我々日本人にとって
地面と言えば「土」ですが
この「土」って一体何なのか考えたことありますか?
そうですか、ありますか。
でも話を続けますよ。
我々には、身近にあるのが当然で
あまりに自然で、馴染みが深くて
だからこそ、あまり気にしないのだと思います。
そんな土は一体何なのだろう?
と、ある日突然気になったのです。
それは新潟の山の中にある温泉宿の露天風呂に入っていたときです。
目に入るのは目の前の渓流と森の木ばかりで
こんな事を考えたのでした。
ああ、この木も成長して
いずれは朽ち果てて
大地に還っていくのだろうなぁ。
で、その大地からまた芽が出てくるんだろうけど
その土は、岩石が微細に砕けたかけらと
植物や動物などの生き物の成れの果ての混ぜ物なわけで
ということは
死がなければ生は無いわけで
生があればいつかは死が訪れるわけで
そんなのが延々繰り返されて
たっぷり土があるからこそ
木がしっかり根を張って
こんなに大きくなるんだよなぁ。
そんな土の層が十分な厚さになるには
一体どれだけの年月が必要だったのだろう。
昔は日本人も土葬だったので
この自然のサイクルの一部だったのだろうけど
今やほとんどが火葬になっちゃって
自然には貢献してないんだな。
なんか申し訳ないというか何というか
今や地球には役立たずじゃないか。
というか、いつかは自分も死んで
自然の一部になるのだとして
新たに生まれる生命だって
自然から発しているとしたら
一体、自分と自然(地球)の境目ってどこなんだ?
待てよ
火葬じゃ地球に役立たずというわけではないのかな?
燃えて気体になったものは大気に還るし
灰は、播いちゃえば地球の一部だな。
でも何か味気ないな。
あと、忘れちゃいけないのは水だよなぁ
水も周囲にあるのが当然だと思っているけど
水か無ければ生き物はいないわけで
そうなったら土だって無いわけで。
たかが土って思いがちだけど
生きものや水とか
絶妙な条件が延々と継続した結果なわけで
これは奇跡的に凄いことだな。
アメリカやオーストラリアの奥地の荒野や
エジプトの砂漠には
水が無いから生物がいなくて
だからこそ砂しか無いわけで
土があるのは決して当たり前じゃない。
そう考えると
日本人というのは奇跡的な環境に恵まれているわけだけど
それが当たり前になっちゃっていて
多くの人はありがたみなんて感じてないのだけど
もしこれを
奇跡的にありがたい環境だぞ
と自覚したら、何かいいことあるのかもしれないな。
今はコロナで大変なことになってるけど
昔から疫病ってのは
いわゆる発展した地域から拡大していくわけで
だからこそ未開の地に住む原住民が
先進国の開拓者に接触すると
疫病で致命的なことになったりして
これは一体何なのだ?
自然から生活を切り離した人類に対するしっぺ返し
…にしては、死んでしまうのは原住民の側なわけで
文化的な生活をしている側は
新たな病に遭遇して、免疫を手に入れて
より高度な文明を築いていって
最終的にはどうなっちゃうのだろうか。
このままどこまでも行けるとは思えないな。
とか色々考えていたのですが
湯あたりしそうだったので、この辺でお終いです。
ああ、温泉行きたいなぁ。