効率を上げるなら「単能」だが、ジェネラリストも必要だ

我々日本人は色々できなければならない。
なので、効率は低い。というか効率を上げにくい。

なので先進各国の中でも生産性が低い、ということになるのでしょうね。

ただ、その反面メリットもある。
色々分かったりできたりする…こともある。ということ。

ただ、これは難しいことでもある。
色々やって、多くをそれなりのレベルにするというのは大変だから。

生産性を向上したいなら、単能にすれば良い。
何かに特化すれば効率を上げやすい。

指示された少ないことを徹底的にやれば効率を上げることができる。
能力が低い者でも単能でやれば、その分野では能力が向上して効率を上げられる。

と、少々聞こえの悪い表現をしてしまったけど、こんな言い方もできる。

何かに集中して特化すれば、当然ながらリソースを集中して成果を上げやすくなる。
その結果、スペシャリストとして成果を出せる可能性も高まる。

欧米諸国は、社会が二極化していて、その割りに生産性が高いというのもこういうことが理由でしょう。

つまり、能力が高かろうが低かろうが、単能化して何かに特化することによって、効率を向上して成果を上げられるということ。

多岐に渡る分野それぞれのスペシャリストが集まって力を合わせることができれば、全体的な生産性を向上できる。
となれば、それらをまとめ上げるジェネラリストが必要になりますね。

そしてこれは、すでに問題化しているとも聞きます。
今までは、スペシャリスト上がりの有能な人が全体の取りまとめをするようなやり方で来たのだけど、これからはそれではうまくいかない気がします。

だって、ジェネラリストを育成するような教育はされていないから。
日本の教育って、上の学校に上がって行くにしたがって、どんどん細分化して専門化していきます。
そんな環境で成長したら、細かい物しか見られない、小さな事しか考えられない、ってことになります。

よって今後は、ジェネラリストをどのように育成するかが重要になりそうです。

今うまくいっていないのは、各分野が細分化して、より狭く深くなっているとか、現場・現実・現物から離れているとか、若い頃から限定された領域で成長するからとか、色んな理由があるでしょう。

さて、どうしましょうか?

こういうのって、これといった正解は無いとは思いますが、とりあえず「知っているだけの人」ではダメです。
現場・現実・現物を知らなかったりして、相手の心を動かせないから。

やはり手を使ってモノを触りながら、実体験を積んで成長する必要があるのではないでしょうか。それがチームで経験できればベストです。

モノに関わる仕事であれば、本質はモノの中にしか無いわけで、理屈よりも実体、要素よりも全体を捉えることができる教育が必要かと思います。
チームで何かを作り上げる経験も欠かせません。

そして、成長中は暗中模索なので色々試す必要があるわけで、その時期の効率は悪い。
というか、効率の良い学びなんてのは、最低限で安全な領域しか知ることができないので、ある程度悪い方が良いはずなのですけどね。

チームを取りまとめるジェネラリストは、労力も能力も必要だし責任はあるしで、なかなかタフな仕事ですが、最もダイナミックで満足感を得られる仕事でもあります。
そういったことを学生のうちから経験できたら最高でしょうね。

自分はどうあるべきか?

自分がやりたいこと
自分に求められていること
属する組織の向かう方向性

などなど、色々ある中で我々は生きているわけで、何かやるからにはうまくいくと良いですよね。

そのために、未来に向けてこうしたいとか
組織は、そして自分はこうあるべきだとか
ビジョンが必要で、そこに向かって色々やるのですが…

個人的な欲望だけではうまくいかない、というお話しです。
特に組織・チームでやる時です。

そういうのって大抵はうまくいかないのですけど、何ででしょう?
これ、新入社員がよくぶつかる壁じゃないかな。

それは、組織は個人の欲で動く義理はないからです。
個人の欲を叶えるためにあるのでは無いのだから当然ですが。

よくありがちなのは、理屈に合っているからとか、個人の価値観で良いと思っているからという理由で仕事を通そうとして、同意が得られないとか、周囲が動いてくれない、挙げ句の果てには否定されるなんてことがあります。

