大学で何のために
どんな風に学んでいるかというと
今も昔も多くは
ぶっちゃけ
単位を取得して卒業するためでしょう。
そのために我慢してる。
まぁ、それで卒業後は何とかなる
と思っているのだろうけど
そんなことはないのは
社会人の皆さんならご承知の通り。
まぁ、「何とかなる」ってどういうことだ?
ってのもありますけどね。
で、やはり思うのだけど
単位を取るために勉強する
というやり方がダメなんじゃないか、と。
だってね
単位が欲しい者は
何が欲しいかといったら
「単位」という数値ですよ。
本来、単位はその学問(知識)を修めた
という証拠みたいなものでしょう?
でも、欲しいのは知識本体じゃなくて数値なんですね。
別にその学問が特別好きじゃなくても
我慢して覚えたりして
その結果もらえる数値が欲しい。
「オレは違う!」
というキミは偉い。
で、数値としての単位を取るために勉強した人間が
卒業して社会に出たら
何のために仕事するのでしょう?
お金のためですよね。
価値を数値化したお金のために仕事します。
好きじゃない仕事でも我慢して
数値を得るために仕事します。
我慢しているのだから
発揮できるパフォーマンスにも
自ずと限界が来る。
で、言われたことを我慢してやる日々が続く。
得られる給料は、言ってみれば「我慢代」です。
我々は、みんな消費者なので
ちょっと考えれば分かりそうなものですが
ある商品を作るのに
嫌々お金のためにやっている人の姿が
透けて見える会社の製品を買いたいと思いますか?
「いや~、本当はこんなことやりたくないんだけど
金のために仕方なくやってんですよ~」
もっと露骨な表現をすると
「カネ下さいよ~」
といってる人に気持ちよく払えますか?
って話なんですが。
そんなのきれい事ですか?
そうかもしれませんが
対比すると良く分かるかもしれません。
例えば、技術を夢中で追求して
とにかく面白い製品を作りたい
とか。
そういうバックグラウンドとか
ヒストリーは
良く企業の宣伝に使われるでしょう?
そこに価値があるからです。
職人さんなんかだと分かりやすいんですが
「金とか理屈以前に
プロとして納得いく仕事をしたいんだ!」
って人がいます。
最近減ってるのかもしれませんけど
確実にいます。
そういう相手には気持ちよく代金を払いたくなるでしょう?
もちろん、そういう姿勢で仕事している人
大抵腕が良いですよ。
何でかというと
好きでやってるからです。
話を戻します。
なので、大学だって
好きなことを夢中でできるようなやり方ができると良いな
と思うのです。
そうしたら学生達のパフォーマンスは凄く伸びると思います。
嫌いなことを我慢してやることに価値があるんだ
みたいのは、ちょっと違うのではないかな。
そんなの、外部から見たら価値無いですよ。
失敗したり壁にぶつかったら逃げるってのとは
話が違うので誤解無きよう。