自利利他という言葉

学校は、社会で役立つ人材を育成する「公器」とも言える機関なわけですが、同時に将来に対しての夢を叶えるために必要なものを身に付けるための場所でもあるわけです。

社会で役に立つ…これは、世のため人のためということになるのでしょう。
一方、夢を叶えるというのは自らのため。

この二つが相反しているようでは、恐らくうまくいきません。

そんな時にちょうど良い言葉があります。

自利利他(じりりた)

仏教用語です。
大乗仏教の理想だそうです。

かつて読んだ、京セラ創業者の故稲盛和夫氏の著書に「利他の精神」というワードが出てきて、「あぁそうか!それなら仕事がうまくいくのは当然だ!!」と膝を打った私は大層利己的だったのかもしれません。
それはそうと、それは自利利他から来ていたわけです。

我々が忘れがちなのは、他者の利益のために仕事をしないと、仕事自体が成立しないということです。
そんなことは当たり前なのに、学校ではそのシステムを教えません。

なので、好きなことをやるのか、好きでもない仕事をやるのか、なんておかしな二択になったりするのです。
そんなマインドで仕事をしたら、いずれにしても利他にはなりそうもありませんよね。

さて、自利利他の解説です。

自利、これは、自ら利益を得る、というと聞こえが悪いかもしれませんが、徳を積むというようなことです。

利他、これはもちろん他を利すること。他人の利益のための行いです。
仏教では、他者の救済ということになります。

なので、自利利他というと、自ら徳を積むことと、他者を利することを両立させるというということです。
もちろん、自ら積んだ徳で他者を救済するということになるわけで、この辺が大乗仏教の中核を為すところなのでしょうかね。
個人の解脱を目指す小乗仏教とは異なるところです。

我々は解脱を目指す修行僧ではありませんので、自分の好きなことや得意なことを「為すべきこと」として頑張って、それで他者を利する、つまりお客さんに喜んでもらうといったことを目指すべき。
そう思うのです。

強みを伸ばすか弱みを消すか

これは成長過程において凄く重要なことの一つです。
自身の価値をどこに置くのかという問題でもあります。

ご存じの通り、日本の教育の場合は弱みを消して、全体的にレベルを上げていくようなやり方です。
なので、学んでいる多くの科目の総得点が高い方が優秀とされます。
何か一つが突出していてもダメだし、他人にできないことができたとしても評価されません。

言われたことをキッチリやるならそれが良いのかもしれません。
実際、高度経済成長の頃は、そういったキャラクターが重宝されたのだと思います。

対して、弱みにフォーカスせずに、強みとか好きなことににフォーカスして、それらを伸ばす教育をとる国もあります。
まぁ全員に対してということでは無かったりするでしょうが。

それらの多くは先進国で欧米が中心だと思いますが、最近では中国などもそういった傾向にシフトし始めているという話も聞きます。

まぁそれは当然な話で、大量生産による薄利多売は、人口が多くて人件費が安いなら成立するでしょうけど、人口減少とか人件費が高くなってしまうとそうはいきません。

他との差別化を図って、高付加価値で利益率を上げていかないと成立しません。
大量の「普通」ではダメで、少数の「凄い」で行く必要があるのでしょうね。

とまぁ、そんなことは皆さんご存じでしょうからこの辺にしておきましょう。

問題は、弱みを消そうとするやり方は、当然ながら弱みにフォーカス必要があるわけです。
我が国では、それが真面目とか言われちゃったりするのですが、そういうやり方はいい加減にしておかないと、行き先が暗いのではないかと思うのです。

だって人である以上、弱みが無くなることは無いからです。

そして、弱みがあるから強みに自信を持てない場合が多い。
そもそも成長過程における強みなんてのは、本当に強みとして認識できそうなものなんてあまり無いでしょう。だって経験が少ないのだから。

せいぜい、強みの「気配」くらいのものだったり、大して強みになんてならなくて、単に好きなだけだったりもします。

そういったことを強みとして信じること自体、難しくてリスクがあるでしょう。
「強みじゃなかったらどうしよう」
って。

そういう状態って、やはり弱みにフォーカスしているから自信が持てなかったりすることもあると思うのですよ。

でも本当は、自身を持って進んじゃって良いと思うのです。
それで失うことはありませんし、思い込みだろうが勘違いだろうが、それに夢中になるからこそ強みが形づくられるのは事実なのですから。

悩んでいいし、失敗してもいい…というか、しろ!

夢工房の活動は、全て正解や答えが無い活動です。
どうするかは、自分達で考えて決める必要がある。
何が正しいかは、自分達でやってみて確かめる必要がある。

どうやって開発を進めるか、どんな戦略を取るか、どんなクルマにするか、どうやって部品を作るか(入手するか)、どうやって資金を集めるか、どうやって性能を確認するか…などなど。

と、言うのは簡単ですが、当人達はそんなことをやったこともなければ、考えたこともありません。

なので悩みます。
しかし、悩んだところでどうにもなりません。
だって、正解なんて無いのだから。

で、レースだというのが、これまた良いところ。
だって、勝ちたいのであれば、相手と同じ事をやったり、最低限だったりしたら、勝てないことが確定しますから。

なんでもかんでも「皆と同じように」「普通に」と育ってきた学生達には、面白くもあり、辛くもあり、といったところでしょう。

そして、何をするにもアイデアが必要です。
そしてチャレンジが必要です。

悩むのはいいですが、足を止めたら即死です。
だって、時間は刻々と流れていって、「やる」ための時間を失ったらお終いですから。

考えて、やってみて、失敗の中から学ぶ。
なので、勇気を持ってチャレンジして、どのような結果が出ようと、それを糧として前進し続ける必要があるわけです。

こんな風に書くと、辛く苦ししい日々を送っているように感じますか?

ここまで自分の力で多くをこなす必要があるような活動は、ほとんどの学生は経験がありません。
なので、最初は当惑することも多いのは事実です。

でも、こんなに多くのことを自分で決めて、自分でやることができるということは、大きな自由を手に入れているということです。
それは、社会に出てから大きな力に変換されます。

そして日々前進していくと、マインド面でも大きく成長できますし、普通に学生をやっているだけでは想像もできないような知識とかスキルも手に入ります。
それはもう、1時間でどれだけ成長するんだ?ってくらい色々なことを手に入れます。

彼らに日々付き合っていると、そんな毎日に慣れてしまったりするのですが、ふと「あぁ、凄いことやってるんだよなぁ」と思うことがあります。