意識できるかできないか

自分の意識に上ってこないものに対処することはできません。

江戸時代に黒船が来たとき、人々には黒船が見えなかったといいます。
そんな船は見たことが無いので、船として認識できず、視野に入っているものの視覚として認識できなかった、つまり「見えなかった」そうです。

なんだそれ?
って思いますよね。
そんなことあるわけないじゃん!
って。

そういうのは実際に経験しないと分からないでしょうね。
私はありますよ。

オーストラリアをバイクで走っていたときです。
気温45度で、アウトバックと呼ばれる砂漠地帯の、誰もいないこんな道を時速100kmで…

で、路上に牛がたたずんでいて、ギリギリまで回避できませんでした。

見えなかったから。

視野には入っていたはずなのですが、こんな過酷な土地に、しかも道路の上に牛がたたずんでいるなんて思いもしなかったのです。
そんな「思いもしないこと」って見えないのですよ。

これ、意外と身近なところでも起こります。
例えば、自分で書いた文章とか図面のセルフチェック。
「大丈夫なはずだ」
と思っていたり特に何も意識していないと、不具合は見付かりません。
乗り物や器機の点検なども同様です。

我々の日常生活も同様で、我々は行動のほとんどが習慣というか、癖で無意識によるものです。
これを変えるってのはとても難しいのです。
見えないから。

ただ、行動のほとんどが無意識で動いているということは、その無意識を再構成できれば、意識せずとも自動的にうまくいっちゃう日常が手に入るわけですね。

見えないものを見えるようにする

なんかSF映画みたいですけど、気付く切っ掛けさえあれば、あなたもある日突然見えるようになるかもしれませんよ。

見えるようにできたら、それを変えることは可能です。
そして、それを継続すれば習慣の上書きができます。

TimeよりもTiming

何かを考えるとき、特に我々の場合は、何かを作るために考えたりするので、その時のことです。

考えるのは大事だけど、考えることに時間を使いすぎて、行動に移るタイミングを逃したらお終いだってことをもっと重視すべきです。

何かしら開発するときは、企画して、設計して、作って、試す、といったプロセスを取りますが、それぞれを「完璧」にしてから次のプロセスに進む…
としたいですか?失敗しないために、ね。

ひょっとしたら、多くがそうしたいのではないかな?
どうでしょうね。

これね、ダメなんですよ。
そもそも、失敗しないためにってのがダメ。

ここで考えるべきは「うまくいくようにチャレンジするにはどうしたら良いか」です。

最終的なタイムリミット内で成果を出さなければならないのであれば「失敗しないようにしっかり考えて、一発勝負で決める」といったやり方は自殺行為です。
そんなことをやっていたら間に合うはずはないのです。

チャレンジするなら、必ず失敗するので、その結果をいかに再利用して良い結果に結びつけるかが重要。
であれば、むしろいかに早く失敗するかが重要という言い方もできる。

上記のプロセスであれば、こうすべきです。

企画して、図面が描けそうだと思ったら、すぐに描く
作れそうな状態になったら、すぐ作る
試せそうなら、すぐ試す

この「すぐやる」によって得られた結果を次のサイクルに繋げていく
これしかありません。

なので、「すぐやる」タイミングを逃したらお終いなのです。

夢の無い国を変えるには

どうも最近、我が国は夢の無い国に成り果てている…とまで言うのはきっと言いすぎなのでしょうが、まんざら冗談とも言えない気もしていて、夢が無かったり、夢に向かうパワーが低下している気がするのですが、どうなのでしょう?

色々と良くなっていることもあるのですけどね、どうも心がワクワクしない。

それはなぜだ?ってのを解明したりするのは大事で、興味深いことかもしれません。
でも、その方向で大人数を何とか…みたいなことをするのは難しいというか、夢が無い人を何とかしようとしてもそれは無駄なのかもしれないわけなので、多少でも夢がある人の背中を押すのが良いような気もするのです。

止まっている大きな岩を転がすのは大変ですが、転がっている大岩を加速したり方向転換するのはそれほど難しくありませんから。

で、環境が変わってくれば、追従型の人も動く可能性もありますしね。

でも、ヘタすれば二極化を引き起こす元凶にもなる?
いやいや、現時点では余計なことを考えるのはやめましょう。
そもそも、私ごときがそんな大きなスケールのことに関与できるのかってのもありますし、アレもコレもとか、全員を、みたいなことをするとロクなことになりませんから。

そう、夢工房発で変えられるスケールで。でも、最大限のボリュームと熱量でスタートしたいな。
と、そんなことを考えています。