誰しも欲しいものを我慢させられる
そんな経験があるでしょう?
大人から言われて。

そんなことばかり経験しているから
いつしか「我慢」ばかりして
欲しいものや、やりたいことがあっても
それを得るために行動しなくなってしまって
それが当たり前になってしまう。

技術が活かされるのは
クリエイティブな人間がアイデアを作っていく時なんだけど
そういう時って
達成感とか、喜びとか、充実感とか
そういったものに向かうための
ポジティブな感情を持っていないと無理なんですね。

で、「我慢する」ということは
その「ポジティブな感情」を起動するスイッチに対する
カバーみたいな役割になってしまっているんだけど
そんな状態になっていると
感情的にはネガティブな方向に行ってるんですね。
やりたいことを我慢してるのだから
当たり前ですが。

本来我慢すべきなのは
スイッチを押すのを我慢するってことじゃなくて
まずはスイッチを押してしまって
欲しいもの、やりたいことを得るために
どのような方法があるのかを考えて
そのために必要な行動を我慢してやる
できるまでやる
という「我慢」なんですね。

何とかこれを一周回してしまえば
ポジティブな感情をどうやったら得られるか
というのが分かる。

「我慢」の使い方が間違っていると
うまく行かないことがあると
「自分に向いてない」
とかなっちゃったりするんだけど
これは習慣化された間違った「我慢」が原因だぞ
というのが今回言いたかったお話し。

もちろん、これを何とかするには
本人の気付きが重要だけど
我慢しないことを受け入れる「器」も必要なわけで
チャンスなどを含めた環境ですね
その辺を何とかしていきたいものです。

やりたいことや思い付いたことを
バーン!とやっちゃうのって
結構大事なことなんです。