やればできるという感覚

正直なところ
自分が「できるヤツ」だとは思っていないので
こんなブログを書き続けるのは結構勇気がいるのですけど
少しは何かの役に立つだろうと思いながら続けています。

自己肯定感は高いとは思っていません。

とはいえ
今までの経歴で多少なりとも
いわゆる「普通」から外れたことを経験してきたと思うので
そんなことが役に立つといいな
と思っています。

まあ、そういう経験も
今の自分にとっては「普通」なんですけどね。

色々なことを経験する中で
いわゆるターニングポイント
と感じるようなことは何度かありました。

そもそも、自己肯定感が低いこともあって
現状に満足できないことが多かったので
変なことや余計なことをやることが多かったのかもしれません。

変なことや余計なこと
これらに興味を持つ

これは誰でもあるのではないかな。

でも、それをやると決めて
実際にやっちゃう
というプロセスがキーポイントだと思います。

変なことや余計なことの多くは
恐らく親や先生からしてみたら
やって欲しくないことです。

さらに、それをやると何が起きるか分からないという
自身に対するリスクもあります。

なので、賢いコはやりません。

良い機会なので
自分の過去を振り返ってみましょう。

私は賢いコではなかったことに加えて
自己顕示欲とか変な探究心とかが強かったのでしょう。
投げやりで捨て身な部分もあったのかもしれませんし
賢いコができないこと(バカすぎてやりたがらないこと)を
やることによって、彼らに対してアドバンテージを持った
と勘違いしていた節もあります。

今思うと
本当に救いようのないバカだった可能性があります。

あと、時代もありますね。

中学生の頃は校内暴力真っ盛りで
ツッパリ High School Rock’n Rollな時代だったので
しょうもないバカなことをやるヤツは
一定の敬意を持たれる…と勘違いするような
しょうもない時代でした。
今思うとカオスですね。

高校生になって、時代は少しは落ち着いてきましたが
多感なローティーンの季節に
しょうもない価値観を身に付けてしまったために
多少の刺激では満足できなくなっていたような気がします。
そんな状態で、オートバイというフリーダムな世界と出会います。

そして、その慣性力を持ったまま
バイクブームでレースブームの時代に大学に入ってしまい
まんまとレースを始めて
今の価値観の基礎がガッチリ構築されてしまったのでしょう。

うまくいかなかったことは多いけど
全く後悔はありません。

そんな風に色々とやる中で
チャレンジするときにはバカはバカなりに
壁の存在におののいたり
プレッシャーを感じたりするのですが

ぶち当たる壁の数が多ければ
それなりにうまくいくことがあります。

ドン!と壁を抜けたら青空だった
というような感覚。

たまにそんなことがあると
「やればなんとかなる…のか?」
と思い始めるわけです。

もちろんチャレンジする母数が大きくなれば
なんとかなっちゃう経験の数も増えるわけです。

別にそれが勘違いでも良いのですけど
大事なのは「なんとかなる」という感覚です。

これが得られれば強いです。

なので、学生達にも
そういう感覚を掴んで欲しいと思っています。

恐らく、夢工房にいる連中は
卒業前にそんな境地に達している者も多いはず。

多くの学生達が「できる!」という感覚を持って動き出せば
かなり面白いことになるのは分かっています。

きっとそこに一番近いのは
ものづくりをする学生達です。

もちろん、面倒を見たり管理したりという側は
それなりに大変になるでしょうけど
そういうのは面白さとのトレードオフなので
一緒に楽しむに限ります。

明るい側を見よう。

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