ダメでもいいから…のわけ

何かをやるときは、「さて、どうしようか」と考えるでしょう。
そこで方向性が決まれば良いのですが、未経験で新規の内容だったりするとなかなかそうはいきません。
そう、それは「やらないと分からない事」です。

こういう時は、イメージが大事です。概念です。
広大な無限の可能性があるフィールドで、そのどこかに最適なものがある。
真っ白な地図のどこかに目的地がある、しかし距離も方向も分からない、といった感じです。

こんなとき、一発で目的地にたどり着くような「正解を出そう」というやり方は不適切です。
だって、方向性すら分からない未経験の状態で、一発で目的地に到達するわけはないからです。

さらにマズイのは、そういう思考になっているときは、手数を打たないことを前提にしていたりします。

そうなると、見当違いのところを、ずっと凝視するようなことになって、手が止まるか足が止まるか、はたまた頭が止まるか、いずれにしてもたどり着くのは「時間切れ」という結果です。

では、どうしましょう?
まぁこういったことは、人それぞれでノウハウがあるかもしれませんが…という前置きで。

まず最初に理解しておくべき事は、目的地にたどり着くためには、トライアンドエラーが必要だということ。
手数を打つことが前提です。

一発で決まるならそれが楽で良いのですが、楽をすることがゴールではありませんし、経験がないのに一発で決まる事なんて誰でもできるわけで、大して価値は無いのです。

さぁ、いきますよ。

「さて、どうしようか」
の後に来るのは「仮定」です。想像で妄想で暫定です。
そういった何かしらの指針を立てたら、まずやってみる。
これは「方向」を決めるということです。

その時、あまり小さくやらないことがポイント。
ある程度、ドーン!とやること。

なぜって、この段階でやることは、方向性を決めるための「試し打ち」で、何発か打つことが前提です。
なので、数発撃った結果を見て、違いが明確に分かることが好ましい。

ここで小さく撃ってしまうと、それぞれの違いは小さなもので、それが最適の方向なのか分からない。
大きく撃つと違いが分かりやすいでしょう?
それで方向を決めます。
要は、真っ白な地図の中心にある現在地から、どの方向へ行けば良いかが分かるってことです。

後は「距離」です。

この段階になったら、強弱を付けるとか、ちょっと変えてみるとか、最適化をすれば良い。
この時も、最初からチマチマやると変化が分かりにくいので、最初はドーン!と大きく変化させるのが良いでしょう。
そこからエリアを絞り込んでいく。

こんなふうにやっていけば、諦めなければいずれゴールにたどり着きます。
途中で諦めるか否かは、マインドセットの問題ですね。

これに関しては、エジソンの逸話があります。

エジソンは、電球のフィラメントに適した材料を見つけるために、5,000種を越える材料を試したそうです。
でもうまくいかない。

そこでジャーナリストが聞きました。
「エジソンさん、あなたは5,000回を越える失敗をしているのに諦めないのですか?」
エジソン曰く
「これは失敗ではない。私は5,000種の適していない材料を発見したんだぞ」

これなんかは、まさに今回の概念に近い思考です。
結局は、失敗したくないと思っているのか、成功したいと思っているのか、その違いだったりもするのでしょうね。

最後に。
ダメでも良いからやってみようとか、ダメでもいいから書いてみよう、というやり方をしていると、ダメなことをしたくないと思っている人には見えないことが見えたり、彼らには思い付かないようなアイデアを得られたりするのですよ。
それが違いを生むのは事実です。

やりたいと思わないのはなぜ?

何だ、この画像は。

もっとみんなアグレッシブにチャレンジしたらいいじゃないか!
と思うのです。
全員って訳ではないですけどね。
まったりしている人もいないと疲れちゃいますから。

まぁ、夢工房の連中は山あり谷ありで頑張ってるわけで、もちろん他にも頑張ってる人達はいるでしょうけど、もっともっと頑張る人の人口が増えたら面白いだろうな、と思います。

あ、ちなみに、夢工房は収容人数に限界があるので、少数精鋭を貫き通します。
少人数で、やれるとことまでやってやる!

