良い子の話 2

果たして言われたからやる、というやり方で期待に応えられるのか?
やり方と言うより、メンタリティと言うべきかもしれませんが。

言われたことをやるのでは、自ずと限界がある。
だって、無難な最低限を目指すようなやり方になるから。
そして、そのやり方でうまくいっても、手に入る感情は安心です。

安心、結構なことじゃないか!?
と思いますか?

最大限うまくいっても安心なので、そうでなければ手に入るのは不安です。いわゆる失敗ですね。
そして、そっちの方が数的には多いでしょう。
そして、不安が手に入るのは嫌なので心配します。

そういう状態だと、成果は出にくいし、やっても手に入るのは不安の方が多いわけで、「どうせやっても…」ということになりやすいでしょう。

というわけで、言われたらやるという良い子のメンタリティだと、こんなことになりがちです。
言われたことをやる聞き分けの良い子は、言われたことをやればやるほど、こうして自力で離陸できなくなったりします。
学生のうちはそれでも良いのでしょうけどね。
もちろん皆では無いですが、結構ありがちな話です。

生産性が云々とか言われる昨今ですが、言われたことを嫌々やっている状態で、どうやって生産性を向上させられるのか。

ワクワクするようなことをやっていかないと無理でしょう。
やらされるのではなく。

もちろん、好きなことをやるのは大事だけど、好きなことだけやれば良い、というのとは違います。
果たすべき義務はあるし、成果が他の役に立つことは重要です。
それらが無いと価値が無いから。
価値が無いことをやったところで継続は難しいです。

なので、自分達はもちろん、皆をワクワクさせることが我々の責務だと思って夢工房はやっていきたい。
全く別の分野の人にも「やればできるんだ」と思って欲しいのです。

そのためには、やらされるものではなく、最低限でもなく、自分達が本当に欲するものに対してチャレンジして成果を出す必要があるのです。

良い子の話

別に暴れん坊になれってことではないのですけどね。
そして、良い子って、誰にとっての?って話でもあるのですが。

一般的というか、大抵は、誰かの言いつけを守るとか、言われた通りにする
つまり
誰かの期待に応えるとか、思った通りになる
といったようなことでしょう。

それは本当に良い子なのか?
というお話しです。
まぁ、一般論ですし、程度の低い領域の話になるかもしれませんが、学ぶ上でのメンタルとかマインド面を考える上では重要なことです。

さてさて、果たして良い子は、どんな期待に応えなければならないのか?
それは何のためなのか?

それは、オーダーを出す人を安心させるためです。

若年者の場合は、親とか先生です。
場合によっては友人です。

オーダーを出す人が欲しいのは、自身が安心することです。
その感情が欲しいのです。

なので、自分が安心するためにやって欲しいことをオーダーします。
「勉強しなさい」
とか。
まぁ、勉強する事自体は良いことなのですけどね。

でも、そこに含まれる感情としては
「最低限のことはできるようになって欲しい」
という希望だったりします。

で、言われた方は、そもそも言われたことをやるなんてのは意に反するので、本当はできればやりたくない。
なので、仕方なく最低限を狙って、必要最低限やります。

困ったことに学校では、言われたことが100%できると最高評価なのです。
そして、言われなければやらなくてもOKということでもあります。
むしろ、言われてもいないことをやると怒られたりすることさえあります。

言われたらやる
言われたことをやる
そんなことを高校卒業までなら12年間、大学まで含めると16年間繰り返すと、習慣として潜在意識にガッチリ定着して、その行動は自動化されます。

次回につづく

叩き台って知ってるかい?

「叩き台」
とりあえず形にした暫定のものとか、そういった意味です。

これ、社会に出て開発の現場で新鮮に感じた言葉の一つです。
まぁつまり、学校での生活では馴染みがなかったということでもあります。

そりゃそうですね。
叩き台は正解ではないので、そんなものを提示したら未完成不正解です。
学校で求められるのは正解ですから、そんなものは不要です。

ものづくりにおいて、こと良いものをつくろうとした場合、叩き台を出発点に、どうしたら良くなるだろうと想像(創造)して、チャレンジしながら改善していくというプロセスが必須です。
叩き台は、そのプロセスの一部です。

そもそも良いもの理想のものをつくるというのは、今は無いものをつくるってことでもあります。
だからそれは理想であって、やったことがないこと。
だったら、そんなものいきなりできないのは当然でしょう。

というわけで、叩き台をベースに良くしていく(改善する)のです。

学校の授業では、言われたことをやって正解を出すことが全てであり、クリエイティビティや、チャレンジングスピリットみたいな定量化できないものは評価できません。
けど、それらは価値を生み出す上では欠かせないものなのですけどね。

主観的な良いという感覚は数値化しにくいけれど、受け取る相手が良いと思ってくれることが価値であるというのは何と皮肉なことか。

というわけで多くの学生は、いきなり正解(完璧な完成形)を作ろうとしますが、実はこれが良いものが作れない原因でもあるでですよ。
これまた皮肉なことです。

簡単に言っちゃうと、良いものを作りたいなら磨く必要があるということなのです。

なので、磨くための時間を作るためにはスピードが重要ってことです。
何のスピードが必要かというと、磨く前段階までいかに早く到達するかってこと。

だって、いきなり完璧にしようとすると、そのために要する時間が長いわりに、どうせレベルの高いものにはなりません。初めてやることだったり、経験が浅いならなおさらです。

というわけで、叩き台を早く作る
これが良いものをつくるために必須条件の一つだということなのです。