面倒なことに価値があったりするのだけど

面倒なことはやりたくないですね。
まぁ当然です。

面倒なことは「できない」ということにして
やらなくて済むようにしてます。
誰が?
自分がです。

今までやったことがないことをやるなんてのは
面倒なことに分類されやすいですよね。
今まで使ったことがないデバイスを使うなんてのが該当するかと思います。
例えばパソコンを使えるようになるとか
スマホを使えるようになるとか
さらに、そういうものを使って長文を入力するなんてことになると
実はとてつもなく面倒な作業なのですよ。

そういうのは高齢者には難しい作業だったりしますが
子供なんかはそういう面倒なことでも興味を持つと
たちまちできるようになったりしますよね。

そういうものに限らなくても
仕事で追い詰められればやるだろうし
結果としてできるようになったりします。

結局、嗜好とか興味とか
もしくは使命感とか
そういう感覚を持てれば色々できるようになるのでしょう。
結局は自発性とか主体性の問題だということになりますね。

今回のアメリカ遠征なんて
まさに好例です。

細かいメカで構成された
軽くて高強度のメカを作るなんて
ましてそれをコンピューター制御で動かすなんて
とてつもなく面倒なことです。

しかもそれを運用する環境は
遠いし言葉は通じないし
乾燥してるし暑いし寒いし不便だし
経験が無い者には過酷な環境でしょうね。
ちょっとした冒険ですもの。

でも、なんでそれができちゃうかというと
そういうのが好きとか、強い使命感を持っているとか
そんなマインドの問題だったりするわけです。

だからこそリスクを払ってチャレンジできる。

問題は、どうしたらそういうマインドになれるかということでしょうね。

でも、それは難しいです。

そんなマインドを持っていることについて
明確な理由なんてなかったり
定量化できる何かがあったりするわけではないので。

しかも、そういうマインドを持っている者、持っていない者は
双方が分かり合えません。

価値観が違っていて
向いている方向が違います。

なので「こうすればいいよ」とは言えないのですね。
どうせ言っても理解できないだろうし。

結局は
やりたきゃやればいいし
やりたくなければやらなきゃいいじゃん
ということになっちゃいますね。

チャレンジングなマインドの構築は
もちろん若いうちにやるべきなのですが
今の世の中、そういう機会はめっきり無くなっている気がします。

ま、そりゃそうです。
安心で安全な世の中を作ろうなんて思ったら
チャレンジさせられませんもの。

加えて、便利な世の中ならなおさらです。

色々言ってきましたが
これ、学生に対することだけでなく
彼らを取りまく年長者に対しても言えることです。

さて、ではどうしますかね?

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