The true story of 二宮尊徳

むかしむかし
二宮尊徳(二宮金次郎)が
お殿様の命令で
下野の国(今の栃木県)にある
桜町というところの復興に向かったそうです。

その時、お殿様は
補助金を出そうとしたのですが
尊徳は断ったそうです。

「仁術を施せば
貧しい村を救えるはずだ
金銭をあげても
苦しんでいる人を救うには何の役にも立たない」
と。

「仁術」(じんじゅつ)
あまり聞き覚えの無い言葉ですね。

仁徳を他に施す方法
ですって。

「仁徳」(じんとく にんとく)
これもあまり聞かないでしょう。

民の辛苦を除き喜びや楽しみを与えようとする徳
だそうです。
これ、たぶん
辛苦から脱してから
喜びや楽しみを得るんじゃなくて
順番は逆だと思いますけど。

結局のところ
日々の生活に
喜びや楽しみを見いだして
苦しみから脱することで救われる
ということですね。

喜びや楽しみ たって
一時的な快楽じゃダメなんでしょうけどね。

小学校に
二宮尊徳の像があったりしませんでしたか?
薪を背負って本読んでるやつ。

あれを
仕事しながら勉強していて偉いねー
ではなくて
どういうことをした人なのかを
もっと伝えないとイカンと思うんです。

おっと、そうじゃなかった。
今回話したかったのは
尊徳がお殿様に言った
「金を与えてもダメなんですよ」
ってことと
喜びや楽しみによって
苦しさから脱する
というところなんです。

非常に回りくどい話になっちゃって申し訳ないのですが
学校で
「これ知らないと良い給料もらえないぞ」
「会社に入れないぞ」
なんてことを言って
色々と(価値の源泉ということで)知識を覚えさせたって
幸せにはなれんだろうよ
ということなんですよ。

200年も前に
小学校に像が建っちゃうような偉い人が
大事なことを言ってるじゃんか
って。

そりゃぁ知識は大事だと思います。
でもそれを
むやみに与えれば良い
というものではないでしょう
と言いたいのです。

それを欲しがって
使うことに喜びを感じられれば
そりゃぁハッピーでしょうけど
欲しがってもいない人に
無理矢理押しつけても
良いこと起きないのではないかな
と思うのです。

もちろん持っているだけでも何も起きません。

「何も無いよりマシだろう」
本当ですか?それ。

尊徳は
一度、桜町で農民や役人に指導した際に
彼らが従ってくれないので
引きこもっちゃうのですよね。

「ああしろ!こうしろ!」
言ってもダメだった。

で、民を従わせるのではなく
地域の復興こそが大事なのだ
と考え直したそうです。

あ、こういう話
子供達にしちゃダメだな。
というか、話せないな。
従ってくれなくなるもんね。

そうか!
だから先生は
薪背負って本読んでた
なんて言ってたのか。

あ、イカン!
脱線したままで終わってしまう。

そうそう!
なので、学生達が自分達の好きなことに一所懸命取り組む
これは幸福の根源なのではないかな
なんて思ったりしているのです。
仕事だってそうですもんね。

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