さて、今回のネタはタイトルの通りなのですが、これはとても興味深いと思っています。

だって、小さな子供って我慢できないでしょう?
欲しいものは欲しい、やりたいことはやりたい
自我の固まりみたいなものです。
そして欲求に対するパワーが凄い。
もちろん「やりたい」方向です。

そこから成長していって、徐々に変化していくわけですが…

と、ここまで書いて思いました。
子供の頃に持っていた、「自我」とか「パワー」を失っているわけではないのかな?と。

失敗を恐れずにやりたい(チャレンジしたい)という方向に欲求が向いている人が少ないだけで、これは志向の問題か、と。

例えば「楽したい」という欲求が強いとしましょう。
そういう人は、強烈に「楽したい」が発動しているわけで、楽をするという選択肢を取った瞬間に成功しているわけで、ヘタにチャレンジなんてしちゃうと、トッププライオリティが崩れてしまう。
そういうことか?

小さい頃から「一生懸命勉強して、将来は楽な生活を…」とか言われながら育ってたりすると、「いやいや、楽するのがゴールなら、今この瞬間からだって楽してもいいじゃん」とかなったりして。
いや、どうなんだろう。

まぁ、そういうのって無意識でしょうから、恐らく本人に聞いても良い返答は帰ってこないでしょう。

あとは、「失敗」に対する印象というか価値観というか。
そういうのも効いてるでしょうね。

いやぁ、実に興味深いぞ。
これは、この後も引き続き考えてみましょう。
暇なときに。
…とか言っちゃうような事って、どうせやらなかったりしますが。

面白さは自分で作るもの

仕事においての面白さは自分で作るものであって、他からもらうものではない
そう思っています。
仕事って、自分で面白くしていくんだよ、ということです。

そう思えるか否かが、仕事の価値を始め、色んな事を決めていきます。
まぁ、自発性とか主体性の無い仕事が、良いもの、面白いものになることは無いですね。

そんなのは当たり前といえば当たり前なのですが、そういう姿勢は大事だな、と改めて思ったわけです。

ただ、なんでもかんでも自分で作るぞ!と、自給自足みたいなことができれば良いのですが、なかなかそういうわけにはいかないし、組織で仕事をしているなら、自分が作り出す領域と、他に依存する領域を決めて、相互に得意領域で補完し合って、組織としてのトータルパフォーマンスを上げる必要があります。
なので、自分がやることやらないことを決める必要がありますね。

そういうのも組織で仕事をするときの醍醐味でもあります。
チームワークがうまく噛み合って、大きな仕事が形になったときとなんかは気持ち良いものです。

一方、よく新人にありがちなのは、単に面白そうなところへ行って、面白いものをもらうお客さんのように仕事をしてしまいがちです。
ま、有名な会社に入って、聞こえの良い仕事に就いて、言われたことをやれば良いでしょう、きっと良い報酬と面白い仕事をくれるでしょう、みたいなことですが。

この場合は仕事をするというより、させられるというか、させられたいというか、そういう感じになるのでしょうけど、そういう状態は思いのほか面白くないですよ。
本人はもちろん、誰もがです。

主体性が発揮できなければ依存するしかなくて、他からコントロールされているのが面白いはずはないのです。

いや、でも、楽だからそれで良いってことになるのか?ぜひコントロールされたい!と?

でも、仕事を投げる方は、ずーっと低レベルなコントロールをする労力を払わないとならないわけで、そりゃぁ大変だ。

手にするものに見合うだけの労力を投入しないなら、それはフリーライド(タダ乗り)です。
フリーライダーは価値の供給源に依存しているので、フリー(自由)ではないですが。

仕事を面白くしていけないのであれば、卒業後は「仕事ってのは、嫌なことを我慢するもんだ!」って、我慢大会になっちゃうわけで、そんなのは心にも体にも良くないですね。

仕事を面白くしていくトレーニングって、価値観を変えられるかどうかという問題なわけで、社会に出ちゃうと忙しくてそんなものを構築する余裕は無かったりするのではないかな。
やはり学生のうちがチャンスだと思うわけです。