これ、簡単に言っちゃうと、コミュニケーション不足ですね。

意外と忘れがちなのは、というか、誤解されているのが
人は理屈では動かない
ということです。

簡単に言うと、「気持ちが乗らないと動かない」「嫌なものは嫌」なのです。

義務なら嫌々やるかもしれませんが、良い仕事には結びつきにくいですね。
仕事量が多かったり、難易度が高かったりするとなおさらです。

これ、興味深いのは、自分が他人には平気で同意を得たりせずに仕事のオーダーをしたりするくせに、自分が同じことをやられると嫌だったりするのです。
そんなことありませんか?あるでしょう。

こんな例なら分かりやすいかもしれません。

「勉強しろ!」
とか言われたとするじゃないですか。

勉強しなければならないこと、勉強ができた方が良いことは、誰だって分かってます。
理屈では分かっているのですよ。
でも、気持ちが乗らなければやる気にはなりませんよね。

対して、自分が好きなことには喜んで労力を払うでしょう?
学校での暗記なんて苦痛なのに、自分が好きなことならスラスラ覚えられたりするじゃないですか。

仕事も同じです。

必然性や価値があっても、気持ちが乗らなければ人は動きませんし、そもそも内容を理解しようともしません。
必ずしもそうじゃないこともありますが、良い仕事をしたいなら、そう思っておいた方が良いです。

なので、まずやるべきことは、理屈を説明したり、いきなり指示をしたりということではなく、ビジョンやゴールの価値を共有するってところなのでしょうね。
気持ちが乗ってくれば、あとは早いです。

もう一つ重要なこと。
個人的な欲望で動いていると、次々に現れる困難に抗えなかったりするのですよ。
内的なことを諦めるのは簡単ですから。誰にもバレませんしね。

でも、組織内での自分の役割、立ち位置を「自分はこうあるべき」と決めてしまうと、そう簡単に諦めるわけにはいかなくなります。
責任を自覚するってヤツです。

この責任を、ネガティブなプレッシャーではなく、ポジティブなモチベーションとして利用できるようになる経験ができると良いですね。
もっともそれは価値観の問題かもしれませんが。

責任の大きさって、価値の大きさでもあるわけですから。

彼らの情熱に影響を与えるために…で、どうする?

若い連中の問題は、彼らの問題だから勝手にせい!
とか
言うことに従って、こうやれ!
というわけにはいきません。

未来は皆でつくっていかないと、大したものにはなりませんから。

恐らく年長者が文句ばかり言ったところで、大して状況は変わりません。
文句で心が前向きに発動することは無いからです。
それに言うことに従わせたところで、それが今の問題の根本なのだから何も解決しません。

年寄りが、「そんなんじゃダメ」とか「こっちの方が良い」と力業で誘導するようなやり方をしたら、結果はたかがしれていますし、それでは現状と変わりません。
それをよりパワフルにやったところで状況は悪化するばかりでしょう。

若者達に頑張ってもらうのは、もちろん重要です。
でもそれは、頑張りたい!という源が必要なわけで、それは皆で力を合わせて作っていくしかありません。

で、ここで勘違いしがちなのは、彼らに細かい指示をしたり、手取り足取り何かをやってあげるとか、環境をお膳立てするとか。
相手の心を直接いじろうとするようなやり方、それをやるからうまくいかないのですよ。

そういうのって、結局は「やらせる」ということになるわけで、やらされるから「最低限にしたい」ってことになるのです。

彼らの前向きな心が発動するような環境があれば良いだけで、それを作る必要があるのです。

どうせ「全員を…」なんてのは無理ですよ。
そうするためには強制力が必要ですから、そんなのはハナからやめた方が良いです。

年長者は、楽しく頑張って盛り上がっていれば良いのです。
ただし、財力にものを言わせて消費するようなのではなく、やはりチャレンジです。

彼らに環境を押しつけるのではなく、皆でチャレンジする空気感をつくっていく感じでしょうか。

それを見た彼らが憧れたり触発されたりするなら、それはそれで良し。
それは具体的な内容ではなく、盛り上がっている雰囲気とか、何でも良いのです。

自発的に、やりたいことをやるようにならないと、盛り上がってきませんから。

正直なところ、そんなことできるのかいな?とも思いますが、あまり気にせずに「やりたいこと」や「やるべきこと」にチャレンジするべきです。
それで未来は大きく変わると信じてます。