危機が与えてくれるもの

人生に無駄なものは無い
と言いますが

これは
一般的にネガティブに思えるような困難なことでも
それは決して無駄な経験ではないよ
という意味です。

まぁ、誰しも進んで困難な経験なんて
しようとは思わないでしょうけどね。

でも、人とというのは
そういった経験をくぐり抜けて成長していくことは確かで
むしろそういった経験による成長こそが大事なのだと思います。

全ての人が困難を通り抜けて成長できるかというと
そうは言い切れないとは思いますけど

何と言ったらいいのか
単に能力が高いというのとは別な次元で
デキル人っていますね
デカイ人というか

そういう人は
多くが場数を踏んで困難を克服してきた人だったりします。
これは間違いない。

じゃぁ単に困難に遭遇すればいいのかというと

まぁ、できるもんならやってみな
ってなもんなのですが

大事なのは困難に遭遇して
それを乗り越えることです。

どんな困難でもいいのか
というと…
いいのかもしれません。

たとえそれが悲劇的な
どうしようもないことでも。

凄く極端で分かりやすい例で言うと
戦争でしょうか。

もちろん戦争なんて望んで起こすべきものでは無いでしょうし
できることなら関わりたくないことの一つです。

私は戦後の世代で
本当に悲惨な部分は話を聞いたところで
決して本当の部分まで理解できなくて
こんなことを言う資格は無いのかもしれませんが
あえて書いてみます。

我々は、戦争を経験した人達のお陰で
今の日本国で安穏な生活ができていることは事実です。

これをどういったところから感じるかというと

先の大戦は6年間も続いて
我が国はめちゃくちゃになっちゃったわけですが
戦後21年経って私が生まれたときには
とうに復興していました。

物心ついたときには
都市部をはじめとする日本中のどこでも
よもやここが爆撃で焼け野が原となった
なんて気配は感じられませんでした。

日本中のほとんどの都市は
20年も経たずに何も無いところから復興したのです。
他の先進各国に比べても遜色のないレベルまで。
それは都市に限ったことではなく
経済など生活を取りまくあらゆることも同様です。

それらを成し遂げたのは
間違いなく戦争という悲惨な経験を乗り越えた先人達なわけで
私はそれを思うと驚愕すると同時に感動してしまいます。

戦後20年を待たずしてF1もマン島TTも優勝しています

私が生きてきた時間のうち
どの部分を取っても
20年でこんなに劇的な変化は経験していません。

もちろん、その超絶な復興の時代の負の側面もあったでしょう。
ものごとに多面性があるのは当然のことですので
そのへんは揚げ足取りみたいになってキリがなくなるので触れません。
そんなことをしても何も良いこと無いし。

恐らく平和な時代を生きてきた世代の多くは
戦争を経験した世代のようなパワーは持ち合わせていません。
そういうことです。

なので戦争しましょう
なんて馬鹿げたことは決して思ったりしませんよ。
これは最も極端な例として考えてみたまでです。

現に、夢工房で頑張る学生達
世代によってレベルは様々ですが
総じて彼らなりの困難にぶつかって
それを乗り越えて卒業するわけです。

やはり成長していますよね。
乗り越えた困難が大きければ大きいほど。

もっとも、本当の成長は
それらの経験を活かした仕事の中なのでしょうけど。

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