自分で決めるってことです。
多くは束縛から解放されることだと誤認してますけど
そうじゃない。
ちょっと想像してみましょう
大自然の中に自分一人だけだとしたら
生きるために必要な全てのことを
自ら決めて実行しなければならない
凄く面倒だけど
そうしないと死んでしまう。
食料も衣類も住居も
どうするかを自ら決めて実行しないと
生きていけません。
これ、自由なのか?
言葉の意味で言ったら
そうなのでしょうね。
環境は厳しいでしょうけど
何をしても、何もしなくても誰も迷惑しません。
何をしても責任は全て自分にあるわけで
責任を取るのも自分です。
命と引き換えに。
対して現代社会は
身の回りのことを
全て自分でやらなければいけないかというと
決してそんなことはありません。
文明社会では
多くが仕事を持って
自分の果たすべき特定の役割を全うすることによって
その価値と引き換えに望むものを得ます。
つまり
仕事してお金もらって買う
ってことです。
皆それぞれが役割を分担して
自分が決めて実行する
「自由」の領域を狭くすることによって
能力や労力を集中して発揮して
そんなことを皆が相互に補って
便利で快適な社会を作り上げている
ということです。
これは、自分の領域以外の自由を
手放してるということでもあります。
なので、豊かな文明社会に生きる我々は
そもそもあまり自由じゃないんじゃないでしょうか。
ただ、そんな環境でも、面倒なことでも色々やっていたりすると
結構自由を感じられたりします。
「できてるぞ!」って。
あ、やらされてちゃダメですよ。
で、頑張っていくと色々手に入ります。
富とか名声?
まぁ、そういうのもあるかもしれませんが
大事なのは「人の役に立っている感」です。
人から必要とされるというのは幸せなものです。
現代社会って難しいですね。
皆好き勝手にやっても良いように見えるけど
実はそんなことなくて
誰かが「余裕」を作ってくれているから
自分がやるべき事が最小化されていて
サボっていても、なかなか死なない。
でも、代わりに自分が果たすべき役割がある。
で、ですよ
その自分が果たすべき役割なのですが
これをどう決めるんだ?
って話ですよ。
社会に出るってことは
自分の役割を決めなければならない
ってことです。
これ、どう決めるかは自由です。
なかなか決められないこともあります。
リスクがあるし、面倒なことも多いし。
でも決めないと、社会に対する責任を果たせない
ってことになっちゃうわけで
それは許されないから何か決めないといけない。
せっかく何か決めないといけないなら
自分のパフォーマンスを最大化できそうなことが良いですよね。
でも、そんなの自信が無いし、分からない。
なので、好きなことを色々やって
準備しておくのが良いのです。
好きなことなら頑張れますから。
専門を決めて学ぶとかってのも
結局はそういうことでしょう。
ただし注意点があって
この準備段階で「やらされる」経験ばかりしてしまうと
自由な心を失います。
だって、自分で決める機会が最小化されちゃうから。
そうなっちゃうと、将来、自分の果たす役割なんて
なかなか決められないってことになるのでしょうね。
まぁ、凄く考えて頑張って
深く掘るか
できるだけ広げるか
そんなのが
自分の領域における自由なのだと思うわけで
そのためには
好きなことをやるか
やっていることを好きになる工夫をするか
その辺が鍵になるのだと思います。
そうじゃないと頑張れませんから。
こんな偉そうなことを言っていても
ヘマはやるし、まだまだ不十分だし
どうせ完璧なんて無いんだから
とにかくやってみたら?
と思うのです。