どこへ向かうにしても

我が国の政府が
新しい資本主義を実現するとのこと。

私は経済も政治も詳しくありませんが
人が作ったシステムに
寿命があることくらいは理解できます。
今の資本主義だって
そんなに古いものではないわけで
100年とか200年とかそんなものなのでしょう。

自分が生きているうちに
世界規模の疫病に遭遇するとは思いもしませんでしたが
資本主義の変容も経験できるとは思っていませんでした。

個人的には
まだ乗ったことがない
ヘリコプターと
潜水艦にも乗ってみたいし
宇宙旅行もいいなぁ
なんて思っています。
死ぬまでに実現するのだろうか。
あ、全然関係ありませんね。

さて、社会の構造が変わったりすると
人に求められるものも変わってくるでしょうね。

表面的には。

どういうことかというと
すでにお分かりの通り
コンピューターにまつわる技術は
凄い勢いで発展しています。
AIだの自動運転だの。

そういう変化に伴い
求められる技術が変わるわけです。

もちろん本学のような
次世代の技術者を育成する
というミッションを持った学校は
そういった変化に対応する
ニーズに応える必要があるのですが
果たしてどのように対応するべきなのか。

社会が大きく変化していって
新しい技術
すなわち自分にとって
未知の技術と付き合う必要がありますが

大学の教員は研究者でもあるので
自らその新しい技術に
学生と共に向き合えば
それはそれでOKなのです。
研究ってそういうものです。

さて
「技術」というのは
戦略的な考え方をする場合
最も最下層の「手段」に相当します。

最下層 という表現を使いましたが
別に技術を軽視しているわけではなく
上位には
その技術を用いて実現したい何か
つまり「目的」がある
ということが言いたいのです。

ぶっちゃけ
その目的を達することができるなら
どんな技術でも良いわけなので
新しい技術が現れたときは
色々と出現しては淘汰されていって
最適化されたり効率化されたりするわけです。

というわけで
これから世の中が大きく変わる
という状況になると
広い視野を持って
目的に合わせて
色んなことをやる必要が出てくるでしょう。

おっと
色んなことを「知る」ではないですよ。
知るのは大事ですが
知っているだけでは何も起きませんから
「やる」です。

未来はどうなるか分からない
というか
どうするのも自由です。

ひょっとしたら
どうするべきかなんて誰も分からない
どうなるかわからないけど
とにかくやらなきゃ!
という状況になるかもしれない。

であれば
折れない心とか推進力とか
面白さを自ら作っていく姿勢とか
技術を「駆動する」心の部分が成長しないことには
どんな技術を身に付けようと使いようがありません。

これ、今回のコロナ禍で
見えてきた気がしませんか?

「知」は大事ですが
それだけでは何も起きない。
「心」が無いとどうにもならんですね。

そのあたり、夢工房の連中は
この2年間でピンチをチャンスに変えて
うまいこと成長できた気がします。
まぁ、ここからが勝負所ですが。

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