学生は大学で学んでいます。
学んで新しい能力を手に入れるため
と言っても良いでしょう。
知らなかったことを知るため
できなかったことができるようになるため
まぁ色々あるでしょうけど
いずれにせよ、現状の自分から
何かしら変化するということです。
そんな立ち位置にいる学生達を見ているのは
大変興味深いのですが
中でも特に興味深いのは
人はどの程度まで変わることができるのか
というところですね。
新たなことを知る
なんてのは学校では当然すぎて
あまり面白くないのですが
思考パターンや
価値観が変化する
なんてのは刺激的でいいですね。
新たなことを知っていく
という場合
視野とか視座とか価値観は
変わらないことがほとんどなので
あまり劇的な変化は無いですね。
やり方が変わらないから
同じような結果が出るのです。
別にそれがダメってわけではありませんし
むしろそれが普通なのですが。
さて、興味深いのは
劇的な変化を遂げるタイプです。
そういうの、たまにいます。
そうだな…例えば…
学校って、小さい要素から学びますよね。
バラバラに分割された授業から
一つひとつ学んでいきます。
多くの場合は
別に何かのために学んでいるのではなく
「色々勉強すれば、いずれなんとかなるだろう」
という感じで
最終的にはどんな形になるか分からないけど
小さいものを積み上げていくようなやり方です。
不安な学生は
不安を解消するために
もっともっと積み上げたり
諦めちゃったり。
まるで賽の河原ですね。
知ってます?
中には目標を持って
それに向かって頑張っているものもいたりします。
そんな君は偉い!
こんな風に積み上げられた小さいものは
「手段」
です。
言ってみれば
何かをするときに必要になる
道具のようなものです。
学校の学びって
それによって色々できるように設計されているので
専門分野に分かれていても
意外と汎用的です。
汎用は専用の反対です。
例えば
ハンマー
と言っても
大工さんが使う玄翁(ゲンノウ)もあれば
鈑金屋さんが使う鈑金ハンマーがあったり
力仕事に使う大ハンマーなんてのもあります。
全部ハンマーですが用途が違います。
無理をすれば相互に異なる用途に
使えないこともありませんが
やはり専用品が良いですね。
ホームセンターで売っている
何にでも使えそうなハンマーで
単なるたたき方の練習をしているのが学校の勉強かな。
「とにかくキチッと叩くんじゃ!
それができればどこに行っても良い仕事できるわい!」
って感じ。
これ、手段的な学び。
反対に
最終的なゴールが明確化されていて
そのために練習(学ぶ)するのが
目的的な学びです。
学校を出ると、そこに広がっているのは
ほとんどが目的的な世界です。
ゴール(目的)があって
そのためにやる。
そのためのことを
下位に落とし込んでいって
手段が決まる。
そんなフィールドで
何に使えるか分からないハンマー持ってても
「おめぇ、それで一体何する気だ?」
ってなっちゃうでしょう。
おっと!
久々にずいぶん長い前置きをしてしまいました。
この目的から落とし込んで手段を決める
という考え方
なかなか学生に理解させて
実践させるのは難しいのです。
今までの慣性力がありますから。
でも中には
そういう考え方を話すと
「おー!すげー!
世界がひっくり返った!」
と言って
急激に行動を変える者もいます。
そういうタイプは面白いですね。
まぁ、人は様々なので
もちろん中には
ゆっくり変化していく者もいて
そういう学生と付き合っていくと
こっちも色々学びがあったりして
それはそれで面白いんですけどね。
みんなが持っているから
自分も持っていないと不安だ
なんて感じで
何に使うか分からない道具を
延々コレクションしていくのも良いですが
(良いのか?)
イカした道具を手に入れて
「これなら誰にも負けねぇ!」
ってのも面白いんじゃないですかね。
ただ、ゴールが決まった途端に
今まで何に使えるか分からなかった
ただのハンマーが
急に役に立つ道具に変わったりする
そんなこともありますけどね。